Amazonレビューについての考察

2023年4月26日に日本でレビュー済み

 

 

 

 

また、Amazonレビューについての考察をします。

 

しかし、法華経もパーリ語があるから「これも本当に仏陀(釈迦)が言った言葉です」ともおっしゃっています。

この文章に関しては、明らかに間違っています。

法華経を始め大乗仏典の原典はパーリ語ではなくサンスクリット語で書かれていることは常識です。

ですから、このようなことを書いているはずはありません。

また、パーリ語で書かれているからとか、サンスクリット語で書かれているから、仏陀の言葉であるとか仏陀の言葉でないとか、言っているのではありません。

 

歴史上の仏陀が語った言葉は、第一結集で確定しています。

なのに何故、仏陀滅後500年も経って新しく経典を作っていったのか、ここを真正面から見つめないといけません。

大乗仏教の人はここに蓋をします。

そして、原始仏典が必ずしも古いわけではないなどと、原始仏典を貶すことでしか、大乗仏教の成立根拠を打ち立てることができていません。

歴史を見れば、仏陀の本当に説いた教えを確定するために第一結集があったのです。

そして、それは確定しました。

そこには何も疑問点はありません。

しかし、仏教史では、第一結集で確定してない経典が、何百年も後になって次から次へと生み出されたのも事実です。

これを事実と認め、その上で、真正面から、何故そのようなことが起きたのかを知りたいのです。

ここを逃げていては、仏教全体は絶対にわからないでしょう。

 

ここで、極めて興味深い問いをします。

大乗仏教の人に答えていただきたい問いです。

歴史上の仏陀は、自らの教えをサンスクリット語で説くことを戒律で禁止しました。

聖語であるサンスクリット語で仏陀の教えを説いてはいけないとしたのです。

しかし、大乗仏典の原典はすべてサンスクリット語で書かれています。

これは何故でしょうか。

何故、大乗仏典は、仏陀が禁じたサンスクリット語でわざわざ書かれているのでしょうか。

サンスクリット語で書かれている時点で、仏陀の直説でないと、仏教が広まっていた地域では相手にされないことは明白なのです。

 

このような論点で論じている対話は見たことがありません。

ここの大きな疑問点をクリアしなければ、大乗仏教が何故生まれたのか、を本当に説明することにはならないでしょう。

 

さて、歴史的にみると、初期仏教は少しずつ変遷していき、非常に細かく色々と理論体系を作る部派仏教に発展していった訳ですが、この本での著者の論は、その昔の動きをあらためてトレースしているように見えます。釈迦の率いる教団は、サンガ内のどんどん増えていく出家信者に対する教育カリキュラムを次々と増やしていく必要があったのでしょう。それが修行過程の細分化となり、経典の細分化となっていったのでしょう。

 

仏陀の死後100年後くらいに根本分裂が起き、部派仏教の時代になっていきました。

部派仏教では、極めて煩瑣な理論を構築することに没頭してしまったことは確かです。

しかし、四諦十二縁起や四念処や三十七菩提分法は、仏陀在世に説き明かされていたものです。

仏陀は自らの悟りへの道筋を極めて具体的に語っています。

例えば、七覚支は、念⇒択法⇒精進⇒喜⇒軽安⇒定⇒捨 です。

念は四念処、精進は四正勤です。

仏陀は自らの体験として、四念処を行じ、善法を選択し(択法)、四正勤(精進)によって「生じてない不善法を生じさせないようにし、生じた不善法を断つようにし、生じてない善法を生じさせ、生じている善法を増大させる」ように精進したのです。

その結果、喜が生じました。

そして、喜で満たされると、心も身体も軽くなり安定してきました。

安定した心と身体は自然に禅定に入っていったのです。

そして、最後、善法をも捨てます。

筏だからです。

つまり、三十七菩提分法は、後世の人が勝手に作り上げた修道論ではなく、仏陀自らの体験から仏陀自らが説いたものなのです。

仏陀の体験そのものなのです。

それがわからなかったから、ただの修道科目の羅列のように、ぐったりと死んだものになっていったのです。

 

部派仏教になって、煩瑣な理論を構築したのは、仏陀の『非我』の理法を、『無我』ということにしてしまったことから、『無我であれば、因果の果を受ける主体は何なのか?』という哲学的な迷路に嵌まってしまったために、刹那滅などの理論を勝手に構築していったということです。

 

刹那滅、刹那生など、仏教を仏陀の真意から大きく離れさせたものにしか過ぎません。

 

そのような部派仏教のあり方を批判して大乗仏教は生まれたと思っています。