仏陀の直説がわからなくなったこと

仏陀の真意が失われていった理由の3つめは、仏陀の死後500年も経ってから、全く仏陀の顔も声も知らない者たちが、勝手に経典を作り上げていったことです。

 

しかし、これはインドではそれほど影響はありませんでした。

インドでは、誰もが、仏陀の死後直後に500人の直弟子による第一結集が行なわれて、そこで仏陀の生前の教えを確認し合って確定したことを知っていたからです。

 

大乗仏教の国ではこのことはあまり認識されませんが、現代の日本から見るのではなく、そのときのインドに降り立った視点で見ると、とんでもないことだというのがわかります。

歴史上の仏陀の教えが改竄されないように、第一結集で確定した教えをサンガで必死で守ってきたのです。

ところが、仏陀の死後500年も経って、もちろん仏陀の声など聴いたこともないものたちが全く新しく勝手気ままに経典を作り始めたのです。

仏陀はサンスクリット語で自分の教えを書くことを戒律で禁じていましたが、そんなこともおかまいなしにサンスクリット語で新しい経典を『如是我聞』と真似して作り始めたのです。

それまでの正統な仏教からすると、まさしく悪魔の所業でした。

 

ただ、近年のグレゴリー・ショペンの研究で明らかになったことによると、このようにして出現した新興の大乗仏教は、インドでは、誰からもまともに相手にされませんでした。何百年もの間、インドでは大乗仏教は、あざけりや嘲笑の対象であったとグレゴリ-・ショペンは言います。

大乗仏教の信者集団すなわち教団もできませんでした。

大乗仏典が作り始められてから500年以上も経った5世紀から6世紀に、仏教文化のない辺境の地に初めて大乗教団が出現したのです。

辺境の地にできたのは、その地に正統な仏教が伝わっておらず、第一結集で確定した教えが仏陀の唯一の本当の教えであるということを知らなかったためです。

このころには、大きくバラモン教が盛り返してきていました。バラモン教が民俗宗教と合わさってヒンズー教となっており、呪術信仰が流行っていました。この呪術中心のヒンズー教の影響を大きく受けて密教ができ、そしてヒンズー教徒の差異がなくなっていき吸収されて仏教はインドから消滅します。

密教経典ができはじめるのが7世紀ぐらいですから、辺境の地に大乗教団が初めてできてすぐほとんどバラモン教と言っていい密教が席巻することになります。

ですから歴史を見ると、大乗仏教は、インドの地では全く流行らなかったということになります。

 

しかし、中国や日本は違いました。

原始仏典も大乗仏典も同時に、あるいは大乗仏典のほうがはやく漢語に翻訳され、大乗仏典も仏陀の直説だと信じられたからです。

 

新しく勝手に作られた経典が、膨大に輸入されてきたのですから、どれが本当の仏陀の直説かなどは近代になるまで日本人には全くわからなかったのです。