仏陀の真意としての仏教

大乗仏教一辺倒の日本に生まれ育った私が、それまでの仏教知識を白紙にして、『歴史上の仏陀は本当は何を言いたかったのだろう』ということを探求してきました。

一時は大乗仏教の全否定まで行きましたが、大般涅槃経(パーリ涅槃経)の記述から、原始仏教と大乗仏教が繋がりました。

仏陀の死後500年も経って、なぜ第一結集によらない経典を創作していったのか、サンガから追い出され、迫害を受けてもなぜあのように膨大な経典が生み出されていったのか、どうしても解けない謎でした。

仏陀の教えが歪められて伝わることを怖れた直弟子たちは、仏陀の死後直後(2,3ヶ月後)第一結集において仏陀が本当に言った言葉かどうかを判別し、仏陀の言葉を確定しました。

それを大事に伝えてきたのが仏教徒です。

それを仏陀を見たこともなく声を聞いたこともないはるか後世の者たちが勝手に経典を創作し始めました。

仏教徒からは、悪魔の所業と見なされました。

そのままだと、非仏説、非仏教として相手にもされなかったでしょう。

それは龍樹が出ても変わりありませんでした。

インドでは大乗仏教は相手にされませんでした。

しかし、歴史の偶然ということがあります。

仏典(初期仏典)は文字や本ではなく、口で伝えられていました。

そのような習慣のために、原始仏典と大乗仏典の文字にする、つまり本にする時期は同じくらいになってしまいました。

同時期に文字となった仏典たちは、原始仏典も大乗仏典もいっしょにすべて仏陀の直説として中国に伝わっていきます。

ここにおいて大乗仏教の興隆となっていきます。

 

部派仏教側は、大乗仏教を仏陀の教えではないと言います。非仏説だと言います。

大乗仏教は部派仏教を小乗だと貶します。

この対立によって、仏陀の真意はかなり失われていったと思っています。

 

まずは、部派に分かれる前の、原始仏教つまり仏陀と直弟子の時代、仏教の原点に戻って仏陀は本当は何を言いたかったのかを知るとともに、そこで明らかになった仏陀の真意からすべての仏教を見ていかなくてはならないと思っています。

大乗仏教は仏陀の真意の復興運動であったと思います。

復興運動と言うことは、失われた、あるいは見失った、あるいは埋もれてしまったものを復興すると言うことです。

しかし、大乗仏教は部派仏教のアンチテーゼとして興ったので、それまでの仏教を貶し否定してしまいました。否定しないまでも軽視してしまいました。

四諦、十二縁起、四念処、三十七菩提分法などは小乗の修行法として捨ててしまいました。

仏陀の理法を捨ててしまった大乗と大いなるものを見失ってしまった部派仏教、この対立によって分断が起きました。

 

文献学のめざましい発展により、いま、やっと、どの仏典が仏陀の肉声に近いかということが明らかになりつつあります。

いまだからこそ、仏陀が本当に言おうとしたことは何だったのか、迫ることができます。

 

四諦の法はなぜ、仏陀の教えの核心なのか。

そもそもdukkhaとは何か。

誰にも解読できなかった十二縁起とは本当はどういう意味なのか。

四念処は本当に、『気づく』『ラベリング』することなのか。

三十七菩提分法の中核である七覚支とは何なのか。

そして、三明とは何か。

パーリ涅槃経に隠された仏陀のメッセージとは何か。

 

そしてなぜ大乗仏教は興ったのか。

なぜ法華経は経王と呼ばれているのか。

 

これらのことがわかってはじめて、原始仏教と大乗仏教が繋がった気がします。