中部経典の第5は『無垢経』です。
世界には、4種類の人がいると説きます。
1,垢があっても、〈私には内に垢がある〉と如実に知ることのない人
2,垢があっても、〈私には内に垢がある〉と如実に知る人
3,無垢であっても、〈私には内に垢がない〉と如実に知ることがない人
4,無垢であって、〈私には内に垢がない〉と如実に知る人
このうち、2と4の、如実に知る人を優れた人と説きます。
なぜ、その人が優れた人と言われるのか?
その因は何でしょうか?
その縁は何でしょうか?
と大目連は聞きます。
ここで興味深いことがあります。
〈因〉と〈縁〉です。
後世では、因を直接的な原因、縁を補助的な原因または条件という解釈が生まれました。
たとえば、果物は、種子を直接の原因である〈因〉とし、土や水や空気を補助的な原因または条件である〈縁〉という解釈がなされたりします。
しかし、縁は、十二縁起を見てもわかりますが、縁起の公式に当てはまるような根本的な原因のことです。
それがあればこれがあり、それが生じればこれが生じ、それがなければこれはなく、それが滅すればこれも滅する、まさしく根本的な原因です。
この無垢経でも、〈因〉も〈縁〉も根本的な原因、根本的な理由という意味で使っています。
なぜ、〈私には垢がある〉あるいは〈私には垢がない〉と如実に知る者は優れた者と言われるのか、の理由ですが、
如実に知る者は努力するからです。垢を断つために努力したり、垢がつかないように努力するからです。
次に、〈垢〉とは何ですか?
という質問に、
いろいろな例を挙げて、垢とは怒りなるものや不満なるもののことだと答えます。