いい雰囲気の掲示板にするには

くり (112.69.56.172)  

ショーシャンクさま、お返事ありがとうございました。
 
>私がマニカナに投稿し始めの時、春間さんがさかんに『縁起を見るものは私を見る』という言葉を書いてましたので、石飛先生に『「縁起を見るものは私を見る」という言葉は仏典にあるのでしょうか?』とお聞きしたことがあります。
 
ああ、そうだったのですね!
確かそれは『お気楽掲示板』の中だったと思うのですが、春間さまから「縁起を見るものは私を見る」という言葉が出てきたのはわたしの記憶の中にも残っています。
{そんな言葉あったかな?}って思ったのも事実です。
先の投稿をする前に、過去ログを調べたのですが、『マジカナ道場』とは違い、消えゆく形なので、その部分はもう残っていませんでした。
その時の石飛先生の対応はわたしの記憶の中にはないのです。
それは大変失礼をいたしました。すみません。
 
>石飛先生は『どうでしょうか』というような感じで困っておられたような様子でした。
 
ああ、そうだったのですか。。 うーーん、それはとても残念です。
「その言葉は仏典にあるか?」という形で問われたのならば、やはり、専門家としてご自身の知っている知識の範囲の中で「ある・ない」をはっきりと言明して欲しかったです。
また、それが文献学的にはっきりと言明しにくい性質のようなものがあるのであるならば、それをそれとして説明してもらいたかったですよね。
そうだったのですね。
 
>マニカナは仏教の掲示板ですから、仏陀の法の下には参加者は平等であってほしいですし、誰をも特別扱いせずに、自由に討論できる場であってほしいと思っています。
 
仰る通りだと思います。
人々のために松明をかざす人(Buddha)の教えを学ぶのに特別扱いは本当に不要です。
ショーシャンクさまがまた再びmanikanaに登場されることを望んでおられる方も多いと思います。
この度は申し訳ありませんでした。
また、このように対話できることをありがたく思う次第です。

 

 

 

くりさん、おはようございます。

 

石飛先生は、サンスクリット語もパーリ語も読めて仏教以外のことにも造詣が深く、しかもユーモアがあって気さくな人柄ですので、閲覧だけしている人の中にも、話してみたい人は数多いと思っています。

 

初めての掲示板に投稿するとき、どんなに大きな勇気が要るかということに、常連の人はいつも思っていないといけないでしょう。

何十年もその掲示板に居座っているとその感覚は麻痺してしまうでしょうけど、人間はその人たちが思うより繊細で臆病なのです。

それを感じ取る感性がないのであれば、その人がしてきた『仏教』はその人に何ももたらさなかったということです。

優しさは大事です。

古くからの常連客だけがオーナーの前に居座って大声で話している喫茶店からは新規の客は遠ざかります。

実社会では、そうやって閑古鳥が鳴いた喫茶店は数多いです。

 

と同時に、主催者を貶すことだけが目的の人や対話をせず自論を見せびらかしたいだけの人、いわゆる『アラシ』には毅然とした態度を取るべきでしょう。

ヤフー掲示板において、良質なスレッドが心ないアラシのために閉鎖に追い込まれた例は数限りなく見てきました。

ヤフー掲示板は、スレッドの主催者つまりスレ主にアラシの投稿を削除する機能がなく、そのスレッドを閉鎖させたいと思えば、アラシが罵詈雑言の大量投稿すれば簡単に閉鎖に追い込めたのです。

その結果、非常に多くの良質なスレッドは閉鎖に追い込まれていき、後には『悪貨』しか残りませんでした。

ですから、ヤフー掲示板は株式板を除いてすべて閉鎖されてしまったのです。

 

ヤフー掲示板と違って、自分のブログには、アラシから防御できる機能がありますから本当に快適です。

 

ヤフー掲示板の東哲板でアラシとして有名だったマージャンと呼ばれていた人や和弘と言っていた人などは、『スレッドはスレ主の所有物ではなくみんなのもの』とよく言って、どんなに迷惑がられてもそのスレッドに居座っていました。

 

自分の掲示板を真摯な人の集まりであり続けたいのであれば、対話もできない、対話する意思もない、主催者を貶したいだけのアラシには毅然とした態度を取るべきでしょう。