さて、これから少しずつ、歴史上の仏陀は本当は何を言いたかったのか、を書いていこうと思います。
『本当の』仏陀の理法は、人類の至宝だと思っています。
しかし、残念ながら、その仏陀の残した至宝は、歴史の堆積物に埋もれてしまったといえます。
日本人のわれわれが仏教と考えているものと、仏陀が本当に言いたかったことは全く違います。
現代人は、仏教の根幹は『空』と『縁起』だと言います。
あるいは、『無常』『無我』だと言います。
しかしながら、歴史上の仏陀がいう『空』『縁起』『無常』『無我』と言う意味は、我々現代の日本人が考えている意味とは全く違います。
『苦』もそうです。
『因果』や『業』に至っては、なんともおどろおどろしいイメージがついています。
運命論のように感じる人たちも多いです。
はっきり言って、今の仏教なるものが、人間の精神に何をもたらしてくれるだろうか疑問に思います。
ヤフー掲示板は株式カテを除いてすべて閉鎖されました。その最後の1年ちょっと、仏教カテの掲示板にスレッドを立てていたことがあります。そこはアラシが多く、人格的に変な人が多かった印象です。
仏教なるものは、この人たちの精神に何をもたらしたのだろうと考えるようになりました。
自分の儲けばかり追求しているはずの株式カテゴリーの方はすっきりしていましたが、口先で『慈悲』や『懺悔』を言ってる人たちがかえって掲示板での行為に問題が多すぎでした。
このパラドックスはなぜ起きるのかなかなか解けませんでしたが、仏陀が本当に言いたかったことを探求していくとわかってきました。
仏陀の本当の理法、つまり仏陀が本当に言いたかったことは、人類の至宝だと思います。
これから、気が向いたときに少しずつ書いていきます。