マニカナが自由な討論の場になりますように

くり (112.69.54.251)  

ショーシャンクさま こんにちは。 >石飛先生は、芳和さんに対しては『仏典への尊敬がない』と注意していましたが、春間さんのこのような捏造には何も言いません。ダブルスタンダードです。 ここなのですが、石飛先生はおそらくmanikanaの中で個人の間でなされている「(自身の心に)嘘のない対話」をとても重視されていて、(文献学的なところで)何か気になるところがあっても、ご自身からその対話の間に割って入るということはなされない方ように思います。 それは、そのような「対話」の中にこそ、自然とこれまでその人の生きてきた生き様や論理性なりが如実に現れてくることになり、その貴重な有り様(よう)に、あえて自分から影響を及ぼすような形にしてはならないという配慮があるからではないでしょうか。 ですから、その時、ショーシャンクさまと春間さまの対話には入られることはなかったのだと思います。 でも、ショーシャンクさまがそのことについて、その時、石飛先生に意見を求められれば、経典に沿った形でしっかりとお答えになったと思います。 そういうことを考えますと、今現在、石飛先生が対話している(しようとしている?)相手は芳和さまであり、その方へは忌憚のないご自身の意見を表明されたということだと思います。 初学者のわたしが、ショーシャンクさまと石飛先生との「対話」をある種の感動を持って見ることができたのも、その内容のみならず、お二人の中にある真摯な真理探究心から来る論理が、相手への敬意として、書かれた文章に顕わとなっていたからのように思うのです。
 
 

 

くりさん、こんにちは。

私がマニカナに投稿し始めの時、春間さんがさかんに『縁起を見るものは私を見る』という言葉を書いてましたので、石飛先生に『「縁起を見るものは私を見る」という言葉は仏典にあるのでしょうか?』とお聞きしたことがあります。

石飛先生は『どうでしょうか』というような感じで困っておられたような様子でした。

 

私は、『縁起を見るものは法を見る』という象跡喩大経の言葉の中の『法』は四諦の法のことでしょうと書きました。

そして、『法を見るものは私を見る』という言葉の『法』は、仏陀が説いた理法全般を指すのでしょうと書きました。

つまり、『縁起を見るものは法を見る』と、『法を見るものは私を見る』の中の『法』は違うということを言いました。

ですから、勝手にこの2つを一つにして『縁起を見るものは私を見る』というのはおかしいと考えたのです。

 

マニカナは仏教の掲示板ですから、仏陀の法の下には参加者は平等であってほしいですし、誰をも特別扱いせずに、自由に討論できる場であってほしいと思っています。

 

芳和さんには、ヤフー掲示板の時のように他人の掲示板に勝手に大量投稿するのではなく、主催者やスレ主が真摯に質問したときはそれに正面から答える最低ラインのことはしてほしいですね。

石飛先生の質問から逃げまくっているのは情けないです。正面から堂々と反論すればいいではないですか。自分に自信があるのであれば。

春間さんも人の揚げ足取りばかりでなく、自分の意見をいうべきです。自分に自信があるのであれば。

 

ヤフー掲示板のときから、春間さんと芳和(和弘)さんはそっくりだと思っていました。

この2人でどこかで会話していてくれたら、他の人が非常に助かるのに、と思っていましたが、その『どこか』がマニカナになってしまったということでそれは残念です。