良質サイトの閉鎖に思う

 くり (150.66.119.14)  
ショーシャンクさま、こんばんは。
お久しぶりです。くりです。
とうとうマニカナ、閉鎖されてしまいました(涙)
ショーシャンクさまとの部分だけとは言え、マニカナの過去ログ、保存して頂いて有難うございます!!!
わたしにはまるで 古刹の大寺院が赤く焼け落ちる直前、大切な経典のほんの一部ではありますが、それが救い出されていたように感じています。
 
>縁起だから閉鎖するのも仕方ない、誰も責めちゃいけない、
>閉鎖するのも無常で美しい、なんて最終日に書く人もいたけど、何馬鹿なこと言ってるんだと思った。
>そんなのを仏教だというのであれば、仏教はいいものを何も生みださない。
>善きものが閉鎖して、悪い者が繁殖するだけの教えになってしまう。
>何とも情けない限り。
 
うん、うんと頷いています。
お釈迦様が入滅される直前、悪魔が出てきて、「もう教えがしっかり世に広まり、弟子たちもしっかり育ったので、今こそ入滅される時です」と言われて、お釈迦様は昔した悪魔との約束に従って入滅を決意されたのですよね。
そこには論理がありました。
それを思えば、石飛道子先生は長年研鑽されてきた龍樹本を出したら、その時、マニカナを閉鎖しようと思っていたと仰ってましたから、お釈迦様のように心穏やかだったわけではないと思います。
そこが何とも残念です。
秋は深まり、だんだん寒くなってきましたが、ご自愛くださいね。それでは、また。

 

 

 

くりさん、お久しぶりです。

マニカナ掲示板、閉鎖されてしまいましたね。

仏教学者で大学の先生が直接主催されている仏教掲示板でとても良質なサイトでしたので残念です。

芳和さんという人が投稿し始めて初めの2週間は良かったのですが、すぐ癇癪を起してしまって、それから石飛先生に罵詈雑言するようになりました。

ここで一気に心理的な参入ハードルが下がったため、相次いでミチオ君やメッターなどヤフー掲示板のときのアラシたちがなだれ込んできました。

ミチオ君もメッターも芳和さんが癇癪起こさなければ入ってこれなかったと思います。

それからの酷さはくりさんもご覧になった通りです。

私はヤフー掲示板で良質なスレッドがアラシのために閉鎖される光景を数多く見てきました。

アラシがそのスレッドに居続けるせいで、新規の投稿者が激減し、常連や古参の投稿者もだんだん投稿しなくなるのです。

毎回繰り返される罵詈雑言に加え、そのように有益な投稿もめっきり減ってしまうのでスレ主がそのスレッドを継続するモチベーションがなくなり閉鎖に至るパターンばかりでした。

このことを危惧し、私は石飛先生に何度か、ルールを作って従わない者は投稿禁止とするべきと進言しましたが、『そのうち飽きて来なくなるでしょう』と思われていたようです。

アラシする者は、みんな自己重要感が枯渇している者ばかりなので、『飽きる』というようなことにはならないとも言ったのですが。

 

 

>縁起だから閉鎖するのも仕方ない、誰も責めちゃいけない、
>閉鎖するのも無常で美しい、なんて最終日に書く人もいた
 
本当にこれは何なんでしょうね。
『縁起』という言葉をこのように使ってしまう人が日本では大部分だということでしょう。
『縁起』というものを、『自分以外の無数の原因や条件によってこのような現象が起きているのだから、自我で何とかしようと思ったり誰かを責めたりしてはいけない。文句を言わずそのまま受け入れるべき。』というように捉えてしまっています。
このような間違った意味の『縁起』こそ仏教の核心だと思い込んでいます。
これは、歴史上の仏陀が最も嫌った、意思否定論、運命論です。
自分を離れたところですべては決まっている、みたいな感じですね。
原始仏典に、仏陀がこのような『縁起』の意味の使い方をしたことはただの一回もありません。
 
最近、正法・像法・末法ということを考えることがあります。
仏陀が言ったことではないので重要視はしていませんが、ただひとつ、歴史上の仏陀の言葉として『贋金が本物に取って替わられるときが来る』という言葉は確かあったような気がします。
それが、後世になって、像法という名前をつけられたのでしょう。
確か、同じく歴史上の仏陀の言葉として、(比丘尼を認めたために)正法は500年しか続かないとの言葉もあったような気がします。
このことを元にして、正法の時代は500年しか続かず、その後に像法の時代となるとされたのでしょう。
そして、『像』の意味は、形だけは残るが中身が全く違うということです。
そして、実際に仏教史ではそれが起こったような気がします。
『縁起』という言葉は残って重要視されていますが、その中身の意味が仏陀が言った意味と全く違ってしまったと思います。
 
それにしても、良質のサイトの閉鎖は残念ですね。
くりさんが言われるように、大般涅槃経での仏陀を思い出します。
その時のアーナンダが古参のpocketという人なのかもしれません。
『それを言うか?』みたいな感じですかね。
仏陀もアーナンダに違う言葉を言ってほしかったのでしょう。
pocketという人の『出版する本を宣伝しようとしている』という言葉によって、私は、本を出版した後には絶対にマニカナに投稿しないと心に決めましたから、やはり言葉を選ぶべき人だったかもしれませんね。
 
今回、過去ログで『ショーシャンク』という言葉にヒットしたものだけを保存して掲載しました。
マニカナのほんの一部分ではありますが、それでも喜んでいただけたのはうれしいことです。
 
何か急に寒くなりましたね。くりさんもご自愛ください。