仏教についてのひとりごと 128

掲示板から離れたい理由の一つは、ある人へのレスにいろいろな人が横から割り込んできて一つの言葉だけを捉えて質問してくるので、時間がいくらあっても足らなくなってくることです。

話には相手とのやり取りの流れがあってその言葉を使っているのですから
前後の文脈をちゃんと読めば、その言葉がどういう意味で使われたかははっきりとわかるはずです。
文脈を読まないで、その言葉だけを取り上げて、それに対して質問され、それに答えることがいかに時間の膨大な浪費になることか。

例えば、あなたが質問してきた『わたしにも強固な自我が厳然としてあり』という文の中の『自我』という言葉だけを取り上げて質問されても困ります。
言葉には様々な意味があり、自我という言葉も我執という意味やアートマンという意味もあるでしょう。しかし、前後の文脈をちゃんと読めば簡単に判断できるものです。

あなたは私のその前からの文脈を読んでから質問していますか?

前から続くやり取りの中で、私は『五蘊(色・受・想・行・識)が『わたし』ではない、つまり非我であることは、仏陀が繰り返し言っていることです。これは認めますか?認めませんか?
そして、私は、五蘊の集まりを『わたし』だと強烈に思い込んでいる事実があります。
五蘊の集まりがあり、名前があります。それを『わたし』と思い込んでいます。あなたもそうでしょう?そうでないと生活できないですね?』と書いています。

仏陀が非我と言われている五蘊の集まりを、私は『わたし』としてそう思い込んで生活してます。その流れがあり、そういう意味で『わたしにも強固な自我が厳然としてあり』と書いているのがわかりませんか?

それを『自我』という言葉だけを取り上げて、アートマンかどうか、という質問は、全く投稿を読んでいないということです。

どうか、他の人にもお願いしたいですが、もし質問してくるのであれば、ちゃんと投稿を読んでから質問してください。
質問にはすべて真摯に答えることを信条としてきましたが、全く投稿を読まずに言葉だけをピックアップして質問してくる人があまりにも多く、それに真摯に答えようとすると時間を膨大に浪費してしまいます。

最低限、ちゃんと文章を読んでからにしてください。

 

 

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大乗仏教一辺倒の日本に生まれ、仏教に関心があるものであれば、まずは大乗仏教を研究するでしょう。私もそうでした。
ですから、大乗仏教の考えはわかっています。
もし、あなたが、大乗仏教をすることで人生が自分の理想的な方向に向かうのであれば、それは素晴らしいことで応援します。

このスレにもいろいろ書いてきたことを読んでいただければわかりますが、私は大乗仏教に物足りなさを感じて、いったんそれまでの知識をすべて捨て去って、白紙の状態から、歴史上の仏陀が本当は何を言ったかを探求し始めたのです。
その『物足りなさ』は何かは多く書いてきましたので読んでください。

大乗仏教を素晴らしいという人は多く、それはそれでいいことです。私も大乗仏典のすばらしさは身に沁みてわかっていますよ。
ただ、大乗仏教は観念的になりすぎて、そのような観念論で本当に人間が、人生が、変わるものだろうか、と思っただけです。

仏陀は人類最大の教師だと私は思っています。
そして、現代になって文献学が発達してやっと、仏陀の肉声に近い経典がどの経典かがはっきりとわかってきました。
人類最大の教師の肉声に迫りたいというのが私の希望なのです。

ですから、他の人が大乗仏教を信仰しようと、キリスト教を信仰しようと、イスラム教を信仰しようとそれはそれでその人に合った人生を送ればいいと思っていますよ。

私は歴史上の仏陀が言っていないから間違いだとは言ったことはないのです。
『それは歴史上の仏陀が言ったことでない』ということはあります。
それが事実だから。
間違いか正しいかを言っているわけではありません。
歴史上の仏陀が言っていなくとも正しいことはごまんとあるでしょう。そういうことです。

 

 

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こちらの質問に正面から答えず、言葉遊びではぐらかす行為が真摯ですか?
答えてください。

例えばあなたは私の質問、
【<<あなたの無明を 晴らすことではなく  わたしの無明を 晴らすことが あなたにどう関係するかで  仏説も成り立ちます>>はどういう意味なのですか?】
に答えていません。

あなたが本当に真摯で、他人に自分が言うことを理解してもらおうとする思いがあるのであれば
自分が書いた文章の意味を聞かれたら答えるはずです。

あなたの書いた文章、
<<あなたの無明を 晴らすことではなく  わたしの無明を 晴らすことが あなたにどう関係するかで  仏説も成り立ちます>>
は、仏陀の説いた教えからするととんでもない文章のように思えます。

第一、自分の無明は自分でしか滅することはできないのが仏教の根本です。
あなたの文章は仏教の根本に反していると感じられたので、書いた意味を聞いているのです。
答えてください。

この質問に答えないようであれば、今後、あなたは真摯でないただの時間つぶしの人として無視しまうので、必ず答えてください。

 

 

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<<ジャンヌダルク は 正しき裁判によって 魔女とされました その魔女は バチカンで 聖人として並んでいます>>

ジャンヌダルクの裁判が正しい裁判?
ジャンヌダルクの裁判は違法だらけであったのは常識です。
教会法に規定する弁護士もつけてもらえませんでした。完全な法律違反です。
女囚に男性の監視員をつけるのは禁止されていますが、それも法律違反です。
宗教裁判は教会の牢に入れられなければいけませんが、そうされず、法律違反です。

あなたは何をもって、<<ジャンヌダルク は 正しき裁判によって 魔女とされました>>と書いたのですか?
その根拠を答えてください。

 

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<<今の裁判制度は正しい裁判制度ですか  今における正しさは これから変わることはありませんか ?>>

何を馬鹿なことを言ってるのですか?
裁判はその時の法律に基づき行われないならば、正しい裁判でないことはあなたにもわかりませんか?
ジャンヌダルクの裁判は、裁判とは名ばかりの違法そのものでした。
裁判長自体がその資格を有してなかったのです。
ジャンヌダルクが火あぶりにされたのは、何故か知ってますか?
男装したという理由だけです。
とてもではないけど、まともな裁判ではありません。
だから復権裁判が行われたのです。

あなたは何をもって、ジャンヌダルクの裁判が正しい裁判だと書いたのですか?
答えてください。

これから出ますので、必ずはぐらかさずに答えておいてください。

 

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<<弥陀に賜る 信心が 無明を滅します  「 仏法の大海へは 信より入る 」(  仏法の大海は信を能入とする  「 大知度論 」 )>>


龍樹の『大智度論』の言葉は『仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す』です。

あなたは勝手に言葉を切り取っては自分の都合のいいように解釈しているだけです。

龍樹は、入るのは信で入るが、渡るのは智がなければならない、と言っているのです。

弥陀の信心が無明を滅するなどという意味ではありません。

 

 

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春間氏と和弘氏は何から何までよく似ていますね。
人の話は聞かず人の質問には答えず自説を他人のスレッドに大量投稿。

龍樹、道元親鸞の3人に心酔しているところもそっくりです。

何もかもがごちゃまぜで、自力の禅の話をしているかと思ったら他力の親鸞のことばかり言い出したり。
龍樹、道元親鸞の教えをすべて中途半端に切り貼りしているので、曹洞宗の人から見てもまがい物だし、浄土真宗の人から見てもまがい物なのですが、本人は気がついていないようです。

親鸞の教えをかたくなにしているmicの方が格段にマシですね。

 

 

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いいですか?
ジャンヌダルクの裁判が正しい裁判と判断したのはあなたですよ?

そして、歴史上の事実として、ジャンヌダルクの裁判は教会法で決められた弁護士もつけられず、すべての処遇が当時の法律からしても違法そのものでした。
この史実をあなたは否定するのですか?

史実からすると、正しい裁判ではないことは明白なのです。
ここで『正しい裁判』とは『法律に基づいた裁判』のことです。

なのに、あなたはジャンヌダルクの裁判が正しい裁判だと断定しています。
ですから、その理由を聞いたのです。

 

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<<あなたはそう切りとる>>

 

あなたが勝手に切り取っているのですよ。

本当は『仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す』なのに
『仏法の大海へは 信より入る 』だけを切り取って、<<信心が 無明を滅します>>という結論を勝手に出している。
しかし、原文はその後に『智を能度と為す』があって、智を重要視しているのです。

あなたが自分勝手に切り貼りしているだけです。

 

 

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<<原文には 『仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す』とはなってはいません
 鳩摩羅什 漢訳 の 翻訳文を 切り取ると「佛法大海信為能入智為能度如是義者即是信」 です  義者即是信  と  知りなさい>>

 

う~ん(笑)
私は龍樹には何の興味もありませんが、あなたの文を見ていると、本当に龍樹の言っていることを把握しているかどうか疑問です。
あなたは、意気揚々と『『仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す』とはなってはいません』と書いていますが
『佛法大海信為能入智為能度如是義者即是信』を読み下すと、『仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す。如是の義とは、即ち是れ信なり。』です。
『仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す』が一つの文です。
一つの文をあなたは『仏法の大海は、信を能入と為す』とだけ切り取ったのです。
次が『如是の義とは、即ち是れ信なり。』という一文です。
あなたのように『義者即是信』と切り取ったら意味がなくなります。

ここで龍樹が言っている『如是』とは、摩訶般若波羅蜜経の最初の『如是我聞』の『如是』を解説したものです。

『如是』が信だと言っているのです。
そして、その前の一文『仏法の大海は、信を能入と為し、智を能度と為す』では
仏法の大海に入るのに信をもってして、大海を渡って彼岸に至るのは智によるということを言っているのです。

あなたは龍樹の書いている意味を把握していないように思えます。

 

 

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今回はあなたがしつこく自説を展開するので、これを機に、あなたの論理の欺瞞性を証明してみようと思ったのです。

あなたは、龍樹に関しても、ジャンヌ・ダルクに関しても、中途半端な知識、思い込みで断定を下しているのです。
あなたは、『ジャンヌ・ダルクは正しい裁判によって魔女とされた。その魔女はバチカンで聖女とされた。バチカンがどう扱おうと殺せ殺せと言った者です。』と書きました。
あなたは、ジャンヌ・ダルクが『正しい裁判』によって決められた『魔女』と断定しているのです。

それに対し、ジャンヌ・ダルクの裁判は法律違反満載であったことは誰もが知る歴史上の事実なので、私はあなたに『正しい裁判と判断する根拠は何ですか?』と聞きました。

そうすると、また、いつものように、『正しいことは正しいことと判断される その場所において正しいこととされる』『それは正当ではないという正しい判断を(あなたが)不当化する根拠はその場所においてはない』などと支離滅裂なことを書いて煙に巻くのです。
他人に対しては『正しい』『正しくない』の判断はできないという論理を繰り出すのに、自分は勝手に『正しい裁判』などと断定を下すのです。

この論理の欺瞞性は、あなたと和弘氏に共通です。
他人は断定してはいけない、自分は勝手に断定する、のです。
あなたと和弘氏に共通なのは、龍樹に毒されていることです。
私は、龍樹の本質は相手を言い負かすための論理だと思っています。
龍樹は説一切有部などと生涯、論争に明け暮れました。
相手が『本当の仏陀が言ったことによるとこれが正しい』と言うと、『正しい』『正しくない』の判断はできないという論理を繰り出すのです。

また今度もそうなることはわかっていましたから、『ジャンヌ・ダルクの裁判の正当性』『龍樹の大智度論最初の文言』という具体例に絞ったのです。

そうすると、『あなたには今は機にない それだけです』という捨て台詞を残して逃げました。
あなたの論理によると、『あなたは今は機にない』という断定、判断は下せないはずですよね。

あなたの論理はすべて、相手を言い負かすためだけのものです。
龍樹の最期を知っていますか?
相手を言い負かすために論争に明け暮れていてはいけないということです。

 

 

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<<どこで どのように 行われようと 裁きは 常に そこに於いてのみ 正しいことを基準として 為されます>>

あなたが『ジャンヌダルクは正しい裁判で決められた魔女だ。バチカンが何と言おうとも。』と断定したのですよ。
あなたの論理であれば、歴史上起きた『魔女狩り裁判』はすべて正しいということですね?

 

~~~~~~

 

ごまかさないで、ちゃんと答えてください。

<<その裁きで魔女とする>>のはあなたですよ。
あなたは『ジャンヌダルクは正しい裁判で決められた魔女だ。バチカンが何と言おうとも。』と書きましたね?それは認めますか?

あなたの言葉<<どこで どのように 行われようと 裁きは 常に そこに於いてのみ 正しいことを基準として 為されます>>であれば
あなたは、すべての魔女狩り裁判を正しいと言っているのですよね?

 

~~~~~~

 

<<あなたはいつも 当事者として 歴史のどこへでも 登場する>>
<<わたしが間違っていてあなたの裁きが正しいとあなたは裁く>>

いいですか?
あなたが最初に『ジャンヌダルクは正しい裁判で決められた魔女だ。バチカンが何と言おうとも。』と書いたのですよ。
あなたがジャンヌダルクが魔女だと裁いたのですよ。

復権裁判も開かれて、ジャンヌダルクの裁判は間違いだったと証明されたにもかかわらず。

あなたの<<どこで どのように 行われようと 裁きは 常に そこに於いてのみ 正しいことを基準として 為されます>>という言葉だと、すべての魔女裁判も正しいことを基準にして為されたということですよね?
逃げないで、ごまかさないで、ちゃんと答えてください。

 

~~~~~~

 

<<ジャンヌダルク は 正しき裁判によって 魔女とされました
  その魔女は バチカンで 聖人として並んでいます
  その聖人はイギリス人を殺せと 先頭に立って 民衆を奮い立たせました
  バチカンがどう扱おうと 殺せ殺せと 言った者です >>

この言葉を読みますと
ジャンヌダルクは正しき裁判によって魔女とされた
②その魔女はバチカンでは聖人とされたが、バチカンがどう扱おうと殺せ殺せと言った者だ

ということですね?
この文章からは、あなたは、ジャンヌダルクを魔女として火あぶりにした裁判を『正しき裁判』と断定していること、あなたはバチカンで聖人とされていようともジャンヌダルクを魔女とした裁判を肯定していること、の2つはその通りですね?
それ以外の解釈があるのであれば、ちゃんとした日本語で説明してください。

 

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私が聞いているのはあなたが最初に書いた、<<ジャンヌダルク は 正しき裁判によって 魔女とされました >>の中の【正しき裁判】という言葉です。

これにつき、何を根拠に【正しき裁判】というのですか?と聞いたのです。

ですから、要約した文章との差は何も関係ありません。
答えられなくなるとそういう本質でない些末なことにいちゃもんをつけて言い負かそうとするのがあなたのやり方です。

私は最初からあなたの文章の【正しき裁判】という言葉に関して聞いているだけです。

それに対するあなたの答えが
<<どこで どのように 行われようと 裁きは 常に そこに於いてのみ 正しいことを基準として 為されます>>
でした。

そうであれば、今までのすべての魔女裁判も正しいことを基準として為されたということですか?
と聞いているのです。

 

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<<魔女とする裁判は そうする裁判において 正当なる 理由を付されています>>

バチカンが聖人に列したことに関しては聞いていません。
あなたが『正しき裁判』と断定したことについてだけです。

ジャンヌ・ダルクの裁判において、彼女が生まれ育った小さな村に聞き取りにまで行きましたが
敬虔なキリスト信者という評判ばかりで魔女という証拠はまるで出てきませんでした。
身体検査までされましたがクリアーしていますし、どこをどう調べても魔女ではありませんでした。
彼女は性的な被害から身を守るため男装していましたが、男装をしないと無理やり誓約させられました。しかし、貴族の男が牢獄の彼女を襲おうとしたため身を守るためにふたたび男装したのです。
裁判所は彼女が男装したため魔女とみなし火あぶりにしたのです。
あなたはジャンヌ・ダルクの裁判の経緯を少しでも知っているのですか?
復権裁判の記録を少しでも読んだことがあるのですか?

もし、ジャンヌ・ダルクの裁判を少しでも知っていて、他の魔女裁判を少しでも知っていてなお、<<魔女とする裁判は そうする裁判において 正当なる 理由を付されています>>とあなたが言ってのけるのであれば、私はあなたを軽蔑します。

 

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<<わたしが正当としたのではなく 裁判を取り仕切る者が 正当としたのです>>

つまり、こういうことですね。

<<ジャンヌダルク は 正しき裁判によって 魔女とされました >>
<<どこで どのように 行われようと 裁きは 常に そこに於いてのみ 正しいことを基準として 為されます>>
<<正当な判決を下す その下す権威をその場においてもつ者の 正当とする理由です>>
<<魔女とする裁判は そうする裁判において 正当なる 理由を付されています>>

とあなたが書いているのは結局、
【裁判を取り仕切る者が正当としたのだから、正しき裁判なのだ!】ということなのですね。

びっくりです。
頭の悪い小学生でも言わないような論理ですね。

ということは歴史上存在したどのような冤罪裁判でも誤審裁判でも、『正しき裁判』とあなたは言うのですね。


あなたと和弘という人の文章には内容がないのです。
中身を探して皮を剥いていったら結局皮だけだったという玉ねぎのような感じです。

そう言うと、必ずあなたと和弘という人はお決まりのように
『断定するな』『判断するな』『裁くな』と言うでしょうね。

あなたがたのすべては
【他の人は断定してはいけない。自分は勝手に断定する。】
なのです。

今回のことでそれが鮮明にわかりました。
『あなたに正しいか正しくないかは判断できない』といいながら
自分は『ジャンヌダルク は 正しき裁判によって 魔女とされました』と正しいと判断しているのです。

あなたがたの文章は
【他の人は断定してはいけない。自分は勝手に断定する。】
で、すべて説明できます。

 

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> 春間さんのような「話を広げていくタイプ」とやりとりする際は、広げてきた部分については触れないで、もともとの話にあった部分についてだけやりとりしていく、というのがいいのだと思います。
> (今の例で言うなら、春間さんは自分の話をさておいてジャンヌダルクを出し、話を広げていますよね。)

確かにおっしゃる通りだと思います。
ジャンヌ・ダルクに関しては、本や映画などで思い入れもあり、ジャンヌ・ダルクの処刑裁判に関してはいろいろな想いもありますので、あの処刑裁判を【正しき裁判】と言ったのには反応してしまったところがあります。
この人は後の文章で書いていたように「民衆を扇動した」ということでジャンヌ・ダルクを非難する考えを持っているんだということがわかり、それであればそれについて話し合いたかったのですが
どこまで行っても、【正しい】という言葉の弄びだけに終始した感じです。
もっとお互いの歴史観まで深く掘り下げる会話ができることが希望でしたが、無理でした。

 

 

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【主観】と【客観】
【正しい】と【正しくない】
【天動説】と【地動説】
あなたはいつもこのように、二元対立の図式に持っていき
その二元対立の図式が虚妄だということに持っていこうとしているのです。
龍樹のやり方がそうですから。

私は、一般論での【正しい】と【正しくない】とはどういうことかを論じているわけではなく
具体的な歴史の事実としてのジャンヌ・ダルクの裁判をあなたがどう見ているかを論じたいのですよ。
ジャンヌ・ダルクが民衆を扇動してイギリス人を殺せ殺せと言ったことであなたはジャンヌ・ダルクが魔女とされても仕方ないという感情を持っているのではないですか?
そのような歴史上の具体例に関しての考えを聞きたかったのですが、いつものように延々と【正しい】【正しくない】の構図の虚妄性の問題に持って行ってしまうので、会話が深まらないのです。

ジャンヌ・ダルクに関して、あなたがどう思っているかを聞かせてください。

 

 

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> 「民衆を扇動した」という文言は、たしかに春間さんの投稿中にありますよね。
> でも、春間さん的には、それは事実を書いただけであって、そこに春間さんの「思い」を付加しているつもりはない、というふうになっているのじゃないかな、と私は感じます。
> おそらく、「非難」するつもりなどないですよ、というところじゃないかな、と。

赤い実さん、こんにちは。
確かにそう言いそうですね。
人に対しては『あなたの 客観 では そうなる そういうことを 主観 という』と言うのですが、自分は主観を交えずに事実を書けるみたいです(笑)


> なにせ春間さんは、「自分の思い」というところを超越した形で語っているというテイなんだと、私は思っています。(笑)
> ですので、「私は個人的にこう思います。」なんてことは言わないでしょうね。 
> あくまで自分は「空」である、ところから離れない語りがなにより春間さんにとっては大切なのだと思います。
> 和弘さんと春間さんはやはり似ているところがありますね。
> お二人は自分は「すごい」と思っているのに、誰かが「そう思っているだろう?」と匂わせると否定します。
> 凡夫だ、みたいに言います。
> でも、貶されたと感じると、自らを高める投稿をはじめます。

何とも疲れる二人ですね。
『唯仏与仏』とか『開示悟入』とか言って自分を仏、悟っていると言いたくて仕方ないくせに
自分で仏と言ってしまうと傲慢と言われるので凡夫と言って最大限謙遜するのですが
悟ってないと言われると自分で凡夫と言ってるはずなのに怒り出してこれだけの本を読んでるとか知識自慢を始めたりします。
困った人たちです。

私はいつも思うのですが、春間氏と和弘氏が仲良くなって二人で自分のスレで会話できるようになったら周囲の人は本当に助かりますよね。
しかし、この二人の会話が成り立つ様子がどうしても想像できません(笑)

 

 

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>>具体的な歴史の事実としてのジャンヌ・ダルクの裁判をあなたがどう見ているかを論じたいのですよ。
>具体的な事実 などと言うモノは論じて 勝論にあるのみ なんら 具体性の根拠 を 持ってはいない( 持っているという “思い” に “のみ”  存在する )
具体的な 動かぬ事実を 提示してみてください( わたしが、動かして見せますがあなたどう受けとめるかは あなた次第 )


いいですか?
こういうところが、あなたとの会話が成り立たず、ただの言葉遊びになってしまうところなのです。
私が『一般論での【正しい】と【正しくない】とはどういうことかを論じているわけではなく
具体的な歴史の事実としてのジャンヌ・ダルクの裁判をあなたがどう見ているかを論じたいのですよ』と書いたときに、その文章の意味を理解する気があるのであれば『ジャンヌ・ダルクの裁判をどう見ているか?』と素直に受け止めるでしょう。
そして、自分が把握している範囲でジャンヌダルクの裁判についての感想を答えるでしょう。

しかし、あなたは本質でない周辺の言葉の一つ一つにイチャモンを付けて回るので本質部分がいつまでたっても始まらないのです。
それはわざとですか?
あなたの知識の範囲内、あなたの把握しているジャンヌダルク裁判についてあなたがどう思っているか、と聞いているのです。
あなたが知らない範囲のことを聞いてもあなたは答えようがないですよね。
ですから、あなたが知っている範囲のジャンヌダルク裁判についてどのような感想なのかを聞いているだけです。
【具体的な 動かぬ事実】は何か?などを論じようとしているのではありません。

ジャンヌダルクについて知らないのであれば、知らないと素直に言ってくれればそれでもうそれ以上は聞きません。
あるいは、ジャンヌダルクに関して何の感想も持たない、ということであれば、それでもう聞きません。

またまたいつものように【具体的な動かぬ事実があるかないか】という抽象論に付き合いたくはないのです。
あなたはどうしても、抽象論に持っていきたいようですが。

ジャンヌダルクの裁判について感想を言いたくないのであればそう言ってくれれば、もう聞くことはないですよ。

 

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結局、あなたは
ジャンヌダルクの裁判について感想を言いたいのですか?言いたくないのですか?

言いたいのであれば言ってください。
言いたくないのであれば言わなくて結構です。

はっきりとしてください。
グダグダ抽象論に付き合うのは時間の無駄です。

 

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私と誰かとの対話中に私のスレに勝手に割り込んできて自説を語り始めたのはあなたです。
それに対してレスしているのに<<もう放かっておいてください>><<あなたに付き合いたいけれど付き合いきれない>>はないでしょう。

<<あなたは それで 十分だと 思う わたしには 何も伝わってこない>>

伝わってこないのではなく、人のレスをちゃんと読んでいないだけですよ。
あなたがジャンヌダルクのことをいきなり出してきたのです。【正しき裁判】と言って。
私はそれに対して、いろいろな史実を挙げて、裁判が正当でないことを指摘しましたよね?それも読んでいないのですか?
あきれた人ですね。


あなたも和弘という人もそうですが、結局自分の抽象論を他人のスレッドでまくし立てていい気分になりたいだけの人なのではないですか?
こちらが具体的に質問したものには一切答えられないのも二人共通です。


とりあえず、私はジャンヌダルクの裁判に関しては理由を複数個挙げて、それが正当でないことを指摘しています。過去投稿を見ればわかります。
あなたがジャンヌダルクを知らない、または意見を持たないのであれば、あなたの意見を言う必要はありませんよ。
ただ、私の意見を先に言わないからだとか、変な言いがかりをするのだけはやめてくださいね。
私は既に意見を言っていますから。

 

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>春間さんは、ジャンヌダルクのことを戦犯だと言っているんじゃないですか。

そうなんですよね。春間氏のあの文からすると、そして後の投稿からすると、春間氏はジャンヌ・ダルクを戦争の煽動者と考えていますよね。
春間氏本人は否定しますが。
もう少し素直になってほしいですね。

 

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そうですね。
春間氏のいう『ジャンヌ・ダルクが民衆を煽動した』事実はないですね。
ジャンヌ・ダルクは兵士を鼓舞したのです。
イングランドという他国に占領されていたフランスを解放するために。

ジャンヌ・ダルク復権裁判の記録は中世では稀な非常に詳細で正確な資料と言われています。
それを読むと、ジャンヌ・ダルクの処刑裁判を正当化するのは、信じられないほどにものを知らない人だな、と思います。

 

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あなたが最初にジャンヌ・ダルクの話を持ち出したのです。

しかし、あなたはごく表面的にしか、ジャンヌ・ダルクのことを知りません。

あなたはジャンヌ・ダルクの映画を1作も見てないでしょう?
ジャンヌ・ダルク復権裁判の記録も1回も読んだことはないでしょう?

もし、ジャンヌ・ダルクのことをよく知っていて、あなたのような感想しか持てないような者は、私には軽蔑の念しか持てないですね。
はっきり言いますが、あなたはモノを知らなさすぎる。

 

 

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