パーリ涅槃経1

いま、春秋社の『相応部経典』を第一集から、大事だと思われるところを書き抜いていっていますが、それと並行して、パーリ涅槃経も重要な箇所を書き抜いていきます。

仏陀の最期の言動を記録した『大般涅槃経』には、原始仏典(パーリ仏典)と大乗仏典があります。パーリ語で書かれた大般涅槃経という意味で大乗仏典の大般涅槃経と区別するためにパーリ涅槃経と呼びます。

パーリ涅槃経の訳本は多く出ていますが、ここでは岩波文庫の『ブッダ最後の旅』から抜き出します。

 

仏陀の教えが凝縮しているという意味で、パーリ涅槃経は非常に重要です。

スッタニパータは最古層の仏典であって仏陀の教えの原型が残されていますが、体系的に語られたり整えられたりしていない分、本当の理解が難しいものになっています。

その点、パーリ涅槃経は、仏陀の教えの最も重要なところが全く無駄なく語られていて、まさしく仏陀の教えを凝縮しているものとなっています。

 

 

 

修行僧たちが、未来の世に、信があり、慚じる心があり、愧じ、博学であり、努力し励み、心の念いが安定していて、知惠を持ったものであるならば、その間は、修行僧たちに繁栄が期待され、衰亡はないであろう。

 

相応部経典でも頻繁に出てきていますが、パーリ涅槃経でも、やはり慚愧が出ています。

慚愧の心が初期の仏教では非常に重要だったということです。

 

 

過去の長い時にわたって正しく悟った人々がいたが、それらすべての尊師は、五つの蓋いを捨て去って、人を弱くする心の煩悩を明らかに知って、四つのことを心に思い浮かべる修行(四念処)のうちに心をしっかりと安立し、七つの悟りのことがら(七覚支)を如実に修行して、無上の正しいさとりを完成しました。

 

未来の長い時にわたって正しく悟る人々がいるであろうが、それらすべての尊師は、五つの蓋いを捨て去って、人を弱くする心の煩悩を明らかに知って、四つのことを心に思い浮かべる修行(四念処)のうちに心をしっかりと安立し、七つの悟りのことがら(七覚支)を如実に修行して、無上の正しいさとりを完成するでしょう。

 

現在においてもまた正しく悟った人である尊師は、五つの蓋いを捨て去って、人を弱くする心の煩悩を明らかに知って、四つのことを心に思い浮かべる修行(四念処)のうちに心をしっかりと安立し、七つの悟りのことがら(七覚支)を如実に修行して、無上の正しいさとりを完成しておられます。

 

これは重要な文です。

過去、現在、未来のすべての覚者は、四念処と七覚支を修行して、無上の正しい悟りを完成する、とあります。

三十七菩提分法の中で、四念処と七覚支だけ挙げられていることは非常に興味深いです。

 

七覚支の最初の『念』は四念処を指しますから、つまり、すべての覚者は七覚支を修行して悟ったということです。

 

 

 

資産家よ、戒めをたもち、品性ある人は、なおざりにしないことによって、財産が大いに豊かになる。

これが、戒めをたもっていることによって、品性ある人の受ける第一のすぐれた利点である。

 

戒めをたもつことの利点として、財産が大いに豊かになるというのは、今までの仏教のイメージからするとあり得ない言説に思えます。

この文を見ると、仏陀は財産を豊かにすることを否定はしなかったことがわかります。

どころか、想いが因であり現象が果と説いたのですから、善き想いは善き現象をもたらすと考えていたのです。