仏教についてのひとりごと 2

仏陀が最も重要と考えていた法は何でしょうか。
それは四諦の法だと思います。
『どんな動物の足跡も象の足跡の中に納まるように、あらゆる法は四諦の中に納まる』と仏陀が言われたように、四諦の法こそが、仏陀の教えを集約したものです。
しかし、現在の世界で、どの仏教宗派も四諦の法をうち捨てています。
大乗仏教はもとより、現在の世界の原始仏教上座部仏教)の代表ともいえるテーラワーダ仏教協会でもヴィパッサナーという瞑想法は説いていても四諦の法を瞑想することはありません。

最古層の仏典であるスッタニパータにも出ていて、最重要である四諦の法はなぜ誰からも顧みられることもなく捨てられてしまったのでしょうか。
それは、結局、人類は四諦の法を全く理解できなかったからだと思います。
四諦の法の最初は『苦諦』ですが、仏陀の言う『苦』は誰にもわからなかったということだと思います。
また、四諦と並んで原始仏教の最重要な法である十二縁起も、今まで解き明かされたことがありません。
『私の悟ったこの法は微妙にして深遠であり説いても誰にもわからないであろう。』と思った仏陀の直感は正しかったのかもしれません。

 

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ダンマパダの最初の句は
『ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。』
『ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。──影がそのからだから離れないように。』
です。

これは、流行っている『引き寄せの法則』そのものですね。
仏陀の直の声を聴くのは本当に値打ちがあります。
人類は、仏陀の言おうとしたことをあまりにも捻じ曲げすぎて遠回りしてしまったのかもしれませんね。

 

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仏陀が説いた『苦諦』。
一切皆苦と翻訳されていますが、もし人類が本当に仏陀の言う『苦』がわかれば
それは最初の一歩であり、そして最後の一歩でもあると、私は考えます。
一切皆苦だと思っている人など、この世にいないです。
美味しいものを食べたらうれしい、セックスしたら楽しい、人に褒められたらうれしい、のではないでしょうか。
一切皆苦など、どう見てもペシミズムの極致ですね。

ですから、仏教は、いや仏陀の真意は、この世に受け入れられなかったのではないでしょうか。
ごく初期の愛弟子には理解できたのでしょうけど、それから仏教は大きく捻じ曲げられたと考えます。