仏陀の残してくれた筏

歴史上の仏陀は、筏を残してくれました。

筏とは、悟りのよすがとなる観念であり、それを道具、手段、方法として激流を渡っていくことが出来ます。

残念ながら、仏教は、歴史上の仏陀が残してくれた筏を捨ててしまった。

ですから、どこにも行き着きません。

 

 

仏陀の残してくれた筏とは、四諦十二縁起です。もっと言えば、三十七菩提分法です。

四諦は象の足跡です。他のどのような動物の足跡も象の足跡に包含できます。それほど大きいものです。

四諦こそ仏陀の教えの核心です。

四諦の中に八正道も十二縁起もすっぽり入ります。

 

大乗仏教は仏陀の真意の復興運動ですが、残念なことに四諦を声聞、十二縁起を縁覚の修行法としてしまいました。つまり自ら否定する二乗の修行法として捨ててしまいました。

 

部派仏教も四諦や十二縁起を徹底して瞑想するということはありませんでした。あくまでも、sati =気づき と解釈して、ヴィパッサナー瞑想が中心でした。

 

仏陀の残してくれた筏を甦らせること、これこそがこれからの時代に必要となってくると考えます。