提婆達多の謎

提婆達多は、増一阿含経では、仏弟子でありながら仏陀を殺そうとした大悪人とされています。

 

しかし、5世紀にインドを旅した法顕によると、その時には、提婆達多の教団はネパール国境付近で存続していたと言います。

つまり、提婆達多派の教団は、仏陀のサンガから出て行ってから、少なくとも1000年近くは存続していたことになります。

 

大乗仏典の法華経の提婆達多品は、提婆達多が未来世において如来となるとされています。これを解釈して法華経は悪人も成仏することを説いたとなっていますが、しかし、法華経提婆達多品では、提婆達多が悪人として描かれていません。

むしろ、前世では、仏陀の師であったとなっています。

 

提婆達多の扱い方をたどることによって、本当の仏教史が現われてくるような気がします。

 

歴史上の事実とすれば、提婆達多は、仏陀に対し、戒律を厳しくするように求めただけです。

精舎、僧院に住まずに森の中に住むこと、信者の邸宅への招待は断り食事は托鉢のみとすること、着るものは糞掃衣のみとすること、など5つの事柄で戒律を厳しくするように求めました。

そして、サンガの大多数の人たちの賛同を得たのです。

 

最終的には、その要求は受け入れられず、提婆達多は教団を割って出て行きました。

 

戒律を厳しくするように言っただけであり、最初期には称賛されていた頭陀行を励行するように求めたに過ぎません。

しかし、後世に成立した増一阿含経では、仏陀を殺そうとした大悪人となっていきます。

 

 

増一阿含経の記述と法華経の提婆達多への見方は全く違います。

 

これを見ても、グレゴリー・ショペンのいうように、大乗仏教を興した人は森の中で瞑想する人たちだったのかもしれません。

部派仏教の有り様に憤りを持った人たちだったのでしょう。

その頃の部派仏教のサンガは、財産を多く所有していたと言います。

貸金業も営んでいたようです。

ほとんど精舎(僧院)で過ごしていました。

 

大乗仏教を興した人は、むしろ、提婆達多の主張に共感していた人たちかもしれません。