第3章では、大乗仏典の内、全く流布されなかった経典『摩訶迦葉会』について考察しています。
この大乗経典において、比丘の仕事は2つ、瞑想と読誦だとされます。
それなのに、菩薩乗を信奉するある比丘たちや、声聞乗を信奉するある比丘たちは、食や衣や名声のために如来の遺骨と仏塔への礼拝や供養の行為をする、とあります。
そして、仏陀の言葉として、「比丘たちは止観の行に精進すべきである。信仰心の篤いバラモンと在家者たちがいれば彼らが私の遺骨に対して舎利供養をするだろう」と語ったとし、しかし、「愚か者の比丘は、ヨーガ、修行、説法、読誦を放棄し、生計のために遺骨の供養をしている」と語ります。
このような記述が最初期の大乗仏典にあるとすれば、こういうことが言えるでしょうか。
舎利塔の管理は、在家者が行なうことになっていたが、時を経るうちに、声聞乗(部派仏教の比丘たち)も菩薩乗(大乗仏教の比丘たち)も、生計を立てたり名声が欲しいために舎利塔の供養をするようになり、修行が疎かになっている、という状況が、大乗仏教最初期には起きていたということです。
それに対し、すくなくとも『摩訶迦葉会』では、批判しているということです。
考えてみれば、仏陀の遺骨が納められた仏塔(舎利塔)には参拝者からの膨大な供物が集まって来たはずです。
それを目当てに仏塔に常住する比丘たちが現れた、ということかもしれません。