浄土門について

  [No.17386] Re: 親鸞への疑問 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2020/01/24(Fri) 11:08:36

> 日本だからこそ親鸞聖人を生んだのでしょうか。
>
> 日本で一番信者さんを得ているのは、日本人が非僧非俗の「愚禿」の道にあっているからかな、などと思ってもいますが、本当のところはよく分かりません。
>
> 私は、親鸞聖人のような生き方は、絶対できないだろうと思うので、どんなに尊敬しても尊敬したりないと、思っています。特別な人です。


親鸞が大変お好きなのですね。
嵐の大ファンに嵐の悪口を述べ立てるようで、居心地の悪さを感じますが(笑)

日本のインテリはこぞって親鸞が好きですね。太宰治が好きな心理と似通っているのかもしれません。
『私はだめな人間です。どうしようもない人間です。』と告白する人に共感を覚えるのでしょうか。

ただ、日本で一番信者が多いのは、すべて蓮如のおかげでしょう。それまでは零細教団だったと思います。
曹洞宗も大きくなったのは、瑩山のおかげですね。
ストレ-トのウィスキ-は飲める人は少なく、大量の水で割って飲みやすいようにしたところが信者が増えた理由でしょう。
大量の水と、いろいろな風味を付加していって大衆の口に合うようにする人が要ると言うことだと思います。


非僧非俗は、私は中道すなわち八正道ではなく、たんに中途半端ないいとこ取りだと思っています。
もともと、浄土門は、出家優先の道ではなく、在家中心の教えでした。
出家で念仏するより在家で念仏する方が優れているという考えもあるくらいです。

そうであれば、還俗させられたのですから、俗として、殺生し女犯しても阿弥陀仏に救われるということを示せばよかったと思います。
漁師でもして、殺生しながらでも救いの道を探求していけばよかったのではないでしょうか。


>私は、だからこそ、親鸞は息子さんをほんとに心配していたんだなあと思うわけなのです。


それはちょっとあばたもえくぼっぽい気がします。。
親鸞が、息子を京に戻してその事情を聞いた上、とことん話したのであればそうかもしれませんが
関東の信者たちの訴えによって、会うこともなく義絶状を送っています。
やはり、教団の混乱を避けたいのが一番の動機だと思います。


 

  [No.17392] 法然と親鸞 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2020/01/24(Fri) 14:29:12

親鸞は、還俗させられても、庶民にはならず僧であることを選択しました。
ただ、僧でありながら堂々と妻帯する勇気もなかったので僧とは名乗らず非僧非俗と言って
しかし僧の恰好をして信者に食わしてもらえる特権階級に居続けたと考えます。

親鸞を見て最も残念なのは
法然が開いた易行道を難行中の難行にしてしまったことです。

法然は、命を懸けて徹底的に無知な衆生が救われる道を探しました。
そして善導の文に出会って、口称念仏にその道を見出しました。

念仏には、上中下があり、上の念仏は真理そのものを観想すること。中の念仏は仏の姿をありありと観じること。でした。

しかし、そのような観念的なことは無知な衆生には無理な道でした。

そこで法然は観念的に真理を観想することができない衆生のために、口で声を出して南無阿弥陀仏と唱えることだけでいい、
むしろ末法においてはそれだけが正行なのだと主張したのです。
とにかく四六時中唱えられる時間はすべて念仏を唱えること、としました。

声に出して念仏を唱えることは誰にでもできるので、それは瞬く間に民衆に広まっていきました。

ところが、親鸞は、そのような法然の苦労を全部駄目にしてしまった。
はからいを捨てて絶対他力に任せる、その信心こそが大事で、南無阿弥陀仏は救われていることへの感謝だと説きました。

インテリからすると、念仏の数にこだわる法然より、信心という普遍的なものを掲げる親鸞は、徹底した思想家だと受けがいいです。

しかし、口称念仏という誰でもできる道を、絶対他力への信心という非常に難しいものに変えてしまったのです。

親鸞の頭にあるのは自分の救いだけです。
法然の無知な衆生を救いたいという想いを壊してしまったと考えています。


 

 

  [No.17396] Re: 親鸞への疑問 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2020/01/25(Sat) 03:11:02


> 漁師の才能はないと思いますね。山で暮らしてきた人ですし。
> ショ-シャンクさまがおっしゃるようには、親鸞はできないでしょう。それができたら、もっと早く悟るか、あるいは世俗の道を上手に生きていったのではないかと思います。
> 「還俗させられたんだから、世俗で生きてやるぅぅぅ~」、ということも出来ないからこそ、かれは、親鸞やってますから。
> なんて不器用なんだ、と思いますが、こんなダメな親鸞だからこそ阿弥陀さまは救ってくださる、っていう、この理屈が、いいです。
> 私は、親鸞が好きなのか、親鸞の考える理屈が好きなのか、よく分かりません。
> 書いてあることに無理もなく無駄もなくムラもない、不器用に縁起だけでいく、縁起の論理を駆使して語るところが、圧倒的だと思います。


なるほど。そう言われると嵐のファンになってしまいそうになります(笑)
確かに不器用な気もしますが、太宰治が派手に鉄棒を失敗したようなところはないでしょうか。
妻の恵信尼を京に連れて戻らなかったのは、京で堂々と妻帯しては比叡山から訴えられるというような保身がなかったでしょうか。
そのような臆病さも不器用、人間の弱さと見て、親鸞らしいと言われればそうも言えますが。
少なくとも、後世の、『親鸞は僧でありながら堂々と肉食妻帯した』というイメ-ジは全く違う気がしてます。
そのような弱さやずるさもえくぼになってしまうキャラではありますね。


> 阿弥陀仏にすがると言うけれど、本気ですがろうと思うのは、現実には難しいのです。

それは本当にそうだと思います。
ですから、法然は、空念仏でもいいから声に出して念仏を唱えることを教えました。
本気の精神をまず求めてしまうと、ほとんどの人はできません。
声に出して唱えること、それが阿弥陀仏を意識することなんだと法然は言っていると思います。
それは、前提として悟りの精神を要求しないので易行道です。
親鸞は、計らいを捨てて絶対他力を信じ念仏は救われていることへの感謝だと言いました。
教理的には法然より徹底していて、インテリは大好きですが、
現実問題としては、親鸞の教えは難行中の難行です。
自らの心の醜さを徹底洞察し続けた親鸞だからできた道です。
この人は、自分の救いのみを求め続けた気がします。
法然は自らは救われていて、衆生を救う道を命がけで求めたと思います。


> 誰でも、自分は、それなりだと思っています。どんなに口では卑下していても、そこそこの人物だと誰もが思うのです。比べて、上中下をつけるのが、人間です。
> いくらブッダが戒めても、そこはなかなか直らないのです。
> そういう意味では、親鸞のもとに集まって来た人たちも同じだったかもしれません。
> だからこそ、ショ-シャンクさまも、難行中の難行になってしまったとおっしゃるのではないでしょうか。
> 龍樹が、難行と易行に分けたとき、教えの難しさを身にしみて実感していたと思います。
> 衆生たちが法を手にして混乱しまくるのを見ていたことでしょう。
> 龍樹も、ゴ-タマに帰依しています。等覚者に帰依しています。
> だからこそ、阿弥陀仏の念仏を易行として勧めていると思います。


そう思いますし、法然は無智な衆生が観念的なことから入るのは無理だと知っていました。


> ショ-シャンクさまは、ブッダは比丘たちに自力で行く道を説いて、大乗のような他力の道は説かなかった、ということをおっしゃっていませんでしたか。

大乗のような、というより、浄土門のような、ということです。
想像上の神仏を信仰するという道は説かなかったと思います。
他力をたのむということはなかったように思います。


> わたしは、実は、そうでもないと思っています。
> 『スッタニパ-タ』「犀経」の中に、たった一つ、こういう詩があるのをご存じないですか。
> 45 もし、智慧ある者で、共に行を行い、善く住する、賢明なる者を友としたならば、あらゆる危難に打ち勝って、心に満足をもって、気づきをそなえて、かれとともに行じなさい。
> また、ア-ナンダがブッダに「善い友も持つことは、道の半ばに到達したに等しいのではありませんか」とたずねると、「いや、そうではない、道の全部だよ」と答えたと、経典にあります。
> ブッダがいた頃は、阿羅漢はたくさん生まれました。善き友ブッダを得て、比丘たちは、覚っていったのだと思います。
> 阿弥陀仏を善友とする者たちも、また、そういう道を行くのだと思っています。
> 「或るは勤行精進するあり。或るは信方便を以て易行にして疾く阿惟越致に至る者あり」と『十住毘婆沙論』にも、菩薩たちの行く道を説いています。

確かに、賢明なる友と修行せよ、ということは頻繁に出てきますね。
一人で修行せよということも多いですが、あるときからよき修行仲間と修行することを推奨するようになります。
サンガの発展段階かも知れません。
ただ、修行仲間と修行にいそしむことと、自分以外の神仏(他力)を信仰したりたよることは違うのではないでしょうか。

浄土門は阿弥陀仏を修行仲間と捉えているわけではなく
特に親鸞は、自分をゼロ、阿弥陀仏を100%とする信仰の道、絶対他力の道です。
自らを島とする仏陀の教えとは異質な気がしています。


 

  [No.17404] Re: 親鸞への疑問 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2020/01/25(Sat) 14:43:36


> > 妻の恵信尼を京に連れて戻らなかったのは、京で堂々と妻帯しては比叡山から訴えられるというような保身がなかったでしょうか。
>
> そんなことを考えていたとは?! 夢にも思いつきませんでした。
> 京都のお坊さんたちも、なんだのかんだの、ブツブツ。。今さら、ブツブツ。。

親鸞が妻の恵信尼を京に連れて帰らなかったのは何故か、は歴史上の謎とされています。
恵信尼が実家の資産の管理をしなければいけないので越後に帰ったという説もありますが
恵信尼消息ではかなり経済的に困窮していますので、どう考えても一緒に住んだ方がいいのです。
偉人バイアス、宗祖バイアスがかかるとどうしても解けない謎ですが
私は何のバイアスも持っていないですから、京で妻帯することによる迫害を避けたとしか考えられません。
他の合理的な理由が何か考えられるでしょうか。

> 親鸞以後、あらゆる宗派が妻帯してしまう点について、どうお感じになりますか。

かろうじて残っていた形も崩壊してしまったなと思っています。
瀬戸内寂聴が言っていましたが、中国かどこかでアジアの僧侶が集まった会議があったそうです。
そこで日本の若い坊さんが自己紹介で『私の父も僧侶です』と言ったところ、
誰もその意味が分からなかったそうです。寂聴は恥ずかしかったと書いています。

日本は仏教伝来の時から、僧侶が公務員だったりして、出家というより文化人待遇で
サンガの体をなしていないまま来ました。
当然、戒律を裏で破る人も多かったですね。
しかし、公然と破るのとは意味合いが違います。

自動車の制限速度より速いスピ-ドを出したことのある人は多くいます。
だからと言って、制限速度をなくしてしまったら何でもありになってしまいます。

キリスト教の神父が独身であることとは意味が違います。
イエス・キリストは、結婚を禁じませんでした。
しかし、仏陀は、比丘の性交を禁じました。
出家したために子孫が絶えることを嘆いて母親が泣いて頼んでために(元)妻と性交した比丘を
仏陀は追い出しました。
親鸞もどうしても女犯したいのであれば、在家で職をもって生活すればよかったと思います。
校則で私服が禁じられている高校があってどうしてもその校則を守れないとわかっているのであれば
その高校に入らなければいいだけです。

> 二人のお坊さんが川を渡ろうとしていたら、女の人が川を渡れず困っていた。
その女の人は、二人に「私を渡してもらえないか」と頼んだが、
若いお坊さんは「女性に触れてはならない」という戒律を思い出してためらっていた。
すると、もう一人の年配のお坊さんが、ひょいと女性を担いで川を渡ってしまった。
女性は礼を言って立ち去った。が、若いお坊さんは、何か釈然としない。
しばらく二人で歩いていたが、とうとう我慢できなくなって「さっき女性を担いだのは…」とか言いかけると、
年配のお坊さんが「おまえはいつまで女を担いでいるのだ」と言ったとか。何で読んだのか忘れました。

禅でよく引用されるエピソ-ドですね。
これは私もこの通りだと思います。
戒律は動機を見るべきで、仏陀も、性交したから全員破門という形のことではなく、
レイプされたりした人は自らの意志でないので破門させられたりはしなかったと思います。
親が子孫を望んで仕方なく元の妻と性交した比丘は、快楽のためという動機ではなかったですが破門しました。
出家とはこの世の縁、鎖を全部放棄するということだからだと思います。

実際、親鸞が妻帯して子孫を残したために、親鸞の子孫というだけで特権階級になっています。
骨肉相争う事態にもなってしまいました。
修行ができた弟子に法を継がせるという禅の歴史とは全く違うことになってしまいました。



> 自力念仏しても自然と真如の門に入るとも、説いています。
>
> 定散自力の称名は
> 果遂のちかひに帰してこそ
> おしへざれども自然に
> 真如の門に転入する(「浄土和讃」66、岩波文庫)


確かにそうですね。
ただ、その後、

安楽浄土をねがひつつ
他力の信をえぬひとは
仏智不思議をうたがひて
辺地・懈慢にとまるなり

とあって、絶対他力への信が前提になっているようには見えます。

法然は念仏を筏と考えていたところがあり、どんな無知な人でも行ける易行道を切り開いたと思いますが
親鸞は非常に道を高度で難しいものにしてしまった感はあります
親鸞の本質は天台本覚思想ではないかという気もします。


 

 

  [No.17417] Re: 親鸞への疑問 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2020/01/26(Sun) 09:07:18


> 親鸞は、易行道の論理を極めたと思います。


天台本覚思想が哲理を極めているのと同じですね。
もともと悟っている、もともと救われている、
修行して悟るわけではなく、念仏して救われるわけではない
すでに救われているのが真理だ。

親鸞の教えは天台本覚思想のようにある意味究極です。
私は天台本覚思想に惹かれていたときがありました。

しかし、仏陀のいう『激流』の正体をありありと見た時に
天台本覚思想は全くの間違いだと悟りました。

天台本覚思想は恐るべき退廃をもたらせました。

親鸞の教えもそうです。
非僧非俗のいいとこ取りで
修行も全くせず、信者の布施で愛人を囲っている、
浄土真宗の坊さんの退廃を見ると、天台本覚思想と同じにおいがします。


 

  [No.17428] Re: 親鸞への疑問 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2020/01/27(Mon) 10:54:25

> > 天台本覚思想が哲理を極めているのと同じですね。

> 似てないと思いますが、どんな風に同じなのでしょう。
> 正直に言うと、天台本覚思想は、巷で言われていることしか知りません。


もともと、仏教は、
煩悩の滅⇒涅槃
修行⇒悟り
因⇒果
です。
しかし、大乗仏教が起こり、その哲理は絶対一元論の天台本覚思想へと進化していきました。
世界の絶対肯定です。
この世界は仏のあらわれそのままであり排斥するものなどない、ということです。

天台本覚思想に至って、煩悩即菩提 が強調されました。
煩悩の絶対肯定です。
すべては仏のあらわれという絶対一元論は非常に魅力的です。
学生の時や定年後の、現実社会と対峙することがないときは、
そのような絶対一元の観念にふけることはできますし幸せなことだろうと思います。

ある意味究極とは、現実から遊離した観念のお遊びとしては絶対一元論は究極なのだと言うことです。

天台本覚思想によれば、すべては仏のあらわれ、すべてはもともとから悟っている、ということですから
そして煩悩も即菩提ですから、修行は必要ないということです。
煩悩を滅して菩提でもなく、修行をして涅槃でもないのです。

親鸞によれば、法蔵菩薩が阿弥陀仏になったときに、
『すべての衆生が救われなければ仏とならない』という本願が成就していて仏となったのですから
すべての衆生はすでに救われているのです。
修行をして救われるわけではなく、善行をして救われるわけでもなく
念仏をしたから救われるのでもなく、何をしなくてもすでに救われているそのことへの感謝としての念仏だとしました。

天台本覚思想そのままだと思います。

実際、天台本覚思想の日本仏教への影響力は甚大です。

道元も、『衆生本来仏。人は元々悟っているのになぜ修行しなければならないのか。』がどうしてもわからず必死に探求していきました。
その結論が、本証妙修でした。



> たえず勉強していないと、修行していないと、「仏教は腐りやすい」というのが、わたしの考えです。
> 常に精進しないと、すぐ腐っていきます。


その通りだと思います。
仏陀はずっと『怠るな』と言ってきました。
気を少し離すと激流に巻き込まれていくからです。

ゆえに、自らの意思や自力を否定していくことは恐るべき退廃を招いてしまうのです。

 

 

 

  [No.17453] Re: 親鸞への疑問 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2020/01/28(Tue) 19:31:22



> まず『すべての衆生が救われなければ仏とならない』という本願にも、
> ちょっと文句を言いたくなりますが、まあ、認めることにしましょう、太っ腹です、わたし(笑)


先生が太っ腹なんで助かります(笑)

大無量寿経の経文では十八願は、
『設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念
若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法』
ですね。
訳としては
『わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、
わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。』

十回の念仏で極楽浄土に生まれるのですから、やはり阿弥陀仏の方が太っ腹ですね。


> 結果を先に持ってきて、「救われているのなら、念仏は感謝の意味しかないだろう」というのは親鸞の説く説き方ではありません。
> 「後のものを先に持ってくる」と言う顛倒が起こっています。
> かれは、そうは言わなかった。

そうですか?報恩感謝の念仏が親鸞の念仏の本質だと思いますが。

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなりと 信じて念仏申さんと思いたつ心のおこるとき、
すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」

念仏をしたから助けられるのではなく、念仏しようと思い立ったときにはすでに助けられているということですよね。
そうして助けられていることへの報恩感謝が念仏として自然に出てくると言うことだろうと思います。
通常とは逆ですね。



> 当然、『無量寿経』などチェックします。48願一つずつ読んで、ほんとか嘘か調べるでしょう。

そんな人は少ないでしょう。
ヤフ-掲示板で、浄土真宗の寺の長男でしかし僧ではなく寺を手伝っていた人がよく来ていましたが
その人は無量寿経の「唯除の文」を知りませんでした。

もし、無量寿経を本当にそのまま信じるのであれば
念仏は10回で極楽浄土に生まれるわけですし
唯除五逆誹謗正法 のはずです。

しかし、親鸞は、五逆誹謗正法も摂取不捨から外れないとしました。

このように日本仏教特に鎌倉新仏教においては、宗祖が絶対であり
経典は二の次、歴史上の仏陀の言ったことなどは三の次でも四の次でもなく、考慮もされません。

浄土真宗の寺のその一人息子でさえ、親鸞に関するものでも歎異抄をさらっと読んだだけくらいです。
経典までチェックしている人はごく少数でしょう。
先生のようなインテリくらいです。


>誤解を恐れずに言うなら、自らの意思や自力を否定していくことは、ブッダの教えならばないと思います。
自己を洲とせよ、というのが教えでもあります。


そうなのです。仏陀(ゴ-タマ・シッダッタ)の教えには、自力否定なんてありません。
他力を頼むという考えもありません。自らを洲とせよ島とせよ、ですから。
絶対他力の親鸞の浄土門は、やはり仏陀から来たものではなく、仏教以外から来たと思っています。


>また、逆に聖道門に行った人たちが、自力だけしか使わないかと言うと、そうではない。

聖道門は、大乗を浄土門と聖道門に分けたものであって、聖道門が仏陀の教えそのままでは無いと思います。
仏陀が直接説いた教えでは、他力という考えはないと思っています。

 

  [No.17463] Re: 親鸞への疑問 投稿者:ショ-シャンク  投稿日:2020/01/30(Thu) 14:47:07


>そこが、ショ-シャンクさまの「こだわり」なのですね。
> なるほど。。そういうことか。
>絶対「絶対他力」の「絶対」は、取り除かないぞ、という固い決意が見えます。


それほど固い決意ではありません(笑)
絶対他力の『絶対』は別に取り除いて『他力』だけでもかまいません。

私の言いたいのは、浄土教は仏陀本来の教えとは異質なものと言うことです。
仏陀は、想像上の神仏の信仰を説くことはありませんでした。
他力を説くこともありませんでした。

その考えはバラモン教(ヒンズ-教)から来ているのだろうということです。
それは別に貶しているわけではなく、歴史的な事実としてそうではないかということです。

そして、それだから浄土教がいいとか悪いとか正しいとか間違っているとは思いません。
ただ、仏陀の教えとは違うものだ、ということ、
そして私は仏陀の教えが本当は何だったかを探求しているのです。
しかし私のレスに春間さんがことあるごとに親鸞を出してくるので、
『浄土教は仏陀本来の教えとは違うものなので私には興味ありません』と言いたいだけです。

浄土教で救われる人は、妙好人など数多くいると思いますよ。
私がよく知っている人でも、毎年、本願寺に家族で奉仕に行っている人を2人知っていますし
どちらもいい人ですよ。

ただ、歴史上の仏陀の言っていることを、親鸞の言葉を引用して解釈するのは間違いだとは思います。


歴史上の人物を見る場合も、その人の行ないを見て判断するのです。

親鸞は、自分の息子を関東に布教に行かせましたが、息子はとんでもないことを言い出します。
親鸞の見る目がなかったというか、息子にさえちゃんと自分の教えをわからせることができなかったということです。
そして、関東の信者から苦情が来ると、息子に会うことも話すこともなく、義絶状を送りつけます。
本当に摂取不捨なのであれば、自分の計らいで切り捨てるのは口で言ってることと実際が違うと思います。

娘の覚信尼も親鸞の死に様を見て本当に浄土にいけたのか非常に不安になっている様子です。

ですから、わたしはあまり親鸞を評価しないというだけですので
好き嫌いは平行線になるだけでしょう。