seiyaatsukoさん、こんにちは。
『仏陀の真意』を読んでいただいてありがとうございます。
まず、仏陀の理法を学ぶには、というご質問ですが、
まずは、仏陀の言葉に直接触れてください。
『ダンマパダ』から入ることがおすすめです。
原始仏典で最も基本的なのは、『ダンマパダ』『スッタニパータ』『大般涅槃経』の3つですが、『スッタニパータ』は最古層であるために、整えられてなく、分かりづらいと思います。
『ダンマパダ』はよく整えられていてすっきりと仏陀の理法を学べます。
3つとも、岩波文庫から出ています。
まずは、どの解説書にもよらず、『ダンマパダ』を直接何度も読んでみるのがおすすめです。
解説書は、私の著書も含めて、その著者の考えにしか過ぎませんから、最初にそのようなフィルターを通すべきではなく、わからなくても直接仏陀の言葉を読むことが重要です。
私はそうしてきました。
私はどの仏教学者の解説も心に響かなかったので、従来の解釈に頼るのをやめました。
そうやって、わからないままに、『ダンマパダ』などの仏陀の言葉に接していると、ほのかにわかってきます。
仏陀の理法は、すべて『生じるものはすべて滅する』ということから来ているのだと。
無常の法というのは、生滅の法、つまり生じたものは必ず滅するということです。
仏陀が言う『空』とは、生じたものは滅するはかないものだ、ということです。
そして、そのような生じては滅するようなものを『私』『私のもの』『私の本体』と見ていいのだろうか、ということになります。
『非我』です。
しかし、私たちは、生じては滅するものに自己同化しています。
深く入り込んで、守るべき『私』としています。
これが無量心を阻害し、無量感から遠ざけて、苦に向かっている原因です。
次の『仏陀の理法を修するにはどうしたらいいか』というご質問では、仏陀は無量の大海に向かう筏として、四念処や十二縁起の法を残してくれています。
四念処は、身・受・心・法につき、『私ではない』と洞察していくことです。
十二縁起とは、形成され生じては滅するものが苦であることを知らないために、形成しようとする意志を生じ、この肉体を生じ、感覚を生じ、感覚の経験を生じ、経験の記憶を生じ、それらが束となって中心を形成して、無量の境地から転落し苦の集積に向かう様を洞察するものです。
これらの仏陀の理法を心から理解し、それを忘れずに心に留め置き繰り返して念ずること、これが念=sati です。
私は、主に、四念処や十二縁起を繰り返し考えることが多いです。
それが仏陀の理法を修していることだと考えています。
seiyaatsukoさん、私も仏陀の理法を修しているところです。
また、ご自分が最も納得できる解説を参考にされたらいいと思います。
お互い、精進していきましょう。