仏陀の理法が甦る時

仏陀の理法は歴史の堆積物に埋もれてしまった、と私は考えています。

仏陀と直弟子の時代、つまり、原始仏教の時代には、仏陀の理法は活きていました。

仏陀の理法の根幹は、『生じたものは滅する』ということです。

原始仏教の時代、この理法を聞いただけで悟る人が続出しました。

『生じたものは滅する』という理法から、『苦』の理法が導かれます。

『生じたものは滅する(無常)』で、『苦』であるものを私、私のもの、わたしの本体と呼んでいいだろうか、ということで、『非我』の理法が導かれます。

無常、苦、非我です。

この深い洞察が、四諦十二縁起、四念処です。

原始仏教の時代、仏陀の理法を心に記憶して受持し繰り返し念ずることがsatiであったのです。

そして、輪廻からの解脱が最も大きな目標であったのです。

なぜかといえば、輪廻が苦そのものであるからです。

輪廻転生と死後の世界は仏陀の理法の基盤です。

しかしながら、仏陀が亡くなって根本分裂が起き原始仏教が部派仏教となってしまったときから、仏教は他教の要素を排除していく傾向や唯物的な傾向を強めていきます。

精緻な心理学へと変貌していきました。

苦の原因が煩悩にあると考え、煩悩の詳細な分析に明け暮れ、また、バラモン教に対抗してアートマンの否定(無我)を根幹にすえて、『無我なのに因果の果を受け取る主体は何か』という疑問に答えるべく極めて煩雑な理論を構築していきました。

この時点で、仏陀の理法とはかけ離れてしまいました。

sati(念)も、仏陀の理法を記憶し受持するという意味はなくなり、『気づき』とされました。

輪廻転生や死後の世界、そして神霊の存在などはほとんど説かれなくなり、ただの心理学や哲学倫理学になっていきました。

心理学的に煩悩の滅によって苦が滅し心が安定する、ということが仏教の最終目標とされるようになりました。

 

大乗仏教は、サンガの中で高度な瞑想体験をしていた比丘たちが、『そのようなものは仏陀の真意ではない!』と叫んで興していったものだと私は考えています。

部派仏教が輪廻転生や死後の世界、神霊の存在、神通力の存在を片隅に追いやり、ひたすら唯物的な心理学に明け暮れるようになり、煩悩の滅が究極の境地であり灰身滅智の無の状態を目指してしまったことから、大乗仏教はそのアンチテーゼとして興りました。

煩悩を滅した後の大いなる境地を強調し、大我を立てるまで行きます。

しかし、仏陀の理法である、四諦十二縁起、四念処などは、声聞縁覚という小乗の使徒の修行法として切り捨ててしまいました。

ひたすら大乗経典を読誦するか、無思考状態の禅定を極端に重視するようになります。

 

仏陀の理法を心に記憶し受持し繰り返し念ずるということはしませんでした。

 

仏陀の理法を洞察することにより、慧が得られるというのが、仏陀の真意です。

思考を減らしていくただの禅定は、仏陀の出家直後にすでに『これは涅槃や解脱に赴くものではない』としているのです。

その後、断食行と止息行という苦行の後、苦行でも涅槃に達しないと見極め、苦行を捨てて理法を洞察することによって涅槃に達したのです。

玉城康四郞は『ダンマの顕現』の中で、座禅によりさとりの状態になることが度々あったがいつも時間が経つと元の木阿弥になった、と書いています。

無思考状態を究めると、一時的に自我のない状態に達することはできるかもしれませんが、自我(私という中心があるという感覚)は、自我が成り立つありさまを洞察する四諦十二縁起四念処の理法によらなければ、根本解決とはならず瞑想状態から日常生活に戻れば程なくして元の木阿弥になるということでしょう。

それゆえ、禅定至上主義は慧解脱ではなく心解脱だと思っています。

 

仏陀とその直弟子の時代、仏陀の理法は活き活きとして悟る者が続出しましたが、根本分裂以降は煩瑣な神学的理論を構築するだけであり、そのアンチテーゼとして興った大乗仏教も仏陀の理法を片隅にしたままで経典読誦や無思考の禅定というものを重視していくことになります。

経典読誦をより簡単にしたものが口称念仏であり題目です。

経典の真髄がこもっているものということで、大衆に広まっていきました。

 

つまり、四諦十二縁起、四念処などの仏陀の理法は根本分裂以降、歴史の堆積物に埋もれてしまったと思っています。

 

いま、それが甦る時だろうと思っています。