人は何故、うつになるのか?

 
 
 id:okomechan7  
ショーシャンクさん、こんばんは。
株のブログの方で何度か質問させていただいておりましたが、本日はこちらにお邪魔させてください(^^)
 
「仏陀の真意」を読みました!
以前、仏教のブログで長者窮子のお話を読んで、面白い話だなと感じておりましたので、「仏陀の真意」に興味を持ちました。
とはいえ、日常では無宗教のような生活をしておりますので、これから勘違いコメントを記載するかもしれません・・・お許しください。
内容が深く、難しく感じるところもありましたが、スッタニパータなどを引用してその内容を丁寧に説明してくださっており、読み進めることができました。
 
私は、十二縁起の本当の意味(p167~p168)という箇所がとても心に残りました。
「私という中心」がなぜ確立していくのか、私の中で明らかになったような気がしました。
また、第7章は、心が揺さぶられる内容でした。
私は以前、うつ病で会社を休職したことがあるのですが、第7章を読み、当時の気持ちや記憶を思い出しました。
仕事を一生懸命頑張っていたのですが、無理をしていたようで、不眠からうつ病なりました。
産業医面談の中で、会社の保健師さんに、「あなたがどれだけ周囲からの仕事を引き受け、頑張ったとしても、『周囲にいる人の2割はあなたのことが好き、6割はどちらでもない、2割はあなたのことが嫌い』という262の法則があり、万人に好かれることは無いのよ」という話を聞きました。
わたしは、皆に良い顔をして、仕事を増やし、自分の身を削っていたわけです。
また、当初通っていた精神科は、薬を増やして休職せずに仕事を続けるといった方針でしたが、会社の産業医と保健師から、今必要なのは休むことだと言っていただき、薬は増やさず休職となりました。これは後々、薬をやめる上でもよかったことです。
私は少量の服薬だったと思いますが、依存性が強く、断薬するのに苦労したのです。
自分の話が長くなってしまい申し訳ありません。
もし当時の私が仏陀の理法を知っていたら、もっと客観的に自分の状態をみることができ、早くに相談し、立ち止まれた可能性があるなと思います。
精神科に行き、服薬して治療することも大切だと思うのですが(もちろん服薬だけでなくカウンセリングも行っていると思いますが)、自分の思考を改めて見つめなおすことが大切だと考えています。
今でも、類似した状況になると、頭痛がして心がざわつきますので、その時は読み返して思い出したいと思います。
私は30代ですが、もっと若い方にも広まるといいな~と思いました。
貴重な本と出会うことができ感謝しております、ありがとうございました。

 

 

okomechanさん、おはようございます。

『仏陀の真意』を読んでいただき、本当にありがとうございます!

人は何故、うつになるのでしょうか。

それは、自らの自己重要感を損い続けるからです。

自己重要感を損い続けて、精神が枯渇しきったとき、人はうつになります。

ストレスとは何でしょうか。

それは『嫌だなあ』と思うことです。

そう感じることによって、いい気分であることを損い続けてしまいます。

もちろん、人生において、『嫌だなあ』と思うことを全くしなくていい人なんていません。

しかし、ほとんどの人は、しなくてもいい『嫌なこと』をし続けてしまいます。

それは、『人に好かれたい』からです。

頼まれると断ることができない、断ると私は嫌われてしまうのではないか、と人は考えます。

特に日本では、人に嫌われることを異常に怖れます。

それは、『世間様』が絶対神だからです。

世間様という何が何だかわからない、得体の知れないものを、何より大事に思っているのです。

それは、『他人の目』の集合体です。

 

歴史上の仏陀はどのような生き方をしましたか。

王族の一人息子、皇太子であり、妻と生まれたばかりの息子もいました。

国王である父親は、ゴータマ・シッダッタが出家することを一番怖れていました。

唯一の後継者であるからです。

しかし、父を捨て妻を捨て子供を捨て、国を継ぐ責任も父親としての責任も夫としての責任もすべて放棄してしまいました。

なんとも自分勝手、無責任極まりない生き方です。

 

ここに気づかなくてはいけません。

そのような人が、『私たちはみな縁起によって生かされている。人はみな一人では生きられない。いま食べているお米は農家の人たちが苦労して作ったものだしいま着ている服も大勢の人たちのおかげでできている。この世はすべて関係性でできている。自分は自分以外のものすべてに支えられて生きている。それが縁起。世間様のおかげで生きていられる。ありがたいことです。ご縁を大切に』と言うような意味で『縁起』と言う言葉を使うわけありません。

現代の日本仏教は、このような『関係性』『縁起』『世間様』を仏教の根幹としてしまったので、日本人は『世間様』を異常に怖れるのです。

 

隠れうつの人がいかに多いか、私はよく知っています。

 

いつもニコニコしていて、お客様からも『あなたはいつも楽しそうでいいわね。悩みなんか何もないでしょ。』と言われていた人が、実は重度のうつ病だったことがあります。

そのようなことに数多く接してきました。

 

うつになる人はみんな、優しく善良な人たちです。

 

仏陀の真意からかけ離れた今の仏教解釈では、そのような人たちに何の役にも立たないものになっています。

 

苦の集積に向かう流れを断ち切り、無量の方向に向かわなければ人間は大変なことになるのです。

 

そういう意味からも、『仏陀の真意』を世に問うた意味はあると考えています。