okomechanさん、おはようございます。
『仏陀の真意』を読んでいただき、本当にありがとうございます!
人は何故、うつになるのでしょうか。
それは、自らの自己重要感を損い続けるからです。
自己重要感を損い続けて、精神が枯渇しきったとき、人はうつになります。
ストレスとは何でしょうか。
それは『嫌だなあ』と思うことです。
そう感じることによって、いい気分であることを損い続けてしまいます。
もちろん、人生において、『嫌だなあ』と思うことを全くしなくていい人なんていません。
しかし、ほとんどの人は、しなくてもいい『嫌なこと』をし続けてしまいます。
それは、『人に好かれたい』からです。
頼まれると断ることができない、断ると私は嫌われてしまうのではないか、と人は考えます。
特に日本では、人に嫌われることを異常に怖れます。
それは、『世間様』が絶対神だからです。
世間様という何が何だかわからない、得体の知れないものを、何より大事に思っているのです。
それは、『他人の目』の集合体です。
歴史上の仏陀はどのような生き方をしましたか。
王族の一人息子、皇太子であり、妻と生まれたばかりの息子もいました。
国王である父親は、ゴータマ・シッダッタが出家することを一番怖れていました。
唯一の後継者であるからです。
しかし、父を捨て妻を捨て子供を捨て、国を継ぐ責任も父親としての責任も夫としての責任もすべて放棄してしまいました。
なんとも自分勝手、無責任極まりない生き方です。
ここに気づかなくてはいけません。
そのような人が、『私たちはみな縁起によって生かされている。人はみな一人では生きられない。いま食べているお米は農家の人たちが苦労して作ったものだしいま着ている服も大勢の人たちのおかげでできている。この世はすべて関係性でできている。自分は自分以外のものすべてに支えられて生きている。それが縁起。世間様のおかげで生きていられる。ありがたいことです。ご縁を大切に』と言うような意味で『縁起』と言う言葉を使うわけありません。
現代の日本仏教は、このような『関係性』『縁起』『世間様』を仏教の根幹としてしまったので、日本人は『世間様』を異常に怖れるのです。
隠れうつの人がいかに多いか、私はよく知っています。
いつもニコニコしていて、お客様からも『あなたはいつも楽しそうでいいわね。悩みなんか何もないでしょ。』と言われていた人が、実は重度のうつ病だったことがあります。
そのようなことに数多く接してきました。
うつになる人はみんな、優しく善良な人たちです。
仏陀の真意からかけ離れた今の仏教解釈では、そのような人たちに何の役にも立たないものになっています。
苦の集積に向かう流れを断ち切り、無量の方向に向かわなければ人間は大変なことになるのです。
そういう意味からも、『仏陀の真意』を世に問うた意味はあると考えています。