やまびこさん、こんにちは。
いまの仏教の根本教理といえば、ほとんどの人が『縁起』と『空』をあげるでしょう。
その『空』は縁起から導き出された概念です。
すべての存在は、他の無数の要素から成り立っているために(縁起)、それ固有の自性というものはなく、実体がなく、空である、という理論です。
『無我』も縁起から導き出されています。
しかし、『仏陀の真意』に書きましたように、仏陀がそのような意味で『縁起』という言葉を使ったことは一度もありません。
『空』という言葉も、最古層の仏典『スッタニパータ』では、『生じては滅するはかないもの』という意味です。
無常の意味で、空を使っています。
『世界を空と観じよ』というのは、『世界は生じては滅するはかないものと観じなさい』という意味です。
『有無』に関しても、『どのような存在もすでに生じているのだから『無』ということはできないし、必ず滅していくのだから『有』ということはできない。』として、有でも無でもない、と言ったのです。
今の日本仏教の理論の基になっているのは龍樹です。
なにせ、八宗の祖といわれていて、すべての大乗仏教宗派の祖と思われています。
龍樹は言葉を否定していきます。
このため、日本仏教では、『悟りとは言葉では表せない。いわく言い難いものだ。』というのが常識になって来ました。
仏陀は悟りの内容は経典に残していない、などと言われますが、『仏陀の真意』に書きましたように、仏陀は自らの成道の時の様子を詳しく説いています。
もうそろそろ、歴史上の仏陀の真意を歴史の呪縛から解き放ってもいい時代になったのではないかと思っています。
歴史上の仏陀の本当に言いたかったことを人類は知るべきだと思っています。