『誰からも好かれたい』より

 id:okomechan7  
ショーシャンクさん、こんばんは。
お返事いただきありがとうございます。
自身が善人か分かりませんが、「悩みなんて無さそう」や「話しかけやすい、頼みやすい」などよく言われていましたね・・・。うつになる要素を持っていたのですね。
また、私はうつを経験してから、人から頼まれたりすること(自らの仕事以外で)に嫌悪感を覚えるようになってしまいました。
即答できること、簡単なことであれば問題ありませんが、時間をかけて調べなければわからないなと思うことであれば、「人に使われている」と感じてしまうのです。
また、そう感じてしまう自分に「うつを経験してから、心が狭い(≒嫌な人間)になったものだ」と思っています。
ショーシャンクさんがおっしゃいます通り、仏陀の生き方は無責任だと思いますし、私であれば、国や家族のことを考え自分のやりたいことは我慢すると思います。
仏陀の生き方を思うと、私は、自分自身を「心が狭い人間だ」なんて思わなくていいのかなと思いました。
頼まれごとをかわして、その人から嫌われたっていいじゃないかという気持ちが必要なのでしょうか。
 
 
すみません、話が大きく変わるのですが、頼まれごとをされるのが苦手になったことと、もともと調べたりすることが好きということもあり、投資を勉強しよう(あわよくば生活費の足しになれば・・・)と至ったのですが、今後ショーシャンクさんのお考えを伺うことはできますでしょうか?(食糧危機に関して、気になる銘柄がありまして)

 

 

okomechanさん、こんにちは。

誰からも好かれている人のいい善人がうつ病になることは多いですね。

私が知っているうつの人はみんなそうです。

それは、『人から嫌われたくない』『誰からも好かれたい』という気持ちが『自分がいい気分でいよう』という気持ちを抹殺していっているからです。

もちろん、好き好んで人に嫌われる行動ばかりする必要はありませんが、『人によく見られたい』『人に嫌われたり非難されたくない』という気持ちより、自分がいい気分でいることの方を選択することは重要です。

ほとんどすべての人は、人にどう見られるか、で行動を選択してしまいます。

この馬鹿馬鹿しさに気がつくべきです。

国王の一人息子が、すべての責任と妻と子供を捨てる道を選ぶというのは、世間から大きな非難を受ける行動です。

しかし、ゴータマ・シッダッタは、そのような世間からの非難よりも、自分の苦を滅する道を探すという、自分にとっていい気分の方を選びました。

このまま悟りを開いてなかったら、ただの無責任極まる世捨て人だったのです。

しかし、この自分勝手な行動によって、世界は変わりました。

いま、ゴータマ・シッダッタの出家を自分勝手な行動だと言う人など(私を除いては)一人もいません。

人のために行動することと、人の奴隷になることは違います。

人のためになることで自分の気分がいいのであれば積極的にするべきです。

私のブログ『法律についてのひとりごと』のように、困った人を助けたいという行動は、『いい人に見られたいから』でもなく『感謝されたいから』でもなく、そうすることが自分の気分がいいからしています。

現実社会でも相談を受けることは多いのですが、今も、大学時代の友人の父親が事故で亡くなって、裁判になっているのでいろいろなアドバイス(弁護士へのメール文書作成など)を頻繁にしています。

それはそれで私もしたいからそうしています。

したくないことはしない、そう決めています。

もちろん、100%そうできるわけはなく、歯の治療など嫌なことでしていることはあるのですが、人間関係だけは、嫌な関係はどんどん切るようにしています。

人生の時間は短いので、わずらわしい人間関係に時間を取られていたら、それだけで終わってしまいます。

 

ブログ『株についてのひとりごと』で、株についての相談はいつでもいいですよ。

短絡的に、私の買った銘柄名だけを知りたいという人たちがあまりにも増えすぎたので、私独自のクローズドを作りたいと思ったのです。

クローズド掲示板の作り方を知らないので、相当先にはなると思いますが。

『株についてのひとりごと』『人生についてのひとりごと』『仏教についてのひとりごと』のどれかのブログにコメントしていただいた方から選ばせていただきます。

 

ブログ『株についてのひとりごと』は、質問いただきましたら、それにお答えするのはずっと変わりません。