仏陀の理法をねじ曲げたために

『仏陀の真意』でも書きましたが、

後世の者たちが、『縁起』という仏陀の言葉を全くねじ曲げて伝えたために、仏教は仏陀の理法とは似ても似つかないものになっていきました。

 

歴史上の仏陀が言った『縁起』とは、十二縁起を代表とする、苦の縁(よ)って起こる原因のことを言います。

 

しかし、はるか後世になってから、『縁起』とは、

『私たちはみな縁起によって生かされている。人はみな一人では生きられない。いま食べているお米は農家の人たちが苦労して作ったものだしいま着ている服も大勢の人たちのおかげでできているの。この世はすべて関係性でできている。自分は自分以外のものすべてに支えられて生きている。それが縁起。世間様のおかげで生きていられる。ありがたいことです。ご縁を大切に』

というように解釈されていきました。

今の日本仏教の『縁起』の解釈はこのようなものです。

 

このために、『世間様に感謝しなさい』『世間様に顔向けできないことは止めなさい』『世間様に恥ずかしくない行動をしなさい』

ということが最も大切な基準になっていきました。

 

店の中で自分の子供が騒いでいるときも

外国では、『神様が見ているから止めなさい』『人の迷惑になるから止めなさい』と怒るのですが、

日本では『店の人に怒られるから止めなさい』『世間体が悪いから止めなさい』と言います。

他人に迷惑をかけないという主体的な規律ではなく、店の人や他人が見てどう思うか、つまり世間様に顔向けできるかどうか、ばかり気にするようになりました。

 

常に他人の顔色ばかりを気にする善人の国になっていきました。

価値観が『世間様』なのです。

大勢に従うことが善という価値観です。

ですから、昔、『赤信号みんなで渡れば怖くない』というフレーズが流行りましたが、日本人は大勢に従うことが善だと考えているのです。

時には、法律よりも、世間様を優先することさえあります。企業ぐるみで不正をしていることが出てくるのは、上司や周りの仲間たちの同調圧力により断り切れなかったことから生じます。

 

今回の芸能人の自殺でも、他人に気を遣って気を遣って誰からも好かれていた善人が亡くなっています。

 

やはり、このことからも、仏陀と直弟子の時代の仏陀の理法を甦らせるべきだと思います。