マニカナでミチオという者がデタラメを書いていますね。
私が、『自分の隣に証券会社の社長がいる』という投稿をして、金持ちアピールしたとのこと。
全くの嘘です。
証券会社の社長でも支店長でもただの営業マンでも、来ているとか、商談しているとか、一度も投稿したことはありません。
私が金融機関との交渉のことに触れたのは次の箇所くらいです。
もちろん、仏教以外の自分スレッドかブログでです。
『ドラマ「半沢直樹」で中小企業の社長が銀行の担当に土下座して融資を頼むシーンがあります。それはあまりにも社会がわかっていないのです。私は自分の会社が倒産寸前だったときでも、日本で最大の銀行の支店長に対しても「お願い」したことはありません。金融庁の通達などを示して、「金融庁の通達にこうあるから、お宅の銀行は私の会社に融資しなければならない。」という交渉をします。必ず書面も渡します。』
と書いたのが唯一です。
これは、銀行への交渉ノウハウとして開示することが閲覧者にメリットがあると思ったからです。
そして、『倒産寸前』と言っているのですから、金持ちアピールの真逆ですね。
何とも、自己重要感が枯渇しすぎの人が多すぎです。
他の人もそうですね。
サイト主に悪口や貶しの言葉ばかり浴びせてサイト主に嫌われてまで、そのサイトに執着、寄生しているのなら、自分でホームページを作って発信したらどうですか、と書きました。
誰も、本を出せ、などと一言も言っていません。
私は何度も、審査がある商業出版と違い、自費出版はどのような内容でも誰でも出せるもので自己満足にしか過ぎないとずっと言ってきました。
たかだか誰でも出せる自費出版で、意識しすぎです。
仏教やキリスト教をしている人たちは、こんなにも自己重要感が枯渇しているのでしょうか。
それなら、仏教やキリスト教などしない方が何百倍もましですね。
一冊の本を出すのも、掲示板のカキコも同じと、わざわざ書いている人がいますが、当たり前の話です。
私は、自費出版などは究極の自己満足にすぎないとずっと言ってきているのであり、自費出版ごときが凄いことだなんて一言も言ってないし思ってもいませんね。
そんな当たり前のことをわざわざ書き込むのは、明らかに意識しすぎです。
最近、仏教やキリスト教など宗教をやっている人たちは、してない人より余計、自己重要感が枯渇しているのではないかと思ってきています。
つまり何の意味もないということです。
仮説ができるように思います。
仏教や哲学の掲示板に貼り付いて、宗教の「学識」を披露してマウントをとる人は、それによってしか優越感を満たすことができない人ではないかということです。
実社会ではほとんどの人は仏教やキリスト教など宗教に興味ありません。
ですから、少し知っているだけで、平均より知っていることになりがちです。
それに曖昧な部分が非常に多く、どれが正しいとも言えないものがあります。
他人の掲示板に貼り付いて自らの宗教の学識でマウントする行為ほど醜いものはありません。
宗教は自己探求につきますから、他者を貶して優越感を得るために使うのはとんでもない間違いですね。
しかし、いま、マニカナのような掲示板では、自己重要感が枯渇した亡者のような人たちが大量に寄生していて、絶えず他者を貶しています。
私は、実社会では、仏教のことを話すことは極めて稀です。
ほとんどの人は私が仏教に興味があることも知りません。
本を出版したことも知りません。
仏教やキリスト教を少し知っているからといって他者にマウントを取る人の気持ちがわかりません。
そんなことのために使うものではないでしょう。仏教やキリスト教など宗教の知識は他者にマウントをとって枯渇した自己重要感を上げるためのものではありません。
自己重要感を上げたいなら、実社会や家庭生活で活躍すればいいだけです。