禅のスーパースターといえば、臨済と趙州でしょう。
『 口唇皮上 に光を放つ』と言われた趙州は、ひとつひとつの言葉が光彩を放っています。
趙州といえば、無字の公案とともに有名なのが『庭前の柏樹子』です。無門関にもありますが、趙州録のほうが詳しいのでそちらから。
ある僧、趙州に問う「如何なるか是れ祖師西来意」
州曰く、「庭前の柏樹子」
僧曰く、「境をもって人に示すことなかれ」
州曰く、「吾、境をもって人に示さず」
僧曰く、「如何なるか是れ祖師西来意」
州曰く、「庭前の柏樹子」
ある僧が趙州に問うた。
『達磨大師がインドからはるばる中国へ来られた真意とは何か』
『庭の柏の樹だ』
『心の外のもので答えないでください』
『心の外のもので答えていない』
『達磨大師がインドからはるばる中国へ来られた真意とは何か』
『庭の柏の樹だ』
趙州が住んでいた観音院には、柏の樹が多くありました。
しかし、それにしても、なぜ、達磨が中国に来た真意が、そこの庭の柏の樹なのでしょうか。
前に十牛図の奥の解釈を書きました。第八第九第十一体だという解釈です。それが参考になるかも知れません。