マニカナの閲覧者さんからの質問

くり (58.191.192.212)  

ショーシャンクさま、高原さま 初めまして。
くりと申します。
 
ショーシャンクさまのmanikanaでの石飛先生との真摯な議論をある種の感動を持って読ませていただいた、仏教は初心者の者です。
ショーシャンクさまには改めてお礼申しあげます。
 
高原さまのこのコメントで一つどうしても気になったことがありましたので今回思い切ってコメントされて頂きました。
 
>芳和さんが松原泰道という人の本で読んだという言葉。
>「如来とは、釈尊の語った真理の内容を人格化したもの」
>「菩薩とは、釈尊の修行の内容を人格化したもの」
>これに石飛道子さんも同意の言葉を付けてられます。
 
ここなのですが、この芳和さまという人がmanikanaで立てた「[No.17944] あの世とかの世をともに捨てる――菩薩」というトピのことだと思うのですが、それには誰もレスされておらず、もちろん、石飛先生も何の言葉を発しておられません。
これはどういうわけでしょうか?
お教え頂ければ幸いです。

 

 

くりさん、はじめまして。来ていただいてありがとうございます。

高原さんへのご質問のようですから、高原さんから回答があるかと思います。

そののちにコメントさせていただきます。

これからもよろしくお願いいたします。

 

 

高原 (126.42.33.248)  

くりさん、はじめまして。
石飛道子さんのとこですね、そこ、芳和さんと石飛道子さんのやりとりをずっと追って読んでいたのですが、「如来と菩薩」のとこが気になって、石飛さんも返信をしてらしたような記憶があったんです。
とりあえず、ショーシャンクさんのブログに自分の意見を書かせてもらうとしても、あんまり正確さを欠くことは出来ないと思い、松原泰道さんの言葉の引用まではたどり着いて、とても探すのに時間がかかり、芳和さんのとこは写したのですが、石飛さんのところは最初の記憶だけで書いて、たぶん確認作業は怠っています。
結構、芳和さんのお話に、あとから石飛さんも「そう思います」と書かれている流れが多かったので、ぼくの記憶の中でごっちゃになったのかも知れません。
正確さに欠いたのあれば、ごめんなさい。申し訳ないです。
 
 
 
くり (58.191.192.212)  
高原さま こちらこそ初めまして。
早々にご返答ありがとうございます。
高原さまがその時の様子を詳しく書いていただいたのて、わたしの疑問は霧消いたしました。 お礼申しあげます。
当方、何ごとにおいても未熟な者ですが、これからも宜しくお願いいたします。

 

 

 

マニカナの石飛先生は龍樹の研究家です。

芳和さんという人も、龍樹がメインで唯識、道元などに親しい感じです。

春間さんもまさしく興味分野は芳和さんと全く同じです。

ですから、芳和さんは、マニカナの分野とぴったり一致しているので、今になってはじめて参加するということに驚くばかりです。

私はヤフー掲示板ではもともと株式板ばかりでしたし、東哲板(哲学板)にスレッドを立てたのはヤフー掲示板が廃止される1年半くらい前でした。

ですから、東哲板のそれ以前については全く知りません。

しかし、芳和さんにしても春間さんにしてもかなり前からの東哲板住人だったでしょうから、芳和さんははるか昔にマニカナに参加しているとばかり思っていました。

春間さんの努力によってヤフー掲示板の人が多くマニカナに参加しているようですから。

イストランさんとテルゼさんというのは名前はよく出ていましたが、その文章を見るのは初めてでした。

テルゼさんと石飛先生の間の『消える中洲』論争は非常に面白いですね。

自洲法洲の中洲は消えるものなのか、という論争です。

これは仏陀の法の根幹に関わるものなので、もっと掘り下げてよかったと思います。

テルゼという人は感情が先走りすぎて、せっかくのいい論点がただの口げんかのようになってしまっているのは残念です。

 

『仏教は無我』を標榜する人にとって『自洲法洲』の『自』は難問です。

 

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芳和さん、投稿されたようですね。

石飛先生は認めることが上手な先生ですから、どんどん投稿されたらいいと思います。

石飛先生、春間さん、芳和さんは、龍樹メインで唯識、道元などに興味範囲が広がっていますのでぴったり一致しています。

有益なものとなるでしょう。

 

わたしは、後世形成された仏教なるものの全否定から入って、仏陀より後世の宗祖たちから見た仏教知識を白紙にして仏陀の真意を探求しようとしてますので、龍樹の解釈から仏教を見ようとする立場とは正反対です。

わたしの場合どうしても正反対の見地から問題提起という形になってしまうので、本当に龍樹を掘り下げるには、龍樹信奉者が集まって掘り下げたほうがいいのは当然です。

賑わいが戻ればいいですね。

 

 

 

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昨日、上の文章のように書いたのですが、今日(10月13日)のマニカナでの芳和さんの投稿を見てびっくりしました。

懺悔をして自我解体するとさかんに言っていたのに、自分の愛読する著者を少し批判された途端、人格が一変してますね。

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 [No.18025] Re:相対性理論と「 縁起 」投稿者:芳和   投稿日:2020/10/13(Tue) 12:59:38

――龍樹を踏み台にする石飛先生――

ふ・ふ・ふ……。
「空の成立する人には一切が成立し、空の成立しない人には一切が成立しない」
矢島先生を排除しようとする石飛先生には、「一切の成立」がないということです。
矢島先生は、一切が成立した上でのご発言です。

>いいかえれば、『中論頌』を自分の踏み台にしている。仕方ない人だなあ、って思います。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」と言いますが、墓穴を掘りましたね。
「一切の見解を捨てること」の「一切」とは「何から何まで」。ご自分の見解を含めてです。
そこで、「自我の解体」という無我が立ち現れますが、石飛先生にはそれがありませんから、
学者という名利から離れならず、矢島羊吉先生を邪魔ものとして排除しようとします。
商売に支障を来すので恐いですか

 

名利のために、龍樹を踏み台にしているのは石飛先生、貴女です。

 

仏教学者以外の方の方が空の正見ができるのかも知れません。

そいうことで、石飛先生においては、空の成立が成されていないことが判明したようです。
まあ、そういう方々には仏性はあるといいますから、空の成立することを祈っています。

『中論頌』は、縁起の否定、自己否定です。

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わたしは龍樹には興味がないので、どちらがどうという感想は全くありませんが、芳和さんはほんの2週間前にマナカナに初めて来たときには『自己の見解を主張し過ぎて、相手を追い詰めてしまう阿修羅性の心癖を懺悔する者として、自己の見解に固執しないという「空」を今更ながらに頷きます。』と殊勝なことを書いてたのに、結局、ヤフー掲示板のときと何も変わってないですね。

自分の愛読している著者を少し批判されただけで、ここまで石飛先生を罵倒するとは。

いままで言い続けてきた『懺悔』や『自我の解体』や『無我』はどこに行ってしまったのでしょう。

口で言ってることと実際の振る舞いが違います。

まあ、『自分はいつも目覚めている』という人で、『犯罪者でも誰でも、すべては縁起や因果で、その人はそういう行動をするしかなかったので責めても仕方ない』をどこでも主張している人が、ブログで無駄話している人を見つけては血相変えて飛んでいって責めることを延々繰り返しているとか、口で言ってることと振る舞いが全く違う人はいますけど(笑) 殺人犯した人も縁起や因果でそういう行動をするしかないと思うのであれば、ネットで無駄話している人を自分のホームページでもないのにいちいちチェックして血相変えて責めに行くのはどう見てもおかしいと、自分で気がつかないようです。そういう人は多いですね。

芳和さんももう少し大人になっているかと思いましたが。

 

石飛先生と春間さんと芳和さんという龍樹信奉者が三人集まったのですから仲良く深い話が展開すると期待していたのに、残念です。

 

芳和さんは、論争をしないようにというスッタニパータの言葉を引いていますが、そもそも龍樹その人が説一切有部との論争に明け暮れていた人ですからね。

それも非常に攻撃的です。

ですから、多くの人に恨まれていたみたいで、小乗の僧に向かって『お前はわたしが長生きするのはうれしくないだろう』と聞いて『その通りだ』という答えを受け取った後、部屋に閉じこもって死んでいきます。これで龍樹は自殺したと考える人もいるようです。

 

その人生を見てもなんとも破天荒で攻撃的です。

なぜ龍樹が大乗仏教の祖といわれるようになったかについてはわたしの考えがあるのですがここでは伏せます。

 

龍樹の本のレビューにこのようなことを書いていた人がいました。

◆決定的な問題点: 

●悟りも救いも得られません。

●そもそも仏教は生きることが苦しみであるとしそこから救われる事が目的であり、空思想はその手段です。

●しかし本書で空思想を理解しても、何も楽になりません。救われません。他者を救えません。空思想と現実生活をつなぐものが何も示されていません。

●2章8節『否定の論理の実践』に期待しましたが、上記の疑問とは別の議論がされています。

それどころか徹底した否定の論理は『ニルヴァーナは存在しない』と結論します。

そして同節1項の最後の2行、中村先生の言葉で『各人の体験を通して理解するよりほかに仕方ない』と突き放されて終わりです。

●おそらく現存する龍樹の著作には、答えが無いのでしょう。

本書では竜樹の活動が論敵・説一切有部との論戦である事を示し、その議論に基づいて空思想が説明されています

 

さて、どうなのでしょうか。

 

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マニカナに投稿したわたしの文章を載せておきます。

対話形式なので、わたしの文章だけをピックアップすると前後わかりづらいとは思いますが、あえてわたしの部分だけ載せます。

 

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石飛先生は
『心臓の中にある光明を、ヤージュニャヴァルキヤは「プルシャ」とも呼び、「アートマン」とも呼びました。
心臓の中に「人」の形をしたプルシャがあるのだ、ということもいわれます。いつでも、「人」を離れられないのが、
ヤージュニャヴァルキヤなのか。相対的な考え方から離れられないことになってしまうような気がしてなりません。
ヤージュニャヴァルキヤは、肯定と否定、能動と受動など、いつもこの相対的な判断から離れません』
と書かれていました。

確かにヤージュニャヴァルキヤは自己(アートマン)を心臓の中の虚空に横たわっているという言い方をしている箇所があり、
ここは残念なところです。

しかし、私は、仏陀(ゴータマ・シッダッタ)が最も影響を受けたのはヤージュニャヴァルキヤだと考えます。
仏陀の教えの骨格はヤージュニャヴァルキヤにあるように思えます。

自己(アートマン)を『~に非ず ~に非ず』としたこと。
行為(業)によって輪廻転生すること。
妻を捨てて出家するという生き方。

これらを見ると、青年期のゴータマ・シッダッタはヤージュニャヴァルキヤの教えに甚大な影響を受けて出家し
行為や欲望を滅して不生に到達しようとしますがかなわず
ついに、行為や欲望のもっと元に、真の原因たる無明(苦を知らないこと)があることを発見し(四諦十二縁起)
独自のやり方で成道したのではないかと思えるのです。

ですから、仏陀は独自にそれまでにないやり方で無上の悟りを開いたのですから天上天下唯我独尊であることは確かですが
それに至るまでにヤージュニャヴァルキヤの影響は非常に大きいものがあると思っています。

 

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仏陀が言った『私には師はない』ということと
仏陀はヤージュニャヴァルキヤの影響を受けているということとは
別に矛盾しません。

師弟というのは双方向で、教え教えられの関係です。
本だけを読んでその人から直接教えを受けていないのであれば
師弟関係とは言いません。

青年期の仏陀が、インドの聖典を読んだこともなく影響を全く受けてないと思う方が現実的ではありません。
『ヴェーダの達人』とも呼ばれていますから、かなりインドの聖典には精通していたはずです。

これは、イエス・キリストが旧約聖書に詳しくて、人々が驚いたという記述を思い出させます。

イエス・キリストがそれまでの聖書(旧約聖書)を飛び越えたように
仏陀もヤージュニャヴァルキヤの教えを飛び越えて、全くそれまで到達したことのないところまで行ったと考えます。
無明=苦を知らないこと という発見はその最たるものでしょう。

 

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自己を『~に非ず』としか言えないとした点と
祭祀で自己に到達するのではないとした点、
ここにヤージュニャヴァルキヤの影響を見ているのです。



シュラマナですね。
ただ、シュラマナは、釈尊の時代以前から伝統的であったわけではなく、釈尊の自由思想家の時代になって流行したものです。

シュラマナでなくバラモンの出家はそれ以前にもあったと思いますが、名前が残っているもので最初はヤージュニャヴァルキヤです。

特にヤージュニャヴァルキヤの、妻を捨てて出家するという生き方は、
青年期のゴータマ・シッダッタの出家の決断に大きく影響を与えたのではないかと思っています。


このように、私は、ゴータマ・シッダッタの考えや生き方にヤージュニャヴァルキヤは大きく影響を与えたと思っているのです。

影響を受けた可能性について述べているだけですから、
もし何でもかんでも否定したいのであれば、ちゃんとした根拠を示してください。

むしろ、古代のインドにおいて、悟りを求めている青年が、インドの聖典を読み影響を受けたと考えるのは自然だと思いますよ。

 

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私が、仏陀がヤージュニャヴァルキヤの影響を強く受けたと思っているのは、
出家の動機からスジャーターが差し出した乳粥を受け取って飲んだときまでだと思います。


ある音楽評論家が、ベートーヴェン交響曲3番『英雄』を『これから先、ベートーヴェン』と評したことがありますが
乳粥を飲んだときから、『これから先、ゴータマ・シッダッタ』なのだろうと思います。
それまでは、ヤージュニャヴァルキヤを頂点としたヴェーダ宗教の影響下だと考えます。

出家の決断に関しても、ヤージュニャヴァルキヤが妻を捨てて出家したエピソードはかなり強く後押ししたはずです。
2人の仙人に、無所有定、非想非非想定を習ったのも、それを捨てて断食行に入ったのも
それまでの伝統的な考えの影響下でしょう。

 

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現代の日本では、それは成り立つと思います。
『仏陀は私の心の師だ』と言って何の違和感もありません。
本で読んだ哲学者を師とするのはよくあることです。

しかし、ミラレパがマルパに弟子入りしたときや、慧可が達磨に弟子入りしたときのことを思うと
特にそれ以前の古代インドにおいて、弟子入りして師弟関係を結ぶというのは少なくとも師がその人を弟子と認めることが必要ではなかったでしょうか。
そういう意味の双方向です。
仏陀そしてその後の仏教であれば、師が弟子に戒を授けるということが必須だったと思います。
ですから、仏陀がヤージュニャヴァルキヤに影響を受けていたとしても『私には師はない』ということは矛盾しないと思います。

 

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六師外道というのはひとつのキーポイントだと思います。
私が注目するのは、六師外道が、六師ともいわゆるバラモン教でないことです。
六師とも仏陀と同じ自由思想家です。
なぜ、それを『外道』の代表としたのか、そこに興味があります。
仏陀は『ヴェーダの達人』と呼ばれていました。
石飛先生によると、仏陀自身が『私はヴェーダの達人だよ』と言ったとのことです。

このことから、仏陀自身は、自身をヴェーダの流れにあるものという認識だったのではないかと考えます。

仏陀が、バラモン教を全否定したというイメージは弟子たちによって作られたものではないかと思うのです。

イエス・キリストが、ファリサイ人やその律法学者ばかりを攻撃したように記述されていてユダヤ教を否定したように思う人がいるように。

これも、どうしてサドカイ派でなくファリサイ派ばかり?と疑問に思っています。

 

 

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私も、仏陀がヴェーダをそのまま受け継いだとは思っていません。
ヴェーダを土壌としつつ、それをはるかに超えた法に至ったと思っています。

ただ、今までの仏教解釈では、ヴェーダ、いわゆるバラモン教を仏陀が全否定したということが強固に信じられていますから
それでは本当の仏陀の真意はわからないと思っているところです。

ユダヤ教を知らないとイエス・キリストは分からないように。

 

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イエス在世時は、サドカイ派も存在し、サドカイ派の方が権力に入り込んでいましたし、イエスの教えに反しているのはサドカイ派の考えで
ファリサイ派はイエスの考えに近いですし庶民派でもあります。
当然、イエスはサドカイ派の方を攻撃してもおかしくないですが、なぜか、ファリサイ派とその律法学者ばかり攻撃してます。
ここが不思議で仕方ないです。

ということは、神殿破壊でサドカイ派が消滅してから、ユダヤ教=ファリサイ派となりましたので
神殿破壊後に、弟子が記述したことから、ファリサイ派を攻撃している場面を選んだのではないかと思います。
ユダヤ教=ファリサイ派をイエスは否定したという印象をつけたかったのではないかと思うのです。

それと同じことが、仏陀の弟子にもあって、仏陀の死後、バラモン教の否定ということが強調されたと見ています。

 

 

 

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例えば、イスラム教の聖典コーランを読んでも、規律や規則、礼拝の仕方などばかりで砂をかむような思いがします。
そういうイスラム教の中でもスーフィズムが生まれてる。
魂の救済や神と一つになろうとする姿勢があって、潤いを感じるのです。
規則規律ばかりの外面的なものばかりでなく、内面を掘り下げようとするところがあることに
ホッとするのです。

 

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例えば、スーフィーの詩にこういうのがあります。

※※※※※

「神化」

蠅が蜜に落ちる。
体のどこもかしこも、部位の別なく
蜜に絡めとられて動かなくなる。

「イスティグラーク」、すなわち
忘我の境地というのは、このような状態を指す。
自意識を消滅せしめ主導権の全てを放棄した者。

その者より生じるいかなるものも、
全てその原因はその者には属さない。

水に溺れてもがいている者、あがいている者、
「溺れてしまう、沈んでしまう」と助けを求めて叫ぶ者、
そうした者は未だ「イスティグラーク」に至ってはいない。

『アナー・アル・ハック』

すなわち「われは真理(神)なり」という言は、
この境地を象徴するのにまさしく的を射ている。

人びとは考える、何という暴言、何という傲慢、と。
人びとは考える、『アナー・アル・アブド』、
すなわち「われは神のしもべなり」、
という言こそ真の謙譲を表わすのにふさわしい、と。

断じて違う。

『アナー・アル・ハック』

「われは真理なり(神なり)」こそが、
真の謙譲を表わす言である。

『アナー・アル・アブド』

「われは神のしもべなり」と言うとき、
その者は未だふたつ以上の存在を認めているのである。
しもべ、などと上辺では卑しみつつも、
しもべたる自己と神とが同等に存在する、と主張しているのである。
自己などというものを、未だ捨て切れずにいるのである。

『アナー・アル・ハック』

「われは真理なり(神なり)」と言うとき、
その者は自己を消滅し尽くしている。
そのとき、そこに自己などというものは存在しない。
ただ神のみが存在する。

これこそが真の謙譲、最大の奉仕である。

※※※※※

なんか、こういう詩が、あのイスラム教から生まれたというのが奇跡的な気がします。
砂漠の中のオアシスのような気がします。

 

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キリスト教を知らない日本人がよく間違うことですが
旧約聖書、新約聖書を、旧訳聖書、新訳聖書と思っている人が多いのです。
どのように訳したか、どのように解釈したか、ではないのです。

約というのが契約のこと、それも神との契約のことだと知らないのです。

契約にどのように読むかの問題は起きません。

シナイ契約が旧約聖書での神と人との契約です。石の板に書いた契約です。

そして、新しい契約は、心の中に書かれ、完全な罪の赦しがもたらされます。
最後の晩餐のときに聖杯によって契約されました。
これが新しい契約です。 

 

~~~

 

あなたに提案ですが、条件反射のように反応せずに、
指し示す文献を確かめてから否定なり反応すればいいのではないですか?
特にこのような仏教やキリスト教のことを言っているときは、
文献を確かめていないときには否定も判断もするべきではないでしょうね。

指摘しているのは非常に重要な場面です。


【マタイ福音書】

『皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』



【マルコ福音書】

『これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』

 


【ルカ福音書】 

『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。』

 

 

 

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ただ、一点だけ非常に紛らわしいのでお聞きします。

バラモンは
『あなたのようなヴェーダの達人にお会いできたのですから、わが供物は真実の供物であれかし。
梵天こそ証人としてみそなわせ。先生! ねがわくはわたくしから受けてください。
先生、ねがわくはわがお供えの菓子を召し上がってください。』
と仏陀に懇願します。

それに対しての仏陀の答えが
『詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。
バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々、諸仏)のなすきまりではない。
詩を唱えて得たものを目ざめた人々(諸仏)は斥けたもう。
バラモンよ。このきまりが存するのであるから、これが(目ざめた人々、諸仏の)行いのしかた(実践法)である。』
と言います。

それに続けて
『全き者である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪行による悔恨の消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。
けだしそれは功徳を積もうと望む者(福)田であるからである。』
と言います。

この対話を見ると、
『お供えの菓子を召し上がってください』という願いに対し
『詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。』と拒否して
さらに
『他の飲食をささげよ。』と言っています。

これを素直に読めば、
つまり、お供えの菓子を『詩を唱えて得たもの』(確かに祭祀のときにヴェーダの詩句を唱えます)と考えて拒否したと受け取れる記述です。
祭祀のお供えの菓子ではない、他の飲食をささげよ、と言っているように見えます。

ここの記述がどうしてもつながらないのです。

 

 

~~~

 

 

あれから、中村元の註を読んでみましたら、どうも中村元も私と同じように読み違えているようです。

『詩を唱えて得たもの』というのを、バラモンがヴェーダの詩句を唱えて布施を得ていたことの否定だと書いていました。

しかし、これは中村元の方の間違いですね。

「田を耕すバーラドヴァージャ」経を読んでみますと、田を耕すバラモンの差し出す乳粥も拒否しています。
このバラモンはヴェーダの詩句を唱えてこの乳粥を得たわけではないのに拒否してます。
この場面でも、仏陀は詩を唱えています。

ですから、石飛先生が言われるように、これは仏陀が詩を唱えた対価として受け取ることを拒否したということだとわかりました。


ただ、少し釈然としないのは
そうであれば『他の飲食をささげよ』の『他の飲食』となぜ言ったのか?ということと
この乳粥がなぜ『如来とその弟子以外は食べることが出来ない』のか?
ここを少し自分で考えてみます。

 

 

~~~

 

 

スッタニパータは本当に難しいですね。
どうしても矛盾点が出てきます。

「田を耕すバーラドヴァージャ」経で考えてみますと、

まず中村元の説で検証してみます。
バラモンはヴェーダの詩句を唱えて布施をもらっているので、
バラモンから回ってきたものはすべて『詩句を唱えて得たもの』だから諸仏はそれを食べてはいけない、
と解釈する説です。

しかし、「田を耕すバーラドヴァージャ」経では、仏陀自らがこのバラモンから食を受けるために立っていたとあります。
これだと受け取ってはいけないのを知りながら受けようとしたことになりますから、矛盾します。

また、諸仏は食べてはいけない習わしでも、他の大多数の人たちは食べていいはずです。
なのに、この乳粥は如来と弟子以外は消化できないことになっています。これも矛盾です。

次に、石飛先生の説です。
仏陀が詩句を唱えたので、その対価としては布施は受け取ってはいけない、という解釈です。
しかし、それであればその食べ物(ここでは乳粥)には何の落ち度もないはずです。
仏陀が詩句を唱えなければ、その乳粥をもらうことはいいはずです。
しかし、『他の飲食をささげよ』と言います。
これは矛盾です。
また、この乳粥はなぜか如来とその弟子しか消化できないことになっています。
これも理由が見当たりません。


考えてみましたが、どう解釈しても、矛盾が起きます。

 

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> 『スッタニパータ』は、バラモン文化にもある程度の関心をもっている必要がありますね。

これは本当にそう感じます。現代の日本の視点では絶対に分からないのではないかと思います。
その時代のインドに降り立った視点が必要となるのでしょう。
ですから、スッタニパータは難解です。


> この田を耕すバーラドヴァージャは、農家の中ではかなり豊かな方ではないかと思います。


はい。非常に裕福なバラモンだったと思います。
『500挺の鋤を牛に結び付けた』とあります。
さすがに1頭の牛に500挺の鋤は結びつけませんから何百頭もの牛を所有していたということです。
牛はこの時代のインドでは資産の中でも最も価値があるものだったと思います。
非常な資産家ですね。

> バラモンとはいえ、職業として農業も営む人もいました。

> 祭式だけで食べていける人は、そう多くはなかったため、実際はいろいろな職業についていたことも考えられます。

確かにそうなのでしょうね。日本の神社の神主さんのようなものだったと思います。
祭祀だけで食べていけない人もいたでしょう。
ただ、このバラモンは非常に裕福です。これだけ資産があれば何もしなくても食べていける立場だったかもしれません。
このバラモンが田を耕しているのは、自分の信念からだと思います。
ですから、労働もせずに乞食している仏陀をたしなめたのでしょう。

たぶん、所有する牛は乳牛でも最も価値が高い若い牝牛だったのでしょう。
田でつくっていたのは米でしょう。
そこから穫れる大量の米と牛乳で乳粥を作り、多くの人に施していたのでしょう。



> そうなると、その食べ物は、もはやただの乳がゆを超えていると、考えられることになるのではないかと思います。

> 貧しい人が、心を込めて捧げた粗末な食べ物に、ブッダのような聖者は非常に価値を見いだします。心を込めたお布施というのが大事になってくると考えられます。
> ですから、ブッダに捧げたものは、ブッダが受け取らないなら、もはや、それは行き場を失ってしまうということではないでしょうか。

よくわかりました。
おっしゃる通りだと思います。
ありがとうございます。

今回、石飛先生の解説によって
仏陀とは福田であり続けることなのだとわかりました。
そして仏陀に捧げたことで価値の変換をもたらすのだとわかりました。

大学の先生は授業によって、学生に知識を与え、その対価として報酬をもらいます。
私などは、商品をお客に売って、その対価としてお金をもらいます。

しかし、出家者はそういう対価での取引でなく、すべての人にとっての福田でなければならないのですね。
その福田に種を蒔いた人(お布施をあげた人)が、多くの収穫、多くの功徳が得られるような良き田でなくてはいけない、
ここのあり方が実感としてわかった気がします。  

 

~~~

 

仏陀は、衆生にとっての福田であるということ。衆生に功徳をもたらす良き田であること。
出家者、修行者は、福田になるように精進し、衆生は大きな功徳をもたらす福田を選んで種をまく(供養をする)のだと。

そして、バーラドヴァージャの乳がゆはすでに、バーラドヴァージャの感銘とともに、心を込めてブッダに捧げられているので
仏陀以外には消化できないものとなり、チッチタ、チッチタと音を立てて、大いに湯煙を出したという解釈です。

それであれば
「乳粥の熱」が、「この私が、自分の所有している物を、与えてやったのだ」という自己へのこだわりで、逆に我執を強めて善行の底にも潜む末那識という燃えるような我執によるもの、
燃える我執によってチッチタ、チッチタと音を立てて、大いに湯煙を出したという解釈とは正反対です。
これだと、我執による布施である乳粥に落ち度があることになります。


どういう解釈をしてもそれは自由です。
ただ、『その解釈は解釈でわかるけど、自分の解釈とは違うものだ』ということははっきりさせないと
道に真摯ではないということになります。


実際、自分の功徳を求めないお布施などあり得ないのです。
仏陀は、むしろ、自分の功徳を積むことを奨励し、その最も大きな功徳が仏への供養としました。
それで仏教システムは今日まで東南アジアでは存続しています。
大パリニッバーナ経にも、
『悪い行いをする者には、5つの禍いがふりかかる。
まず、財産を失う。次に、悪い評判が広まる。それから、人と会えばおどおどしてしまい不安が離れず、死ぬ時には恐怖で精神が錯乱する。そして、死後は地獄に堕ちる。
これが、悪い行いをする者にふりかかる5つの禍いである。それとは反対に、善い行いをする者には5つの善果がもたらされる。
まず、品行が善いことで富を得る。次に、善い評判が広まる。それから、どのような人と会っても堂々としていて、
死ぬときも恐怖にのたうちまわることがない。そして、死後は天にのぼる。』
と言っており、自分に利益があるから善行をしろと言っています。そんな我欲で布施をするなとは言っていません。

我執が少しでもあるお布施が、誰も消化できないものになるのであれば、今もさかんに行われている仏教のお布施はすべて
チッチタ、チッチタと音を立てて湯煙を出してしまうことになります。

 

~~~

 

石飛先生の解説によってはっきりわかったことは、
仏陀とは、福田、よき田であることです。
衆生が布施をするのは、田に種を蒔くこと。
大きな収穫が得られる田がよき田であり、福田です。
この場合の収穫とは功徳のことです。

故に出家者は、良き田になるべく精進しなければならないし
衆生は多くの功徳をもたらす出家者を選んでお布施をする、というシステムなのだということです。

ここにおいて、お布施をする衆生は大きな功徳を求めてするのです。
なぜ功徳を求めるかというとそれが良い生、今世か来世か、どちらにしてもその人が望む良い生を願っているからです。

仏陀は『悪い行いをする者には、5つの禍いがふりかかる。まず、財産を失う。次に、悪い評判が広まる。それから、人と会えばおどおどしてしまい不安が離れず、死ぬ時には恐怖で精神が錯乱する。そして、死後は地獄に堕ちる。
これが、悪い行いをする者にふりかかる5つの禍いである。それとは反対に、善い行いをする者には5つの善果がもたらされる。
まず、品行が善いことで富を得る。次に、善い評判が広まる。それから、どのような人と会っても堂々としていて、
死ぬときも恐怖にのたうちまわることがない。そして、死後は天にのぼる。』と言っており
自分に利益があるから善行をしなさいと説いています。
自分の利益を考えるのは我執だから駄目だということはありませんでした。

同じ大パリニッバーナ経には、遊女と貴公子が、仏陀への食事の供養を自分にやらせてくれと譲る譲らないで争う場面があります。
争ってまで、『自分が』仏陀に食事を提供しようとしているのです。
それは、遊女も貴公子も同じく良き生(今世か来世かはわかりませんが)を望み供養をしようとしているのです。
それは我執と言えば我執でしょう。
我執が全くないなら、他の人が仏陀に供養してもいいはずですから。

自分や自分のものという見解をすっかり滅ぼした人はすでに解脱しているのです。
その人そのものが『福田』『良き田』になっているのです。
それはもう供養される側、応供となっています。
ですから、そこまで解脱することをお布施をする側には求めていません。
仏陀は、お布施をする人の中の『自分のものを差し上げたい』そして『大きな功徳を得たい』という心を咎めたりしてません。
むしろ奨励したからこそ、このシステムは今も仏教を支えているのだと、石飛先生の解説で気づきました。

 

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どこを目指しているとか、そういうことを言っているのではありません。


なぜ乳粥が、湯煙を上げて仏陀以外には食べられないものとなったのか?について話し合っています。

石飛先生の解説では、
仏陀が詩句を唱えたので受け取らなかった、
そして、乳がゆはすでに、バラモンであるバーラドヴァージャの感銘とともに、心を込めてブッダに捧げられているので、
本来であれば、仏陀が食べるべきものとなっており、そのために仏陀以外は消化できないものとなった、
つまり仏陀以外には捧げられないほど崇高なものとなった、ということでした。
崇高という言葉は私が勝手につけたのですが、つまりは、ブッダにささげられて特定され特別なものとなった、みたいな感じです。

芳和さんの説では
布施をしたバーラドヴァージャに『自分がした』という我執があったので、その我執(エゴ)の熱により
乳粥は湯煙を上げ食べられないものとなった、ということでした。

この2つの説はまさしく正反対なので、その違いについて語れば新たな気づきもあると思います。
正反対の解釈なので、『正しく見ている』のはどちらか、が知りたいのです。


もし、自分の功徳を求めてお布施をすることが我執であり、
そういう我執が少しでもあれば湯煙を立てて食べられなくなるのであれば
いま特に東南アジアで行なわれているお布施などは、すべて湯煙を立ててしまう、と書いたのです。

お布施に自分の功徳などは求めないことが本当で心の底にでもそんなことがあると
食べられなくなるほど駄目なものだ、という結論は、仏陀が在家に説いた教えの数々からするとあり得ないような気がします。
現実の世界を見ない空論のように思えるのです。

よって、湯煙を立てたのは、石飛先生の解説の『ブッダに捧げられたものだから』というのが正しいように思えたのですが
どうでしょうか、と問題提起してみたのです。

 

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芳和さん

そうですか。わかりました。前と同じスタンスですね。
大乗仏教や唯識論の理論をもって、『スッタニパータ』などの古層の原始仏典を解釈するというスタンスです。

原始仏典の中でも『スッタニパータ』は非常に難解です。
その難解さは、まだ理論が整っていない最初期の段階の仏教が生々しく描かれているからだと思います。
歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求している私にとっては、そういう難解さは貴重です。
まだ後世の手があまり入っていないからです。

何度も言いますように
『スッタニパータ』にしても『法華経』にしても、百人いれば百通りの読み方があっていいと思っていますよ。

ただ、単純にパーリ語の読み間違いなどで私自身、全く違った解釈をしていることはままありますから
いろいろな人の意見を聞くのは非常に参考になることだと感じています。

ヤフー掲示板の『東哲板』には私はヤフー掲示板が終了する直前の1年半くらい前にはじめて自分のスレッドを立てました。
それまでは、ヤフー掲示板の株式板と映画板に長く自分のスレッドを持っていました。
哲学カテゴリーにいたことは1年あまりの短期間でしたが、いろいろな人が私のスレッドに来てくれました。

その中で、人の話は聞かずに、自分の理論だけ滔々と投稿する人も何人かいました。

異なった意見でもいろいろやりとりしていれば非常に参考になるのにもったいないことだと思っていました。


『この経典にはこうあるから、仏陀はこう考えたのではないか』というようなやりとりができれば面白いと思っていましたが
そういう場でないのかもしれませんね。

 

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芳和さん、はじめまして。
といっても、はじめましてではないですね。
ヤフー掲示板のとき、よく私のスレッドに来られていましたよね。
春間さんもよく来られて、ジャンヌダルクのことなどで言い合ったりしました。
春間さんも芳和さんもご自分の理論を披露することが多かったので
それほど会話はなかったかもしれませんが。

乳粥が湯気を出した件については、私は中村元の説の通りと思っていました。
バラモンは詩句を唱えて布施をもらうので、バラモンからは受け取らないのだという説です。

しかし、石飛先生は、そうではなく、
仏陀が詩句を唱えたので受け取らなかった、
そして、乳がゆはすでに、バラモンであるバーラドヴァージャの感銘とともに、心を込めてブッダに捧げられているので、
本来であれば、仏陀が食べるべきものとなっており、そのために仏陀以外は消化できないものとなった、
つまり仏陀以外には捧げられないほど崇高なものとなった、
と言う解釈なのです。

たぶん、この石飛先生の解釈を芳和さんも、春間さんもあまり読んでなく、
この説と正反対の、
バーラドヴァージャの我執(エゴ)の熱により、この乳粥は湯気が出て食べられないものになったということを
書かれました。

スッタニパータを読んでも法華経を読んでも解釈は百人いれば百通りあっていいと思います。
私は元々、中村元の説と思っていましたから、どちらでもこだわりはないのです。

ただ、石飛先生が、中村元先生の説を否定しても自分はこう思うと言われたのですから
『芳和さんの解釈はそうなのですね。私の解釈はこうです。』と
きちんと説明されるのが、自分の思うところに真摯であるということではないかと思ったので書きました。

自説と違うことを隠すよりも、違う点をいろいろ話したほうが、より理解も深まるでしょうし
止揚することができるかもしれませんから。

 

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芳和さんは、完璧主義のように思えます。
無我という完璧な状態を観念で想定して、その状態にない自分を追い詰める傾向にありませんか?
『自分の』功徳という、その言葉に拒絶反応してしまうところはありませんか?

こういうエピソードをご存じでしょう。
お釈迦様の十大弟子のひとり、阿那律尊者は目が見えなくなっていました。
ある時に、衣の修繕をしようとして針の穴に糸を通すのに苦心していた尊者は、
「誰か功徳を積もうと思う者はいないか?目の見えない私のためにこの針に糸を通してもらえないか」
と言いました。
すると、釈尊が真っ先に歩み寄り、「私が功徳を積ませていただきましょう」と言われたそうです。
驚いた阿那律尊者は、「道を極め覚者となった釈尊には、もう功徳を積む必要はないのではないでしょうか」と言いました。
すると釈尊は、「世間の中で私ほど功徳を求めている者はいない。」と言われました。


前にも書きましたが、
自分と自分のものという見解を滅している人はすでに解脱しています。
『自分』や『自分のもの』や『自分の功徳』ということから全く離れている人は
もうその人自身が福田になっています。
応供、つまり供養を受けるに相応しい人=仏 です。

布施をする人、供養をする人が、少しでも『自分のもの』というような考えを持っていたら
供養した食べ物がチッチタ、チッチタと音を立てて湯煙を出し誰も食べることができなくなるのであれば
世界中で布施をしたものすべて煙を出してしまうことになります。

 

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法華経は読めば読むほど、凄いお経、ありがたいお経というのがわかります。
そして、大乗仏典の誕生の謎の解明に大きなヒントを与えてくれるお経なのかもしれません。



> じみに羅什の『妙法蓮華経』を読んでいるのですが、最初の三乗方便一乗真実の話は、もろに『スッタニパータ』第四章の「八偈品」から来ていますね。
> 『『スッタニパータ』と大乗への道』でも書いたのですが、後半、第14経、第15経、第16経が、それぞれ菩薩・独覚(仏)・声聞の道に対応していると読めるので、三乗が説かれています。


声聞・縁覚・菩薩の三乗ですが、私はどうしても、大乗仏教が3つに分類したと考えていましたが
先生は、すでにスッタニパータにそのような分類があったと考えられているのですね。

法華経はかなり寛容ですが、他の大乗仏典では、声聞・縁覚の二乗はかなりボロクソに書かれています。
二乗は仏になれないというのが多く、法華経でやっと、「二乗でも仏になれる」とされました。

声聞の本来の意味は、釈尊の肉声を直接聞いた弟子のことですし、
縁覚は師を持たずに悟った人のことです。
ですから、本来の意味からすると、釈尊も縁覚です。

その二乗をなぜあそこまで貶さなければいけなかったのか、
そこに大乗仏教誕生の秘密があるのかもしれません。

さて、先生の言われる、14経、15経、16経ですが、
14経が菩薩、15経が縁覚、16経が声聞、に対応しているということで
もう一度読んでみましたが、よく分かりませんでした。

この中で15経は、本当に釈尊の肉声を聞いているような気持ちになる経典ですね。
多分、すべての仏典の中でも最も古いのは、この15経ではないでしょうか。
この15経には、釈尊の真意を解き明かす鍵がありそうです。

14経は、法華経で言えば、安楽行品の基になったような気がします。
偶然、第14も同じですが。
逆に言えば、影響を受けすぎて、あまり大乗仏典のようでないところが安楽行品にはあるような気がします。

16経に関しては、題も声聞の代表のサーリプッタですから、声聞の道と言うことでしょうか。


ただ、法華経などでは、声聞は四諦の法を修行、縁覚は十二縁起の法を修行、菩薩は六波羅蜜を修行というように書かれますが
14,15,16にはその記述がなく、やはり、先生の言われる「対応している」ということがわかりませんでした。
よろしければ教えてください。




> 大乗は、その内容としては、後代勝手に生まれてきている訳ではなくて、確実に原始仏典などに説かれるところで、未検討の内容や関心の高いところ、大きな問題をはらむところが、経典として作られているのだと思います。
> 「如是我聞」であることは、間違いないことです。いかに真剣に仏法を受けとってきたかということが、よくよく分かります。
> 大乗は非仏説だという意見があるのは、受けとる側に問題意識がないため気づけないということだろうと思っています。


法華経の中に、こういう言葉があります。
「外道の論議を説き、自ら経典を作って世間の人を誑惑す」と罵詈し
「塔寺を遠離」せん、と。

このように迫害を受けている様子が書かれています。

それまでの仏教徒からこのように罵詈雑言を投げつけられても新しい経典を作っていったのは
並大抵のモチベーションではありません。

私には、どうしても、その熱意の源は、
部派仏教が仏陀の真意を伝えていないという、強烈な不満、憤りがあって
「こんなものは仏陀の真意ではない。仏陀の説いた大法ではない。」と叫んだからだとしか思えないのです。

 

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> ショーシャンクさまも、そのようにお感じになりますか。
> わたしも、おっしゃるとおりにすごいお経だなと思うのですが、確かに、その反面、声聞乗などの比丘たちに、

>反発されそうな物言いをしているところが、少し気になります。
>言いたいことは分かるとしても、もう少し配慮してもよかったかなと思わないではありません。個人的な希望ですが。


法華経というのは不思議なお経です。
そして、その真価を知るのにこれほど難しいお経はないように思えます。

多くの人がなぜ法華経を尊重しているかというと、そう言い伝えられているからです。
中でも、天台が言ったから、日蓮が言ったから、道元が言ったから、という理由が大多数を占めているでしょう。

しかし、偉人バイアスや宗祖バイアスを外してみたときに、法華経はどこがそんなに凄いお経なのか、全く分からないはずです。

私も、法華経が経王と呼ばれている理由がずっと分かりませんでした。
最高の真理が説かれているお経と言うことで、誰しもワクワクしながら読むでしょう。
序品では、仏陀の眉間から光が放たれます。文殊菩薩はこれは大法が説かれる瑞だと言います。
そして、方便品では、ついにその大法が説かれます。
『諸仏は、衆生に仏知見を開き、示し、悟らせ、入らせるために世に出現した』

えっ?これだけ?
ってなりますよね。
その仏知見が何かなども全く説かれませんし、ただ一大事因縁のために世に出現したというだけです。

私は哲学的には華厳経のほうがよほど上だとずっと思っていました。

もちろん、宗祖バイアスを持ってすれば、どこかの宗祖が『法華経が最高』と言っているから
何が何でも有り難がろうという人がすこぶる多いのは知っています。
そしてそういう人は不幸だなと思います。
ただの『法華経最高サングラス』をかけて見ているだけですから。
誰かの考えを投影して見ているだけです。

白隠も、若いときに、法華経を読んで、『こんな例え話しか書いてなくて肝心の真理がちっともない』と思って捨てたそうです。
しかし、40過ぎて悟ってから何気に法華経を読んでみると、その意味がありありと分かって号泣したそうです。

これが本当の法華経の読み方だと思います。

先生も、二乗に対する物言いが気になるということで、それはバイアスがかかっていない読み方だと思います。



> > 声聞・縁覚・菩薩の三乗ですが、私はどうしても、大乗仏教が3つに分類したと考えていましたが
> > 先生は、すでにスッタニパータにそのような分類があったと考えられているのですね。
> そうです。何か、どこかで読んだ経典の匂いがするような。。と思っていましたら、
>第15経で「わたし」とブッダが語り出しているのを読んで、これが独覚の悟りを示すのではないかと思いました。


この文章に続く、先生の詳しいご説明で、先生が、スッタニパータの14,15,16経が三乗思想に対応していると思われている理由が分かりました。
ご説明、ありがとうございました。
私としては三乗に分ける考え方が好きでないので、できれば三乗は方便で、先生の結論たる、二乗にエールを送るという意味での設定に過ぎず
本心は一仏乗だというのがすっきりします。

最近、原始大乗と言う言葉を知りました。
初期大乗の前、菩薩乗という概念を生み出した勢力があったようです。経典はほとんど失われているようですが。
初期大乗である法華経は、そのような菩薩乗と二乗を包み込んで引き上げる一仏乗というものを説いたのかもしれません。

ただ、私としては、三乗思想はなかった方がよかったと思っています。
最初から一仏乗だけでよかったのではないかと思います。
仏陀の真意は一仏乗にあったと思います。
仏陀は四念処を一乗道と言っていますし、在家であってもそれで解脱できると考えていたからです。

三乗思想ができあがったために
声聞は四諦の法を修行、縁覚は十二縁起の法を修行、菩薩は六波羅蜜を修行となっていますから
四諦十二縁起という仏陀の最も重要な筏が、二乗の修行法と言うことになってしまい
誰もかえりみる者がいなくなりました。

大乗仏教は仏陀の真意の復興運動だと思っていますが、同時に、あまりにもそれまでの仏教そのものである部派仏教を
貶めてしまったので、仏陀の筏の四諦十二縁起も捨て去られてしまうことになりました。




> 最初、「序品」で、ブッダが法華経を話出そうとすると、五千人の比丘や在家信者たちが、立ち上がってブッダに礼をして出て行ってしまうシーンがありますね。
> あれなども、すでにそうなることが見えているような書き方にも見えます。
> 実際体験もしたかもしれませんが、そうでなくても、日頃の行いからも考えて、こうなるだろうという予測のもとに書かれたようでもあります。わたしには、そんな風にも見えます。
> ですから、迫害されるのも、予測はしているような感じもして来るのです。それでも、法華経を残すのですから、やはり二乗の人たちに一緒にブッダになりましょう、と言いたかったのではないでしょうか。
> 二乗の人にも等しく無上正等覚者の道は説かれているのだ、という思いから著されたのが法華経のような気がします。


法華経の前にも、大乗仏典はできていたと思います。
部派のサンガの中で、ひそかに、大乗仏典を創作していたグループはいたと思います。

そのような人たちが部派の人たちからは
『お前たちの言ってることは外道の論議だ』『勝手に経典を作って人を迷わしている』と糾弾されて
サンガを追い出されていったと思います。
その様子が法華経に書かれているのではないでしょうか。

グレゴリー・ショペンの、ずいぶん後になるまで、大乗教団は存在せず、大乗仏典だけが作られていった、と言う説は
かなり史実に近い気がしています。

ところで、方便品の5000人の退出が気になります。
例えば、500羅漢という言葉は、第一結集の500人の直弟子から来ているのかもしれませんし
方便品の5000人にも何か史実が隠されていそうです。
提婆達多に従った人数なのかもと思ったこともありますが、いまだに分かりません。

 

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> > 『諸仏は、衆生に仏知見を開き、示し、悟らせ、入らせるために世に出現した』
> > えっ?これだけ?

> > ってなりますよね。


このことの重大さに気づいたのは、かなり後になってから、原始仏典を調べはじめてからです。
大乗仏教の国日本で生まれ、大乗仏教の本や環境に囲まれて生活している私たちは
仏様が衆生を救うためにこの世に生まれるということは、まあ、そんなに違和感ないですよね。

しかし、歴史上の仏陀は、人間がこの世に生まれるのは渇愛または無明が原因としました。
ですから、原始仏典の決まり文句は
『生存はすでに尽きた。再び生を受けることはないだろう。』です。

法華経が作られた時点において、『一大事因縁のために世に出現した』という宣言はまさしく驚天動地のことです。

映画の始まりのテーマソングが異様に長い昔の映画のように、さんざん盛り上げたあとに
『仏は衆生に教えるために生まれた』と当たり前のことだけ言ったと思って『?』でしたが、
原始仏典の流れが分かるようになると、これは時代を画する宣言だったと思います。




ひとつ、先生のお考えをお聞きしたいのですが
譬喩品に、三車の喩えがあります。
玩好の具の羊車、鹿車、牛車をもって、それぞれ声聞、縁覚、菩薩に与えると言って火宅から逃がします。
しかし、火宅から出たあとは、その三車は『下劣の小車』だから与えず、大白牛車を与えます。

ここで疑問なのは、譬喩品では、三乗を、声聞乗、辟支仏乗、大乗(または仏乗)と書かれていることです。

菩薩乗を大乗、仏乗としてしまっては、三車が下劣の小車という記述と矛盾します。

つまり、牛車と大白牛車との違いがわからなくなります。

 

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三乗思想は、私は好きではない考えです。
部派仏教(いうか、それまでの仏教そのもの)の使徒を証文・縁覚という二乗と決めつけ
自分たちは大乗の道を歩む菩薩だと優位に置く考えは好きにはなれませんし
何より、この思想のせいで、仏陀の筏たる四諦十二縁起が埋もれてしまったのが残念でなりません。

仏教は、かなりジャイナ教の用語を流用しています。
声聞、縁覚(辟支仏)もジャイナ教の用語なので、その使用方法もまちまちで
無理やり仏教に当てはめた感があります。

仏陀の真意は一仏乗、一乗法だと考えます。
究極には、『生じる性質のものは、すべて滅する性質を持つ』の一言だけであり
それから四念処も三法印も派生したと考えています。

法華経は、一仏乗を高く掲げており、やはり仏陀の真意を復興しようとしたと思います。

 

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まず『ブッダ』という呼称について。
ジャイナ教の始祖、マハーヴィーラがブッダと呼ばれたことは、
マハーヴィーラの伝記のカルパスートラにも出てくるようです。

牟尼=muni は、ジャイナ教では、修行者一般を指す言葉だったようです。

『仏教の開祖ゴータマの死後、やがて仏教徒がゴータマを神格化し、ゴータマ個人にブッダの尊称を与えるまでの段階において
ジャイナ教徒も、修行を完成し解脱した人にブッダの尊称を用いていたのである。
したがって、これらジャイナ古層の聖典は仏教においてブッダがゴータマの尊称として確立する以前のものといえよう。』
                           (『ジャイナ古層聖典におけるブッダの概念』より)

声聞も独覚もジャイナ教で使われていた用語です。

声聞、独覚に関しては、ジャイナ教と仏教のどちらが先かはわかりませんが、共通していることは確かです。

 

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『ニルヴァーナは最高のものであると、もろもろのブッダは説きたまう。』(ダンマパダ)

目覚めた人は過去にも、現在にも、未来にも無数にいるでしょう。
ブッダはバラモン教にもジャイナ教にも数多くいる。
それが、仏陀の真意だと私は思っている。

歴史上の仏陀は、数多くの人を悟りに導いた人として、世界最大の教師のひとりだと思っていますが
しかし、覚者はバラモン教にもジャイナ教にもたくさんいます。

釈尊の死後、仏教なるものが確立していく過程で、バラモン教やジャイナ教の排斥が起こってきました。
仏教の優越性、独自性ばかりが強調され、その根底にある共通性はどんどん切り捨てられていきました。

それが、仏陀の真意がねじ曲げられていった大きな原因のひとつだと思っています。

 

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法華経譬喩品にこうあります。

『もし衆生ありて、仏世尊より法を聞いて信受し、自然慧を求め、独善寂をねがい、深く諸法の因縁を知る、これを辟支仏乗と名づく』

これによれば、声聞と同じく、縁覚も仏世尊から法を聞いているのです。

よく考えれば、二乗は仏陀の弟子のはずです。
ですから、縁覚を師なくして悟ったという決めつけは無理があります。

ひょっとすると、声聞はサンガの中でも、修行仲間といっしょに精舎などで暮らしていた人、
縁覚は、サンガに属してはいるものの群れずに、厳格に山林で一瞑想修行をしていた人かなとも思えます。

 

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>一体大乗仏教の真義はどこにあるのか、シャーシャンク氏に聞きたいところである。
とspinobuddhistさんに言われましたので、書いていこうと思います。


仏陀の死後、仏教はその教説の独自性、優越性を強調する方向に行きました。
これは、どの宗教でも見られることで、自分が信じる宗祖の教えが他の教えより優れていることを強調したいというのは
その弟子たちにありがちなことです。
仏教も、どんどん、その方向に進んでいきました。
特に、その時代の精神フィールドそのものだったバラモン教との差別化や優越性の強調は大きくなっていきました。
例えば、最古層の仏典では、ゴータマ・シッダッタを『バラモン』とか『ヴェーダの達人』とか呼ぶ場面は多いですが
時を経るにつれ呼称はは『尊師』などとなっていきました。

諸法非我についても、『我』がバラモン教のアートマン思想と見なされ、アートマン否定、バラモン教否定という意味での
諸法無我に意味が変わっていきました。

ブラフマンもアートマンも存在の根源という意味合いが強く、それを否定していったために
灰身滅智の方向へと仏教は傾いていきました。
根本分裂以降、部派仏教の時代になると、無我であれば因果の果を何が受けるのかという根本命題が出てきて、
それに対して煩瑣な理論ばかり盛んになっていきました。

仏陀の在世中には、無量心はbrahmam vihara という究極の境地だったと思いますが、
後世の仏教はブラフマンを宇宙の根源ではなく、色界最下層の梵天にまで貶めたため
無量心も色界最下層の境地とされ、解脱には至らないとされました。

このような状況の時に、『こんなものは仏陀の説かれた法ではない』『仏陀はもっと大いなる法を説いたのだ』と主張していったのが
大乗仏教運動だと考えています。
それは僧院の中で反骨的な僧が新たに大乗仏典を書いていったところから始まり、
それが徐々に広がっていきましたが、教団ができるのは5世紀以降です。
法華経にあるように、僧院を追い出されたりした『法師』という人たちが中心に小さな教団ができていったと考えます。
それより前に大乗仏典は中国に渡り、インドよりも中国で流行り出します。


このように、私は、大乗仏教は、灰身滅智に傾き、煩瑣な理論にふけっていた部派仏教のアンチテーゼ、
仏陀の真意の復興運動として起こったと考えます。

 

~~~

 

石飛先生、おはようございます。

私は、歴史上の仏陀以外の宗祖の解釈に依らずに仏陀の真意を解釈したいと思っていますので
仏陀の言葉を龍樹の論理で見ることもしません。

ですから、スッタニパータ1042の仏陀の言葉の中の
『両極端』と言う言葉も、抽象的なことを指しているのではなく
『苦行の道』と『快楽の道』を指しているのだと考えています。

『苦行の道』も『快楽の道』も離れて『中道』を行く、と仏陀が宣言しましたので
そうすると多くの人はその両極端の中間のことだろうと考えています。

しかし、仏陀が言ったのは、苦行と快楽の中間、つまりほどほど苦行、ほどほど快楽、などではない
と、このスッタニパータの言葉は言っているように聞こえます。

苦行も快楽も身体の道であり、その中間も身体の道です。

しかし、仏陀の言う『中道』は『八正道』のことであり
身体の道ではなく、智慧の道なのだと私は解釈しています。

歴史上の仏陀の顕著な特徴は、決して抽象論を説かなかった、観念論を説かなかったことだと思います。
非常に具体的なこと(生じるものは必ず滅する、など)から説いて、抽象論に陥ることを排除したと考えています。

よって、『両極端』と言う言葉も、抽象語ではなく具体的な『極端』を指し示していると考えます。

 

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> >苦行も快楽も身体の道であり、その中間も身体の道です。
>そこに「身体」と限定することばが必要かどうか、なぜそう言うのか、説明してもらえますか?


苦行は身体的な苦行のことであり、快楽は身体の快楽のことだからです。
苦行の道と快楽の道は正反対のように思えますが、結局身体に関わるものであり、智慧と違うもの、
よって、仏陀は苦行で身体を痛めつけても悟れることはないと思ったのだと考えます。
もちろん、私の解釈にしか過ぎません。


>カッチャー(ヤ)ナ に語った「有る」と「無い」に関する中道です。
 ここは、問題にしないのですか。
 しないのであれば、なぜか、お聞きしたいです。


苦行と快楽に関しては、仏陀が二辺(と言う極端)を離れ『中道』を行くと宣言し、その中道とは八正道のことだと言っています。

有無に関しては、私は仏陀が『生じるものだから無とはいえない。滅するものだから有とはいえない。』と言ったことは知っていますが
そのときに、『有でもない、無でもない、中道を行く』とは言ってないように思えます。

 

~~~

 

先生の指摘を受けて、両極端と中道について、調べてみました。

苦行と快楽に関しては、仏陀が最初に宣言した言葉としても有名ですし、中道という言葉を使っています。
そして、中道とは八正道と言っています。

断見と常見に関しては、
『苦は自作であるという説は常見に陥る』『苦は他作であるという説は断見に陥る』として
如来は中によって法を説くとして、十二縁起を説いています。

有と無に関しては
『一切があるというのは一つの極端である。一切がないというのは第二の極端である。
これら両極端を離れて如来は中によって法を説く』とあって
これも十二縁起だけが説かれています。


ということは、中道である八正道が説かれているのは、苦行と快楽に関してだけのような気がします。

 

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先生の『スッタニパータと大乗への道』では、visama を『不平等』と訳されています。中村元訳では『不正』です。
パーリ語辞典ではどちらの意味もあるようです。
熟語にしても、visamacariya は『非正道行』、visama parisaは『不等衆会』とやはり2つの意味に分かれています。
前後の文脈から探るしかないようです。

774は中村元訳では
【かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、
(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する、──「ここで死んでから、われわれはどうなるのだろうか」と。】
なっています。

この場合、【欲望を貪り】⇒【欲望に熱中し】⇒【欲望に溺れて】⇒【欲望を囲い込んで独り占めし】⇒【欲望のためにあくどい不正までするようになる】
と、どんどん深みにはまっていく段階が具体的に説かれているようで頭に入りやすいのですが
vimasaを不平等と訳すと、わからなくはないのですが唐突感があるような気がします。
先生は、『欲望によって優劣がついてきて不平等が生じる』と書かれていますね。
ちょっと哲学的になりすぎるような気がするのですが。

私は、774のvisama は、778に書かれている【自責の念にかられるような悪い行い】のことのような気がするのです。

文脈からして、この場合、visamaを【邪なる】とか『非正道』ではなく『不平等』と訳されたのはどのような理由からでしょうか。

あと、中村元訳でも、778で『両極端』という言葉が出てきて、801でも出てくるのですが、
例えば、ubho は辞書で見ると『両者』とか『2つ』とかしかなく、両極端に匹敵する原語がわかりません。
私は、778は、中村元の『両極端に対する欲望を制し』ではなく『2つの欲望を制し』であって
それは先生の言われる『前の欲望』『後の欲望』のことではないかと思っています。

つまり、欲望とは、過去の快楽の記憶を反芻することとその快楽の記憶を現在から未来にかけて繰り返さんとするものであるので
欲望を前と後とに分けて、『両者』『2つ』と言ったのかなと思ったのです。

 

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私も、最古層の仏典には一切智があると思っています。

仏陀には握り拳はないですから。
しかし、龍樹研究者の先生がそう思われているというのは意外に思いました。うれしいことですが。

ただ、そうなると、根本的な問いが生まれてきます。
スッタニパータなどの古層の仏典にすべての法があるとすれば、
何故、仏陀の死後500年も経って大乗仏典を創作していかなければならなかったのか、ということです。

第一結集で確定した教えをサンガ内で比丘たちが口承で伝えていきました。
仏陀の死後100年経って、根本分裂が起きましたが、これは経典ではなく戒律の問題でした。
具体的には、金銭でお布施を受け取る比丘たちが現れたことが最大の問題でした。
戒律の問題で大きく2つに分かれ、それが細かに分かれていきますが
部派仏教の時代になっても、仏典はサンガで伝えられてきたものでした。
ですから、仏典の問題は起こりませんでした。

スッタニパータなどの古層の仏典に一切智を見出していった人たちがいれば
スッタニパータを所依の経典として、部派仏教でひとつの学派とすればいいのだと思いますが
なぜ、第一結集によらない経典を新しく膨大に作り出したのか、
ここが大きな疑問となります。

何か、部派仏教の解釈で、『これは仏陀の真意ではない』と叫んだ人たちがいるのではないか、
そしてそれを解明することによって
原始仏典の真価、そして大乗仏典の真価が浮かび上がるのではないかと思っています。

 

~~~

 


> 【石飛訳】
> 919. (第十四経第5偈)
> 比丘は、内に寂静でありなさい。他のものに、寂静を求めてはなりません。内に寂静となったものにとっては、自己はありません。そうなら、どうして、自己を欠くもの(=自己ではないもの)があるでしょうか。
>
> 【中村訳】
> 919 修行者は心のうちが平安となれ。外に静穏を求めてはならない。内的に平安となった人には取り上げられるものは存在しない(n'atthi attA)。どうして捨てられるものがあろうか(kuto nirattaM)。
>
>
> ここは、先ほどの、「法を捨てられるかどうか」というところにもつながるかもしれないです。
> 中村先生は、無我(=自己がない)ではなく、非我(=自己でない)という教えをブッダは説いたと考えていたようですので、「自己はない」という訳が出てこなかったのかもしれません。(中村先生にも、捨てられないものがあったということも言えます。)
> そのため、次の「nirattaM (自己を欠く)」という訳にも支障が出ることになりました。



niratta  には、辞書で見ますと、1、我でない・非我の  2、捨てられた・排除された
この2つの意味があるようですね。

atta  にも、1、我・自己・我体   2、得た・取った
という2つの意味があるようです。


中村元訳では、平安に達した人には、取るということがないのだから、捨てるということもない、
とまあ、平凡な意味になります。

石飛先生の訳では、『寂静に達した者は、自己がないのだから自己ならざるものもなくすべてが自己』と
いきなり禅の極致のような言説となります。



>「法を捨てる」のも、実は、ブッダの教えなのです。

仏陀が言った中でも、筏の喩えは素晴らしいと思います。非常に柔軟ですね。自分の説いた教えにさえも囚われるなということですね。


>しかし、部派も、阿羅漢になると、もはや教団にも所属せず、一人で行く道を歩んでいきます。サンガには所属しません。
>ですから、阿羅漢のその後は、ほとんどの人が知りません。
>マハーカッサパ、マハーカッチャー(ヤ)ナ、アーナンダなどなど、かれらは、知る人ぞ知る聖者として、残りの人生を送ったのでしょう。


阿羅漢になるとサンガに所属しないというのは今まで知りませんでした。
遊行することが多くても、サンガには属していると思っていました。


>一番難しいのが、「彼岸道品」にも出てきますが、ピンギヤに語る「法を捨てる」という部分です

仏陀が捨てろと言った『saddha』を辞書で見ますと、信・信仰・信心・信用とあります。
中村元氏は、バラモン教の信仰を捨てよ、と言う意味に解しています。
しかし、バラモン教の信仰を捨てて仏陀の教えを信仰しろというのでは、全く仏陀らしくありません。
先生がおっしゃるように、仏陀の法をも捨てるということかもしれません。
あるいは、どんな教えも信仰にはするな、ありのままをとらわれなく見なさい、という意味かもしれません。

 

~~~

 

 浄土教が仏陀本来の教えではなく、バラモン教(ヒンドゥー教)から来たと私が考える理由につきましては
ヤフー掲示板の自分のスレッドに投稿し、いま自分のブログに格納してますので、それを載せます。

※※※※※
特に浄土教の教えはゴータマ・シッダッタの教え本来のものではなく、ヒンズー教から来たものですね。
ゴータマ・シッダッタは、想像上の神仏への信仰などは一切説きませんでしたし
なにより自燈明を説いたので他力を説いたことはありませんでした。

歴史上の仏陀が説いたことと違うから正しいとか間違ってると言ってるわけではありません。
それが事実だから言っています。

阿弥陀仏の師はヒンズー教のシヴァ神ですから、浄土教がいかにヒンズー教の影響を強く受けて誕生したかがわかりますね。
私はヒンズー教にもジャイナ教にも偏見はありませんから影響を受けたからと言って貶しているわけではありません。

大無量寿経では、法蔵菩薩は世自在王仏(ローケーシュヴァラ・ラージャ如来)について修行する。その結果法蔵菩薩は阿弥陀如来になった。

サンスクリット名ローケーシュヴァラ・ラージャとはシヴァ神の別名である。

また、法蔵菩薩の第二六願にナーラーヤナ神のような力をえたいと発願しているが、このナーラーヤナ神とはヴィシュヌ神の別名である。

浄土教徒の人もこういう記事を書いてますね。
 
【私は浄土教徒なので、阿弥陀如来の話から始めたい。
阿弥陀仏は古くから仏教と習合された仏様(神様?)の一人で、アーキタイプはゾロアスター教の光明神アフラ・マズダとも、
さらに古いミスラ神とも言われる。
浄土三部経のうち『無量寿経』によると、往古、阿弥陀仏は法蔵菩薩という名の修行者で、
世自在王(ローケーシヴァラ・ラージャ)如来という仏さまを師匠として修業していたという。
浄土真宗で読誦される「正信偈」の初めの方に、次のような箇所がある。
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
この世自在王如来というのが、実はヒンズー教の破壊神シヴァなのだという。
ガネーシャの首を吹っ飛ばした物騒きわまりないお父さんである。
中村・早島・紀野訳註『浄土三部経〈上〉無量寿経 (岩波文庫)』P252の「ロケーシヴァラ・ラージャ」に対する訳注には、
次のようなことが書かれている。
ローケーシヴァラ・ラージャ ― Lokeśvararāja. 「世自在王仏〔せじざいおうぶつ〕」と訳され、
無量寿仏の師として重要である。この仏に対する信仰も独立に行われていたもののごとく、
『ローケーシヴァラ讃』(Lokeśvarastava)という書も残っている。
また碑文にはローケーシヴァラがアヴァローキテーシヴァラ(観世音菩薩)を意味して使われている例もある。
しかしローケーシヴァラとはヒンドゥー教ではシヴァ神の別名であるから、
この点で何らかの連絡があるのかもしれない。】





歴史上の仏陀(ゴータマ・シッダッタ)は、その長い生涯で、阿弥陀仏について言及したことは一度もありません。
他力信心を説いたことも一切ありませんでした。
自燈明を説いた仏陀において、他力を頼むという考えはまさしく真逆なものでした。

いま、大乗仏教がどうして興ったかを調べています。
大乗仏教は仏陀の真意の復興運動だったと思い始めていますが
浄土教だけは仏陀の教えと異質な、むしろ真逆なものなので疑問に思っていました。
浄土教は仏陀発祥ではなく、ヒンドゥー教のバクティ、シヴァ神信仰、ヴィシュヌ神信仰が仏教に取り入れられたものだと知ったので長年の疑問が解けました。

浄土教が発生する前から、インドでは神の名前を繰り返し唱え続ければ死後よいところに生まれるという信仰が民衆の間に熱狂的に広まり流行っていました。
そのような民衆に圧倒的な支持を受けている考えが仏教に入ってきたのは必然とも言えるでしょうね。

大無量寿経によると、法蔵菩薩は、世自在王仏(ローケーシヴァラ)を師として阿弥陀仏となりました。
ローケーシヴァラとはヒンドゥー教のシヴァ神の別名です。

これを見ても、浄土教がヒンドゥー教発祥であることは明白です

 

~~~

 

> > 一体大乗仏教の真義はどこにあるのか、シャーシャンク氏に聞きたいところである。
>

> 法然は読んだことがないので私にはよくわからないが、ショーシャンク氏が評価するということから、法然が民衆の救済を第一に考え、そこに大乗の真義を見ていたのではないかと考えたまでである。この観点からいえば、悪人正機とか愚禿とかいうアイデアからして、親鸞は民衆そのものではなく、民衆に布教する側の人間に動機付けを与えたように思える。知識人の倒錯的優越感を刺激し、それを布教のエネルギーに変えている、とでもいおうか。一次的な民衆の救済よりも、救済する側の支配層に動機を与え、権力装置を強固なものにした、そんな印象を持つのである。


spinobuddhistさん、こんにちは。
大乗仏教が何故興ったのかというテーマに関しては、書こうと思いましたがかなり長くなりますので
いくつかに分けて書かせてください。

法然と親鸞に関しては、どちらも浄土教の人で、私は浄土教は仏陀の教えとは性質が異なると思っていますので
あまり詳しくは知らないのですが、ただ、法然の人柄が好きなのです。

法然は、現代では親鸞が目立ちすぎてすっかりその陰に隠れている印象がありますが、本当に革新的なのは法然でしょう。

私は親鸞に関しては、現代人がこぞって褒めちぎるような素晴らしい人とはどうしても思えません。
法然は命をかけていましたが、親鸞にはそのようなところがありません。
どうして、親鸞ばかりを高く評価するのか、親鸞をよく出す春間さんに聞いているのですが答えがありません。

質問としては、
1、法然と親鸞の教えの違いについてどう思うか
2,阿弥陀仏は摂取不捨なのに、親鸞は何故息子を義絶したのか
3,妻の恵心尼を京に連れて帰らなかったのは何故か
4,非僧非俗と言いながら、いいとこ取りしていたのは何故か

このようなものです。
親鸞は本当に救われたのか、と言う根本的なところまで疑問に思っています。

 

~~~

 

1,親鸞は、阿弥陀仏はどのような謗法の者でも摂取不捨と説きました。
  阿弥陀仏が許しておられるのに、親鸞が許さずに義絶するのは人間のはからいではないですか?
2,義絶とは世間のことと言いますが、なぜ、あなたは世間と非世間の2つに分けるのですか?
  行(行為)に世間も非世間もありません。親鸞の行為があるだけです。
3,親鸞は非僧非俗と自ら言ってます。出世間ではないということではないですか?
  親子が起きるから義絶が起きると言いますが、親子であっても義絶する親子などほとんどいません。
  自らの意思で義絶したのは親鸞です。
4,親鸞は、自らは弟子を一人も持たないと言いました。
  それは、自分の計らいなど何もない、阿弥陀仏の計らいによるからです。
  自分の弟子でもない、阿弥陀仏の弟子なのに、自分の判断で切り捨てるのは言っていることと矛盾しますね?
5,絶対に救われるのであれば、わざわざ義絶する必要などないではないですか。
6,人を排除する、切り捨てる、というのは、あなたのよく言う『至道無難 唯嫌揀択』の揀択ではないですか?

結局、自分は弟子を一人も持たないなどといいながら、自分の教団が乱されると考えれば切り捨てるということですね。
弟子がいないのであれば自分の教団などあるはずがないですね?


~~~

 

> 親鸞が 人であるということ は いけないことですか ?  

そんなこと、一言も言っていません。
むしろ、私は、親鸞を権威と考えることに疑問を持っています。
そんなにすごい人物ではなかったと思っていますよ。

> 善い・悪い  の 揀択は 誰に起き、 どうして起きるのですか ?

親鸞が、揀択を起こし息子を義絶するという判断を下したのです。

> 善いことを する( 教える )  のが 仏( 教 ) ですが
> 何を根拠に あなたの 商量 は 起されていますか ?

私の根拠は私しかありません。

> 親鸞が 親子であることを 捨てたのですか ?
> ( 親子 であることを 捨てることはできますか ? )

それが義絶です。捨てないのであれば、義絶などしなければいいではないですか。


> 出家  とは  親子 を 出ることです

親鸞は、出家ではないですよ。還俗させられた後、自ら非僧非俗と言っています。
いいとこどりですね。
僧でないのに、髪をそり袈裟を着て僧の格好をし、弟子たちに食わせてもらっていました。
僧でないなら、魚屋でも八百屋でもして働いて自分で食って行けばいいのです。
俗でないと言っているのに、妻帯してます。
非僧非俗などいいとこどりの逃げですね。
妻帯しても僧ではないと言い逃れでき、信者に食わせてもらっても俗ではないと言い逃れできますね。


> 親鸞に 教団 など ありません

口ではそう言っています。
親鸞はひとりの弟子も持たない。念仏を唱えて救われるのも阿弥陀仏の計らいであるから、と。
それなら、阿弥陀仏は摂取不捨なのに、親鸞が義絶し排除するのは矛盾しますね。
教団などないのであればなぜわざわざ義絶しなければいけないのですか?

私は口で言うのと実際の行ないが違う人間は信用しないのです。
口では悟りすましたことはいくらでもいえるのです。

 

~~~

 

> 日本だからこそ親鸞聖人を生んだのでしょうか。
>

> 日本で一番信者さんを得ているのは、日本人が非僧非俗の「愚禿」の道にあっているからかな、などと思ってもいますが、本当のところはよく分かりません。
>
> 私は、親鸞聖人のような生き方は、絶対できないだろうと思うので、どんなに尊敬しても尊敬したりないと、思っています。特別な人です。


親鸞が大変お好きなのですね。
嵐の大ファンに嵐の悪口を述べ立てるようで、居心地の悪さを感じますが(笑)

日本のインテリはこぞって親鸞が好きですね。太宰治が好きな心理と似通っているのかもしれません。
『私はだめな人間です。どうしようもない人間です。』と告白する人に共感を覚えるのでしょうか。

ただ、日本で一番信者が多いのは、すべて蓮如のおかげでしょう。それまでは零細教団だったと思います。
曹洞宗も大きくなったのは、瑩山のおかげですね。
ストレートのウィスキーは飲める人は少なく、大量の水で割って飲みやすいようにしたところが信者が増えた理由でしょう。
大量の水と、いろいろな風味を付加していって大衆の口に合うようにする人が要ると言うことだと思います。


非僧非俗は、私は中道すなわち八正道ではなく、たんに中途半端ないいとこ取りだと思っています。
もともと、浄土門は、出家優先の道ではなく、在家中心の教えでした。
出家で念仏するより在家で念仏する方が優れているという考えもあるくらいです。

そうであれば、還俗させられたのですから、俗として、殺生し女犯しても阿弥陀仏に救われるということを示せばよかったと思います。
漁師でもして、殺生しながらでも救いの道を探求していけばよかったのではないでしょうか。


>私は、だからこそ、親鸞は息子さんをほんとに心配していたんだなあと思うわけなのです。


それはちょっとあばたもえくぼっぽい気がします。。
親鸞が、息子を京に戻してその事情を聞いた上、とことん話したのであればそうかもしれませんが
関東の信者たちの訴えによって、会うこともなく義絶状を送っています。
やはり、教団の混乱を避けたいのが一番の動機だと思います。

 

~~~

 

親鸞は、還俗させられても、庶民にはならず僧であることを選択しました。
ただ、僧でありながら堂々と妻帯する勇気もなかったので僧とは名乗らず非僧非俗と言って
しかし僧の恰好をして信者に食わしてもらえる特権階級に居続けたと考えます。

親鸞を見て最も残念なのは
法然が開いた易行道を難行中の難行にしてしまったことです。

法然は、命を懸けて徹底的に無知な衆生が救われる道を探しました。
そして善導の文に出会って、口称念仏にその道を見出しました。

念仏には、上中下があり、上の念仏は真理そのものを観想すること。中の念仏は仏の姿をありありと観じること。でした。

しかし、そのような観念的なことは無知な衆生には無理な道でした。

そこで法然は観念的に真理を観想することができない衆生のために、口で声を出して南無阿弥陀仏と唱えることだけでいい、
むしろ末法においてはそれだけが正行なのだと主張したのです。
とにかく四六時中唱えられる時間はすべて念仏を唱えること、としました。

声に出して念仏を唱えることは誰にでもできるので、それは瞬く間に民衆に広まっていきました。

ところが、親鸞は、そのような法然の苦労を全部駄目にしてしまった。
はからいを捨てて絶対他力に任せる、その信心こそが大事で、南無阿弥陀仏は救われていることへの感謝だと説きました。

インテリからすると、念仏の数にこだわる法然より、信心という普遍的なものを掲げる親鸞は、徹底した思想家だと受けがいいです。

しかし、口称念仏という誰でもできる道を、絶対他力への信心という非常に難しいものに変えてしまったのです。

親鸞の頭にあるのは自分の救いだけです。
法然の無知な衆生を救いたいという想いを壊してしまったと考えています。

 

~~~

 

> 漁師の才能はないと思いますね。山で暮らしてきた人ですし。
> ショーシャンクさまがおっしゃるようには、親鸞はできないでしょう。それができたら、もっと早く悟るか、あるいは世俗の道を上手に生きていったのではないかと思います。

> 「還俗させられたんだから、世俗で生きてやるぅぅぅ~」、ということも出来ないからこそ、かれは、親鸞やってますから。
> なんて不器用なんだ、と思いますが、こんなダメな親鸞だからこそ阿弥陀さまは救ってくださる、っていう、この理屈が、いいです。
> 私は、親鸞が好きなのか、親鸞の考える理屈が好きなのか、よく分かりません。
> 書いてあることに無理もなく無駄もなくムラもない、不器用に縁起だけでいく、縁起の論理を駆使して語るところが、圧倒的だと思います。


なるほど。そう言われると嵐のファンになってしまいそうになります(笑)
確かに不器用な気もしますが、太宰治が派手に鉄棒を失敗したようなところはないでしょうか。
妻の恵信尼を京に連れて戻らなかったのは、京で堂々と妻帯しては比叡山から訴えられるというような保身がなかったでしょうか。
そのような臆病さも不器用、人間の弱さと見て、親鸞らしいと言われればそうも言えますが。
少なくとも、後世の、『親鸞は僧でありながら堂々と肉食妻帯した』というイメージは全く違う気がしてます。
そのような弱さやずるさもえくぼになってしまうキャラではありますね。


> 阿弥陀仏にすがると言うけれど、本気ですがろうと思うのは、現実には難しいのです。

それは本当にそうだと思います。
ですから、法然は、空念仏でもいいから声に出して念仏を唱えることを教えました。
本気の精神をまず求めてしまうと、ほとんどの人はできません。
声に出して唱えること、それが阿弥陀仏を意識することなんだと法然は言っていると思います。
それは、前提として悟りの精神を要求しないので易行道です。
親鸞は、計らいを捨てて絶対他力を信じ念仏は救われていることへの感謝だと言いました。
教理的には法然より徹底していて、インテリは大好きですが、
現実問題としては、親鸞の教えは難行中の難行です。
自らの心の醜さを徹底洞察し続けた親鸞だからできた道です。
この人は、自分の救いのみを求め続けた気がします。
法然は自らは救われていて、衆生を救う道を命がけで求めたと思います。


> 誰でも、自分は、それなりだと思っています。どんなに口では卑下していても、そこそこの人物だと誰もが思うのです。比べて、上中下をつけるのが、人間です。
> いくらブッダが戒めても、そこはなかなか直らないのです。
> そういう意味では、親鸞のもとに集まって来た人たちも同じだったかもしれません。
> だからこそ、ショーシャンクさまも、難行中の難行になってしまったとおっしゃるのではないでしょうか。
> 龍樹が、難行と易行に分けたとき、教えの難しさを身にしみて実感していたと思います。
> 衆生たちが法を手にして混乱しまくるのを見ていたことでしょう。
> 龍樹も、ゴータマに帰依しています。等覚者に帰依しています。
> だからこそ、阿弥陀仏の念仏を易行として勧めていると思います。


そう思いますし、法然は無智な衆生が観念的なことから入るのは無理だと知っていました。


> ショーシャンクさまは、ブッダは比丘たちに自力で行く道を説いて、大乗のような他力の道は説かなかった、ということをおっしゃっていませんでしたか。

大乗のような、というより、浄土門のような、ということです。
想像上の神仏を信仰するという道は説かなかったと思います。
他力をたのむということはなかったように思います。


> わたしは、実は、そうでもないと思っています。
> 『スッタニパータ』「犀経」の中に、たった一つ、こういう詩があるのをご存じないですか。
> 45 もし、智慧ある者で、共に行を行い、善く住する、賢明なる者を友としたならば、あらゆる危難に打ち勝って、心に満足をもって、気づきをそなえて、かれとともに行じなさい。
> また、アーナンダがブッダに「善い友も持つことは、道の半ばに到達したに等しいのではありませんか」とたずねると、「いや、そうではない、道の全部だよ」と答えたと、経典にあります。
> ブッダがいた頃は、阿羅漢はたくさん生まれました。善き友ブッダを得て、比丘たちは、覚っていったのだと思います。
> 阿弥陀仏を善友とする者たちも、また、そういう道を行くのだと思っています。
> 「或るは勤行精進するあり。或るは信方便を以て易行にして疾く阿惟越致に至る者あり」と『十住毘婆沙論』にも、菩薩たちの行く道を説いています。

確かに、賢明なる友と修行せよ、ということは頻繁に出てきますね。
一人で修行せよということも多いですが、あるときからよき修行仲間と修行することを推奨するようになります。
サンガの発展段階かも知れません。
ただ、修行仲間と修行にいそしむことと、自分以外の神仏(他力)を信仰したりたよることは違うのではないでしょうか。

浄土門は阿弥陀仏を修行仲間と捉えているわけではなく
特に親鸞は、自分をゼロ、阿弥陀仏を100%とする信仰の道、絶対他力の道です。
自らを島とする仏陀の教えとは異質な気がしています。

 

~~~

 

> > 妻の恵信尼を京に連れて戻らなかったのは、京で堂々と妻帯しては比叡山から訴えられるというような保身がなかったでしょうか。
>

> そんなことを考えていたとは?! 夢にも思いつきませんでした。
> 京都のお坊さんたちも、なんだのかんだの、ブツブツ。。今さら、ブツブツ。。

親鸞が妻の恵信尼を京に連れて帰らなかったのは何故か、は歴史上の謎とされています。
恵信尼が実家の資産の管理をしなければいけないので越後に帰ったという説もありますが
恵信尼消息ではかなり経済的に困窮していますので、どう考えても一緒に住んだ方がいいのです。
偉人バイアス、宗祖バイアスがかかるとどうしても解けない謎ですが
私は何のバイアスも持っていないですから、京で妻帯することによる迫害を避けたとしか考えられません。
他の合理的な理由が何か考えられるでしょうか。



> 親鸞以後、あらゆる宗派が妻帯してしまう点について、どうお感じになりますか。



かろうじて残っていた形も崩壊してしまったなと思っています。
瀬戸内寂聴が言っていましたが、中国かどこかでアジアの僧侶が集まった会議があったそうです。
そこで日本の若い坊さんが自己紹介で『私の父も僧侶です』と言ったところ、
誰もその意味が分からなかったそうです。寂聴は恥ずかしかったと書いています。

日本は仏教伝来の時から、僧侶が公務員だったりして、出家というより文化人待遇で
サンガの体をなしていないまま来ました。
当然、戒律を裏で破る人も多かったですね。
しかし、公然と破るのとは意味合いが違います。

自動車の制限速度より速いスピードを出したことのある人は多くいます。
だからと言って、制限速度をなくしてしまったら何でもありになってしまいます。

キリスト教の神父が独身であることとは意味が違います。
イエス・キリストは、結婚を禁じませんでした。
しかし、仏陀は、比丘の性交を禁じました。
出家したために子孫が絶えることを嘆いて母親が泣いて頼んでために(元)妻と性交した比丘を
仏陀は追い出しました。
親鸞もどうしても女犯したいのであれば、在家で職をもって生活すればよかったと思います。
校則で私服が禁じられている高校があってどうしてもその校則を守れないとわかっているのであれば
その高校に入らなければいいだけです。



> 二人のお坊さんが川を渡ろうとしていたら、女の人が川を渡れず困っていた。
 その女の人は、二人に「私を渡してもらえないか」と頼んだが、
 若いお坊さんは「女性に触れてはならない」という戒律を思い出してためらっていた。
 すると、もう一人の年配のお坊さんが、ひょいと女性を担いで川を渡ってしまった。
 女性は礼を言って立ち去った。が、若いお坊さんは、何か釈然としない。
 しばらく二人で歩いていたが、とうとう我慢できなくなって「さっき女性を担いだのは…」とか言いかけると、
 年配のお坊さんが「おまえはいつまで女を担いでいるのだ」と言ったとか。何で読んだのか忘れました。

禅でよく引用されるエピソードですね。
これは私もこの通りだと思います。
戒律は動機を見るべきで、仏陀も、性交したから全員破門という形のことではなく、
レイプされたりした人は自らの意志でないので破門させられたりはしなかったと思います。
親が子孫を望んで仕方なく元の妻と性交した比丘は、快楽のためという動機ではなかったですが破門しました。
出家とはこの世の縁、鎖を全部放棄するということだからだと思います。

実際、親鸞が妻帯して子孫を残したために、親鸞の子孫というだけで特権階級になっています。
骨肉相争う事態にもなってしまいました。
修行ができた弟子に法を継がせるという禅の歴史とは全く違うことになってしまいました。



> 自力念仏しても自然と真如の門に入るとも、説いています。
>
> 定散自力の称名は
> 果遂のちかひに帰してこそ
> おしへざれども自然に
> 真如の門に転入する(「浄土和讃」66、岩波文庫)


確かにそうですね。
ただ、その後、

安楽浄土をねがひつつ
他力の信をえぬひとは
仏智不思議をうたがひて
辺地・懈慢にとまるなり

とあって、絶対他力への信が前提になっているようには見えます。

法然は念仏を筏と考えていたところがあり、どんな無知な人でも行ける易行道を切り開いたと思いますが
親鸞は非常に道を高度で難しいものにしてしまった感はあります
親鸞の本質は天台本覚思想ではないかという気もします。

 

~~~

 

> 親鸞は、易行道の論理を極めたと思います。


天台本覚思想が哲理を極めているのと同じですね。
もともと悟っている、もともと救われている、
修行して悟るわけではなく、念仏して救われるわけではない
すでに救われているのが真理だ。

親鸞の教えは天台本覚思想のようにある意味究極です。
私は天台本覚思想に惹かれていたときがありました。

しかし、仏陀のいう『激流』の正体をありありと見た時に
天台本覚思想は全くの間違いだと悟りました。

天台本覚思想は恐るべき退廃をもたらせました。

親鸞の教えもそうです。
非僧非俗のいいとこ取りで
修行も全くせず、信者の布施で愛人を囲っている、
浄土真宗の坊さんの退廃を見ると、天台本覚思想と同じにおいがします。

 

~~~

 

> > 天台本覚思想が哲理を極めているのと同じですね。

> 似てないと思いますが、どんな風に同じなのでしょう。

> 正直に言うと、天台本覚思想は、巷で言われていることしか知りません。


もともと、仏教は、
煩悩の滅⇒涅槃
修行⇒悟り
因⇒果
です。
しかし、大乗仏教が起こり、その哲理は絶対一元論の天台本覚思想へと進化していきました。
世界の絶対肯定です。
この世界は仏のあらわれそのままであり排斥するものなどない、ということです。

天台本覚思想に至って、煩悩即菩提 が強調されました。
煩悩の絶対肯定です。
すべては仏のあらわれという絶対一元論は非常に魅力的です。
学生の時や定年後の、現実社会と対峙することがないときは、
そのような絶対一元の観念にふけることはできますし幸せなことだろうと思います。

ある意味究極とは、現実から遊離した観念のお遊びとしては絶対一元論は究極なのだと言うことです。

天台本覚思想によれば、すべては仏のあらわれ、すべてはもともとから悟っている、ということですから
そして煩悩も即菩提ですから、修行は必要ないということです。
煩悩を滅して菩提でもなく、修行をして涅槃でもないのです。

親鸞によれば、法蔵菩薩が阿弥陀仏になったときに、
『すべての衆生が救われなければ仏とならない』という本願が成就していて仏となったのですから
すべての衆生はすでに救われているのです。
修行をして救われるわけではなく、善行をして救われるわけでもなく
念仏をしたから救われるのでもなく、何をしなくてもすでに救われているそのことへの感謝としての念仏だとしました。

天台本覚思想そのままだと思います。

実際、天台本覚思想の日本仏教への影響力は甚大です。

道元も、『衆生本来仏。人は元々悟っているのになぜ修行しなければならないのか。』がどうしてもわからず必死に探求していきました。
その結論が、本証妙修でした。



> たえず勉強していないと、修行していないと、「仏教は腐りやすい」というのが、わたしの考えです。
> 常に精進しないと、すぐ腐っていきます。


その通りだと思います。
仏陀はずっと『怠るな』と言ってきました。
気を少し離すと激流に巻き込まれていくからです。

ゆえに、自らの意思や自力を否定していくことは恐るべき退廃を招いてしまうのです。

 

~~~

 

> まず『すべての衆生が救われなければ仏とならない』という本願にも、
> ちょっと文句を言いたくなりますが、まあ、認めることにしましょう、太っ腹です、わたし(笑)



先生が太っ腹なんで助かります(笑)

大無量寿経の経文では十八願は、
『設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念
  若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法』
ですね。
訳としては
『わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、
 わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。
 ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。』

十回の念仏で極楽浄土に生まれるのですから、やはり阿弥陀仏の方が太っ腹ですね。


> 結果を先に持ってきて、「救われているのなら、念仏は感謝の意味しかないだろう」というのは親鸞の説く説き方ではありません。
> 「後のものを先に持ってくる」と言う顛倒が起こっています。
> かれは、そうは言わなかった。

そうですか?報恩感謝の念仏が親鸞の念仏の本質だと思いますが。

「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるなりと 信じて念仏申さんと思いたつ心のおこるとき、
すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」

念仏をしたから助けられるのではなく、念仏しようと思い立ったときにはすでに助けられているということですよね。
そうして助けられていることへの報恩感謝が念仏として自然に出てくると言うことだろうと思います。
通常とは逆ですね。



> 当然、『無量寿経』などチェックします。48願一つずつ読んで、ほんとか嘘か調べるでしょう。

そんな人は少ないでしょう。
ヤフー掲示板で、浄土真宗の寺の長男でしかし僧ではなく寺を手伝っていた人がよく来ていましたが
その人は無量寿経の「唯除の文」を知りませんでした。

もし、無量寿経を本当にそのまま信じるのであれば
念仏は10回で極楽浄土に生まれるわけですし
唯除五逆誹謗正法 のはずです。

しかし、親鸞は、五逆誹謗正法も摂取不捨から外れないとしました。

このように日本仏教特に鎌倉新仏教においては、宗祖が絶対であり
経典は二の次、歴史上の仏陀の言ったことなどは三の次でも四の次でもなく、考慮もされません。

浄土真宗の寺のその一人息子でさえ、親鸞に関するものでも歎異抄をさらっと読んだだけくらいです。
経典までチェックしている人はごく少数でしょう。
先生のようなインテリくらいです。


>誤解を恐れずに言うなら、自らの意思や自力を否定していくことは、ブッダの教えならばないと思います。
自己を洲とせよ、というのが教えでもあります。


そうなのです。仏陀(ゴータマ・シッダッタ)の教えには、自力否定なんてありません。
他力を頼むという考えもありません。自らを洲とせよ島とせよ、ですから。
絶対他力の親鸞の浄土門は、やはり仏陀から来たものではなく、仏教以外から来たと思っています。


>また、逆に聖道門に行った人たちが、自力だけしか使わないかと言うと、そうではない。

聖道門は、大乗を浄土門と聖道門に分けたものであって、聖道門が仏陀の教えそのままでは無いと思います。
仏陀が直接説いた教えでは、他力という考えはないと思っています。

 

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>そこが、ショーシャンクさまの「こだわり」なのですね。
> なるほど。。そういうことか。

>絶対「絶対他力」の「絶対」は、取り除かないぞ、という固い決意が見えます。


それほど固い決意ではありません(笑)
絶対他力の『絶対』は別に取り除いて『他力』だけでもかまいません。

私の言いたいのは、浄土教は仏陀本来の教えとは異質なものと言うことです。
仏陀は、想像上の神仏の信仰を説くことはありませんでした。
他力を説くこともありませんでした。

その考えはバラモン教(ヒンズー教)から来ているのだろうということです。
それは別に貶しているわけではなく、歴史的な事実としてそうではないかということです。

そして、それだから浄土教がいいとか悪いとか正しいとか間違っているとは思いません。
ただ、仏陀の教えとは違うものだ、ということ、
そして私は仏陀の教えが本当は何だったかを探求しているのです。
しかし私のレスに春間さんがことあるごとに親鸞を出してくるので、
『浄土教は仏陀本来の教えとは違うものなので私には興味ありません』と言いたいだけです。

浄土教で救われる人は、妙好人など数多くいると思いますよ。
私がよく知っている人でも、毎年、本願寺に家族で奉仕に行っている人を2人知っていますし
どちらもいい人ですよ。

ただ、歴史上の仏陀の言っていることを、親鸞の言葉を引用して解釈するのは間違いだとは思います。


歴史上の人物を見る場合も、その人の行ないを見て判断するのです。

親鸞は、自分の息子を関東に布教に行かせましたが、息子はとんでもないことを言い出します。
親鸞の見る目がなかったというか、息子にさえちゃんと自分の教えをわからせることができなかったということです。
そして、関東の信者から苦情が来ると、息子に会うことも話すこともなく、義絶状を送りつけます。
本当に摂取不捨なのであれば、自分の計らいで切り捨てるのは口で言ってることと実際が違うと思います。

娘の覚信尼も親鸞の死に様を見て本当に浄土にいけたのか非常に不安になっている様子です。

ですから、わたしはあまり親鸞を評価しないというだけですので
好き嫌いは平行線になるだけでしょう。

 

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