仏教についてのひとりごと 92

私は、歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのか?について探求しています。
そのためには今までの仏教に関する知識をいったん白紙にして、ゼロの状態から探求していかなくてはいけないと思いました。
仏教と思われているものを全否定してから始めていますので
大乗仏教を信じる人にも上座部仏教を信じる人にも大きく反発されることはわかっていました。
ただ、仏陀の真意を探求する場合にはそれは絶対に欠かせないと思ったのでそうしています。
何かを真実を本当に知りたいときには、今までの定説や権威などをいったん白紙にすることが重要です。

誰か権威のある人が言ったからではなく、歴史上の仏陀の肉声に近いものを自分だけで探求することによってはっきりと見えてきたものがありました。
以前には全く実感が湧かなかった【激流】や【汚泥】、【水の少ないところにいる魚】などという仏陀の言葉ひとつひとつがはっきりと実感としてわかるようになりました。
そして、なぜあれほど仏陀は『怠ることなく精進しなさい』と繰り返し言ったのか、その理由もはっきりとわかるようになりました。
人間は、そのままだと誰もが苦の集積に向かっているからです。
激流に流されているままになっているからです。

仏教にはあまりにも歴史の堆積物が多く、その堆積物によって仏陀の真意は覆い隠されていると思っています。ですから、その堆積物を取り除かなければ仏陀の真意はわからないだろうと思っています。

そのため、各宗派の宗祖を否定したりもしたので不快に思った方は数多いと思います。
それは申し訳ないと思いますが
今は仏陀の真意が伝えられてないということで仏教の全否定となっていますが
全否定を経て仏陀の真意から全仏教をとらえ直した仏教の全肯定へとなるとは思っています。

カントの話が出たから言うわけではありませんが
ヘーゲルの『歴史は、絶対精神の自己展開である』という言葉が、仏教史にそのまま当てはまるのではないかと思っています。

 

 

~~~~~

 

 

カーラーマ経を引用してくださり、ありがとうございます。

1 聞いたからとて信じることなかれ
2 語り継がれたこととて信じることなかれ
3 人々が噂をしていたからとて信じることなかれ
4 教本に引用されていたとて信じることなかれ
5 論理だけで信じることなかれ
6 推論だけで信じることなかれ
7 様相だけで信じることなかれ
8 自分の見方に一致するからとて信じることなかれ
9 説者が堪能とて信じることなかれ
10 師なりとて信じることなかれ

 

凄い言葉ですね。
仏陀は信仰なるものを説かなかった、というのがはっきりわかる経ですね。

どんな権威も、(宗祖であれ仏教学者であれ)もそのまま信じず、でやってきましたが
それも間違いではないのだなと思えてうれしくなります。

 

 

~~~~~~

 

 

topさん、はじめまして。

『仏教』と一言で言っても、これが何を指すかさえ、現代ではわからなくなっています。
仏教の定義は、釈尊が開祖である宗教となっています。
しかしながら、釈尊をここまでないがしろにしてどこが仏教なのでしょうか。
キリスト教徒にとってのキリストの誕生日、イスラム教徒にとってのマホメットの誕生日は大々的に祝いますが、仏教国である日本で釈尊の誕生日はほとんど誰も関心ありません。

釈尊の時代、出家とは家も財産も職業も身分も捨てることでした。
しかし、日本では、出家者である僧侶は一つの職業となっています。
職業であれば、何かを提供してその対価を受け取るのですが
魚屋は魚を、八百屋は野菜を、医者は治療を、弁護士は法律知識を提供してますが
僧侶だけは何も提供していないですね。
檀家からお布施や戒名代をふんだくっているだけです。

仏法僧の僧は僧侶だと思われていますが、僧とはサンガのことで、釈尊の直説を曲げずに守っている集団のことです。

日本の仏教の現実はあまりにも酷すぎます。
民衆とあまりにもかけ離れています。

仏教はもう一度リセットしたほうがいいと思っています。

 

 

~~~~~~