仏教についてのひとりごと 79

<<そうすると龍樹が空の思想を、思想として確立した事が間違いだったとショーさんは思われているわけですか?>>

そうです。
歴史上の仏陀は、哲学や形而上学を説きませんでした。
そういうものは何ら解脱や涅槃に赴くものでないからです。

『縁起の法』もあくまでも苦を滅するためのものでした。
しかし、龍樹は、縁起の法から自分なりの哲学を新たに作り上げていったのです。
龍樹は天才でしたから、その哲学は非常によくできていました。
それで今まで仏教の定説になりましたが、そのために仏陀の真意は失われてしまいました。

 

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歴史上の仏陀が本当に言ったことを研究することが
なぜ正法誹謗なのですか?

逃げずにちゃんと論理的に説明してください

 

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仏陀の言うことと、龍樹の言うことが違った場合
あなたはどちらを取りますか?

仏教徒であれば、歴史上の仏陀の言うことを最優先しなければいけないんじゃないでしょうか?
違いますか?

 

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龍樹は、縁起という言葉を相依性と捉え、そこから
縁起⇒空 という哲学を作り上げました。

これは龍樹の体験記ではなく頭の中で作り上げたものです。
確立というのは(哲学を)作り上げた、と言う意味です。

歴史上の仏陀が、縁起であるから空、ということは言ったことがありません。

縁起はあくまでも苦を滅するための法です。

 

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<<何度も マニカナ へ 来るように言っているけれど>>

あなたは非常に勘違いしています。
まず、大前提として、マニカナは石飛道子さんのホームページで、あなたのホームページではありません。
あなたは何故かマニカナの共同主催者のように勘違いしていますが
少し見てみましたが、あなたの膨大な投稿に対し、石飛さんをはじめ、ほとんどの参加者はスルーしてます。
主催者の石飛さんが直接私に来てくれというなら投稿することも厭いませんが
あなたはただの参加者の一人にしか過ぎません。しかも浮いています。
そこは客観的に見たほうがいいですよ。

また、石飛さんは龍樹の研究者のようです。
私は龍樹は天才故に独自の哲学を作り上げて、仏陀の真意はそのために失われたと考えていますので、喧嘩するために押しかけるようになります。そのような趣味はありません。
石飛さんはとてもいい人のようですので、特に。
今も宮本啓一氏が投稿しているのであれば、聞きたいことが数多くありますが
今のマニカナに行く意味が見いだせません。

そもそも、あなたはパーリ仏典を全部読んでいると言っているのですから
私の質問にっここで答えられない理由がありません。
なぜ、このスレで答えられないのですか?

 

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あなたが
『縁起を見るものは法を見る 法を見るものは縁起を見る』という言葉を挙げたのです。

この言葉は、中阿含経『象跡喩大経』の中の言葉です。
あなたは『わたしは 南伝大蔵経も全巻読んでいますし春秋社本も全巻読んでいます 増谷も講談社本もすべて読んでいます  それは当たり前で最小限の事です』と書いているのですから
当然『象跡喩大経』も読んでいますね?

『象跡喩大経』を全部通して読めば、そこに出てくる『縁起』が何を指すか、『法』が何を指すか、明らかですよね?

 

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<<それを踏まえて  わたしの翻訳を置いたのです>>

あなたの翻訳をどこに投稿したのですか?
あなたが挙げた
『縁起を見るものは法を見る 法を見るものは縁起を見る』という言葉の解釈は
全くされてないですね。

また、『縁起を見るものは法を見る 法を見るものは縁起を見る』と言う言葉に関して
話しているのに
『 法 を 見る 者 は われ を 見る 者 で あり、 われ を 見る 者 は、 法 を 見る 者 で ある』という全く違う経典の言葉をわざわざ挙げる意味がわかりません。

あなたの投稿は全部、論点をずらし続けるか、言葉遊びに逃げるか、このどちらかしかない印象です。

 

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<<ここで言うことは 便器に座って 茶席の着座法を言うようなもの>>

あなたにとって、マニカナは茶席で、ヤフー掲示板は便器なのですか?
しかし、あなたは、ヤフー掲示板に書き込んだ自分の投稿を、マニカナに再掲してますよね?
なぜ、便器でしたことをわざわざ茶席に持ちこむのですか?


<<したいときに したいことをするのに  法 は 不要 >>

この場合の『法』はどういう意味ですか?
真理という意味であれば、真理は必要とか不要とかを離れて存在しますよね?

 

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私はもう、すべての疑問が氷解してますので
あとは、自費出版で残すだけなのです。
もう誰の意見を聞くことも必要ないのです。
今までの仏教の解釈は間違っていると思っていますから。

ですから、私のこのスレッドにも、誰かが投稿したときに
そのレスをするだけにしています。
ですから、誰からの投稿もなければ、私は投稿はしません。
この前、それでこのスレに何週間か全く投稿しないときがありました。

こうして、あなたにレスしているのも
あなたの投稿があったからです。
あなたの投稿がこのスレになければ、あなたに話すことはありません。

今日もあなたは『わたしは 南伝大蔵経も全巻読んでいますし春秋社本も全巻読んでいます 増谷も講談社本もすべて読んでいます  それは当たり前で最小限の事です』と書いてましたので
それなら『縁起を見るものは法を見る 法を見るものは縁起を見る』が出ている仏典も読んでいるでしょうから、それを基に、どちらの解釈が正しいか、話し合っていけば
ここを見ている人に非常に参考になると思いました。

『縁起を見るものは法を見る 法を見るものは縁起を見る』は、
ほとんどすべての人は『あらゆるものは関連性によって成り立っていて自性がなく実体がなく、空である。このことを知ることが真理を知ることだ。』と解釈しているはずです。
龍樹の哲学が今の仏教の定説ですからそういう解釈をするでしょう。
しかし、原典を見れば、全く違うことがわかります。
ですから、原始仏典を読んでいる人となら論じ合うことができると思っただけです。

私の中ではもう確信があるので、四諦十二縁起を瞑想することと自費出版の原稿を書くことに専念したいので、ここに書く必要は全くありません。

あなたが論じたくないというのであれば、それで結構です。