毒矢の喩えによって、涅槃に役立たず苦の滅に役立たないものは仏陀は説かないことがわかりました。
世界の常住・無常、有辺・無辺などのことは、私はこれを説かない。
なにゆえ説かないのであるか。
実にそれは、道理の把握に役立たず、正道の実践に役立たず、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たないからである。
これ故に、わたしは説かないのである。
とある通りです。
そして、
わたしの説かないことは説かれぬまま受持しなければならぬ。
わたしの説いたことは、説かれたままに受持せねばならぬ。
と言います。
仏陀が説いたことは
それではわたしが説いたものとはなんであろうか。
『これは苦である』とわたしは説いた。
『これは苦の集起である』とわたしは説いた。
『これは苦の滅である』とわたしは説いた。
『これは苦の滅に至る道である』とわたしは説いた。
とある通りです。
結論としては、
わたしの説かないことは説かれぬままに受持するがよい。
わたしの説いたことは、説かれたままに受持するがよい。
ということです。
しかし、仏陀の死後、特に根本分裂から部派仏教の時代になり、アビダルマという煩瑣な哲学の論議にふけるようになりました。
仏陀の死後は非我が無我となっていきましたから、無我、つまり主体がないのであれば、因果の果を受ける主体は何か、無我であるならば輪廻はどうなるのか、つまり、自己についてあれこれと論議にふけっていってしまいました。
これは、毒矢の喩えで、仏陀が誡めた『霊魂と身体とは同じであるか、別なのかとか、
人間は、死後も存在するのか、存在しないのかなどの涅槃に役立たない、むしろ妨げになることは論議してはいけない』という教えに反するものです。
このように、部派仏教が仏陀の真意からかけ離れていったことから、そのアンチテーゼとして大乗仏教は生まれました。
同時多発的に、大乗仏典が作られていきます。
しかし、龍樹が現われ、『縁起』という考え方を世界や自己の有り様を解き明かすものとしてしまい、空や無我の理論を構築していきました。
ふたたび、自己に実体があるだのないだのというような、仏陀が禁じた論議ばかりになっていきました。
仏陀の真意は、
マールンクヤよ、それではわたしが説いたものとはなんであろうか。
『これは苦である』とわたしは説いた。
『これは苦の集起である』とわたしは説いた。
『これは苦の滅である』とわたしは説いた。
『これは苦の滅に至る道である』とわたしは説いた。
では、なにゆえにわたしはそれらのことを説いたのであろうか。
実にそれは、道理の把握をもたらし、正道の実践に基礎を与え、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立つからである。
その故にマールンクヤよ、わたしの説かないことは説かれぬままに受持するがよい。
わたしの説いたことは、説かれたままに受持するがよい。
これです。
しかしながら、仏教なるものは、それを捨ててしまいました。
部派仏教も大乗仏教も、四諦の法を瞑想するところはありません。十二縁起の法を瞑想するところもありません。
部派仏教は実践といえば、ヴィッパーサナー瞑想=マインドフルネス瞑想ばかりです。
大乗仏教は、そもそも実践といえば、大乗経典を読誦することばかりです。
鎌倉仏教になってから、念仏か唱題か座禅かのどれか一つを『選択』して絶対視することになりました。
いずれにせよ、仏陀の四諦十二縁起の法は捨てられています。