仏教についてのひとりごと 10

そうなんです。
『無常⇒苦⇒無我』という重要な公式は、
『無我』では絶対に説明がつきません。
『非我』でないといけませんね。

相応部経典には
『では、無常にして苦なる変易するものは、これを観じて、これはわがものである、これはわが「我(が)」であるとなすことができるであろうか。』
『世尊、それはできませぬ。』
という問答があります。

つまり、我ではない=非我 でないとおかしいのです。

もし、無我が「アートマンという実体はない」ということであるなら、苦であろうと苦でなかろうと、それに変わりがあるわけはなく、矛盾します。

ただ、仏陀は輪廻は否定していません。
仏教者では、仏陀は輪廻を否定したとか、死後の世界を否定したとか言ってる人が多いですが、とんでもないことです。
死後の世界があり、輪廻があるから、輪廻からの解脱があるので、輪廻は仏教の前提です。

 

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そうですね。
この『無常⇒苦⇒無我』という公式は非常に重要です。
重要なのに、ほとんど重要視されてきませんでした。

特に、『苦⇒無我』(本当は 苦⇒非我 でしょうけど)は非常に難解です。
これが本当に理解できれば、仏陀の本質にまで辿り着けると思っています。

表面的に見て、例えば、苦であるから私ではない、とか、
苦でないから私である、とか、
そのような言説であるなら、それはあまりにもおかしいですね。

ここは非常に重要なところです。

 

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私の考えや解釈が絶対に正しいと主張する気はないですし
間違ってるかもしれませんが、私は次のように考えています。

仏陀の真意はごく初期の段階で捻じ曲げられ後世には伝わらなかった。
それは、仏陀が説く『苦』が人類にはどうしても理解できなかったことと
仏教教団ができたために自らの優位性を強調するためにバラモン教の否定が教義の中心となった。すなわち『無我』=アートマンはない  です。
そのため苦諦から始まる四諦の法も人類は捨ててしまった。

dukkha=苦 がどうしても理解できなかったために
『dukkhaは苦という意味ではなく、虚しいという意味』とか、『dukkhaは苦ではなく、自分の思い通りにならないという意味』というような解釈が多くなっています。

私はdukkhaは苦そのものだと思います。
苦以外の解釈では、苦諦から始まる四諦の法が理解不能になってしまいます。
これが、人類が四諦の法を捨てた理由ですが
四諦の法は仏陀が言う『筏』です。
人類は仏陀が用意した筏を捨てたために、仏陀が存命の時は多くの人が悟ったにもかかわらず、その後は悟る人が激減したと考えます。

これは私独自の説で、賛同する人はまずいないでしょうけど、私自身は確信を持っているので
読む人が一人もいなくても自費出版で残したいと思っています。

 

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もし、法律の議論をしたいのであれば
保護対象である著作物を示してください。

それさえ具体的に示すことができないのであれば
何の意味もありませんよ。

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これは、法律をほんの少しでも知っている人には
馬鹿馬鹿しくて議論の余地もないことです。

著作権が侵害された著作物を特定も出来ないのに
著作権法違反などと書き込んでいること自体、法律のことを何もご存じないということです。

そもそも著作権法違反は親告罪ですよ。
あなたが中村元さんの著作権を相続されたのですか(笑)

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ドバ五大Vファニゴジショーシャ さん
ありがとうございます。

どこにも変な人はいますね。
仏陀の言う『世界は燃えている』ですね。
今まで私は、どのような投稿にもすべて回答するようにしてきましたが
人生は短いものです。
今年から『feel good』でないことはしないと決めましたので
はじめて無視リスト機能を利用しようかなとは思います。
今年は、この無視リスト機能を利用することが多くなりそうです。
『feel good』でない人は相手しないのが一番ですね。

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確かにそうですね。
掲示板を荒らす人は、何がしたいのでしょうね。
人生は短いのに、時間は貴重なのに、その貴重な時間のほとんどを
掲示板を荒らすために使う人はかわいそうな人だと思います。

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法律を知らない人と法律論議しても虚しいだけですが
法律の論議自体は好きなので、少しつきあいますか(笑)

私が今まで書いた文章のどれも、引用がなされた場合にはすべて公正な慣行に合致しており、かつ、すべて正当な範囲内です。
《他人の言語の著作物を新たな言語の著作物に引用して利用するような場合には、他人の著作物をその趣旨に要約して引用することも許容される》という東京地裁判例にもありますように
要約して引用することは公正な慣行かつ正当な範囲内です。

もし、あなたが、何らかの私が書いた文章に違法性があると言うのであれば
それが引用でなく、無断転載であることを証明しなければなりません。
その証明には、無断転載された著作物の箇所を具体的に示さなければなりません。
そして無断転載した私の文章の箇所を具体的に示さなければなりません。
著作権を侵害された著作物がないのに、著作権法違反などというのは
法律を少しでも知っているものに取ってはバカバカしい論議なのです。

ですから、あなたに『著作権を侵害された著作物を示してください』と言いました。
あなたはそれを示すことができませんでした。
この時点であなたの主張には何らの法的根拠がないことになります。

弁護士の知り合いも1人や2人はいるでしょうから、聞いてみられたらいいですよ。

もしそれでも頑なに著作権法違反だというのであれば
ぜひ、すぐ行動を起こしてください(笑)
法律違反を確信しているのであれば、このような掲示板で騒いでも無駄ですから
迅速に法的措置を取るべきですよ。

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そうですね。
実践的な法律知識があれば、これほど役に立つものはありません。
特に法的な書面が書けたり法的手続きが実務的に自分でできれば
強力な武器になりますよ。

私には顧問弁護士がいますが、140万円までの案件であれば
弁護士を頼らずに自分で訴状も準備書面も書いて裁判しますよ。
さすがにその金額を超えると、専門の弁護士に頼まないとリスクがあります。
いちいち判例なんか読み込む時間はありませんから。
裁判しなくてもきちんとした文章が書けて内容証明で送ればほとんど解決します。
ですから、実務的に法律を使いこなせればこれほど強いものはありません。

ただし、法律の知識だけがあっても役に立ちません。
実際に法的書面が書けて、いろいろな手続きを実際にできないと駄目ですね。

私は会社を経営していますが、これからの経営者は法律と会計の知識は必須ですね。
経営者が法律や会計の知識を知らなくても顧問弁護士や顧問税理士を雇えばいいと思うかもしれませんが
かれら専門家は、こちらが聞いたことに法律的な見解や会計的な見解を述べるだけですから
こういうアイデアでこういう交渉をしていくということは自分が頭を絞って出していくしかないのです。
私は法律と会計のアイデアで会社の危機を何度も乗り切ってきました。

社会生活の強力な武器として、法律の実践的な知識を身に着けることはおすすめですよ。

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