仏教についてのひとりごと 44

中村元
『一切の事物は我(われ)ならざるものであるーsabbe dhamma anatta-これがパーリ聖典にあらわれる古い思想である。ところがのちには、【一切の事物は恒存する実体を持たない】と解釈するようになった』と書いています。

かなり早い段階で、諸法非我は諸法無我と解釈され、漢訳の阿含経が出来上がるときには
無我と漢訳されたのでしょう。

 

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第二次結集のときに仏教は根本分裂します。
上座部と大衆部に分かれ、それがまた分裂を繰り返しました。
部派仏教です。
そして、アビダルマという煩瑣な哲学に没頭するようになります。
形而上学的な思弁に耽ってはならないという仏陀の真意はここで完全に崩れます。
無我=アートマンの否定 も高度に理論的になっていきます。
無我であれば、輪廻の主体、業の主体は何かという根本的な問いかけに答える必要があったからです。

正量部が、『非即非離蘊の我』という説を立て
説一切有部が、『刹那滅の心の相続』という説を立てます。

いずれにせよ、仏教は初期段階で、非我を無我として、主体の否定に曲がっていったために
部派仏教で大きな迷路に入っていったと思っています。

そのように仏陀の真意からかけ離れていった部派仏教のアンチテーゼとして大乗仏教は生まれました。
ですから、大乗仏教は歴史の必然で生まれたものです。
ただ、私が考えるには、大乗仏教は部派仏教の批判、否定から生まれているので
仏陀が残した筏まで捨ててしまったと考えています。

 

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仏陀が残した筏とは、四諦十二縁起です。
八正道は四諦の中の道諦ですから当然含まれます。

最古層のスッタニパータには、四諦は完全な形で出てきます。
十二縁起も、苦の縁って起こるところとして、その原型が出ています。
十二個の項目はほぼ網羅されています。

十二縁起は実は四諦の中の集諦、滅諦の詳しい洞察です。
十二縁起の順観が集諦、逆観が滅諦です。

仏陀は、四諦の法は象の足跡だと言いました。
象の足跡は他の動物の足跡が全部入るほど大きいことから
真理のすべては四諦の法の中にあるということです。

四諦の第一諦は苦諦です。
しかし、その根本的な『苦の真理』でさえ、人類は理解できなかったと思っています。
その証拠に、上座部仏教の代表ともいうべきスマナサーラ長老も『dukkhaとは苦という意味ではない』と書いています。

また、部派仏教のアンチテーゼとして興った大乗仏教は、仏陀の歴史上の高弟たちを否定し、
高弟たち、つまり二乗の声聞縁覚は悟れないとまで書いた大乗仏典もあります。
そして、声聞の修行法を四諦、縁覚の修行法を十二縁起としています。

四諦十二縁起は、仏教の基本としてだれもが知っている用語ですが
残念ながら、人類はその本当の価値を理解できずに、原始仏教大乗仏教も筏を捨て去ってしまったというのが、私の結論です。

 

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仏陀には非常に多くの弟子たちがいましたから
仏陀が誰かと会話したときには、周囲には多くの人がいたでしょうね。

祇園精舎にしても竹林精舎にしても、大勢の弟子たちの前で説法していました。
誰かの質問に答えるのではなく自ら説くこともありましたが
スタイルとしては、誰かの質問に答えるほうが多かったと思います。

むしろ、弟子と二人きりで会話をしてその会話を誰も聞いていないことは、ここまで多くの比丘比丘尼に囲まれていたのですから、レアケースだと思いますが。

 

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仏典だけででも、原始仏典、大乗仏典ともに膨大な量があります。
日本にある宗派も、禅宗系、浄土系、日蓮系、真言密教系とこれまたそれぞれ全く違う教義で
この多様性と言いますか、同じ仏教となっていますが、その共通点も見いだせないですね。

キリスト教イスラム教では考えられない事態です。
キリスト教にも多くの派はありますが、やはり1つの聖書を基にしていますので、非常にわかりやすいですね。

 

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