いま、大乗仏教はなぜ興ったか、について調べています。
これがわからないと、大乗仏典の代表である法華経の真意は絶対にわからないからです。
法華経に限らず、実に膨大な大乗仏典を次から次へと生み出した原動力は何だったのか、ここは極めて重要です。
今までこの謎は解き明かされていませんでした。
第一結集で確定した仏陀の経典があるのにもかかわらず、歴史上の仏陀の顔も知らず声も聞いたことがない人たちが次々と新しい経典を作っていった、この事に何の意味があるのか、です。
ここを逃げていれば、大乗仏教、または仏教の未来はない、とさえ思います。
特に大乗仏教の国である日本人はここをトライしなければいけないでしょう。
『部派仏教も大乗仏教もみんな仲良く』でお茶を濁していれば、仏教の真意は永久にとらえられない気がします。
もし、そのようなことでお茶を濁すとするならば、大乗仏典が部派仏教に対しておこなった『仏種を焼いて断じて仏にはなれない』などという極めて強い否定、あえて言えば罵詈雑言の数々が説明できません。
これは、部派仏教に対しての極めて強い不満によるものと考えるしかありません。
それでは、大乗仏教運動は、部派仏教のどこにそのような強烈な不満を持ったのか、その点が最重要になります。
(続きます)