グレゴリー・ショペン『インド大乗仏教の虚像と断片』

グレゴリー・ショペン『インド大乗仏教の虚像と断片』について、書いていきます。

まずは、大まかな目次の紹介と、それから、具体的な内容について考察していきます。

おおまかなあらすじは次の通りです。

 

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この四半世紀でもっとも影響力のある仏教学者と評されるグレゴリー・ショーペン。彼の手にかかると、経典の何気ない一節が、ありふれた寄進碑銘が、ほとんど注目されない仏典が、新たな相貌を見せ始め、インド仏教の生きた世界を語りだす。
【虚像】では、初・中期大乗の一般的な展開を検討する。
第1章では、中国で主流となった大乗が、インド仏教中期では周辺的な少数派であったことを例証する。
第2章では、『金剛般若』の成句「その地点は塔廟となるであろう」を取り上げて、経典研究における複数文献との比較の必要性を例証し、大乗が仏舎利崇拝を批判し経巻崇拝へ向かったことを示す。
第3章では、『摩訶迦葉会』の出家者の仏舎利供養批判を検討し、初期大乗が、部派の経律を偏狭かつ伝統的に解釈し、瞑想と読誦を比丘の仕事として森林修行への回帰を説く、保守的な運動であったことを明らかにする。
第4章では、初期大乗は仏舎利崇拝に無関心であり、部派の新要素「出家者の仏像崇拝」を批判する『摩訶迦葉会』最終章を検討することで、保守な教団改革を目指していたと指摘する。
第5章では、極楽往生が阿弥陀崇拝から切り離されて信者ならだれでも可能な恩恵となり、極楽世界が標準的な文学的直喩となったことを明らかにする。
第6章では、宿命智が、阿羅漢や仏だけが獲得できる法数の1項目から独立して一般的な恩恵となり、個人の行動を改善して悪趣への再生を防ぐ解決策となったことを明らかにする。
【断片】では、碑銘・考古学・美術の史料を検討して、インド仏教の生きた世界の一端を紡ぎだす。
第7章では、寄進碑文に見られる大乗共通の定型句を検討し、4世紀には釈迦の比丘/勝優婆塞を名乗る者たちが現れ、6世紀初頭には大乗の信奉者という名称が加わり、10世紀までには碑文と写本奥書に両名称を併記することが標準となったことを明らかにする。
第8章では、阿弥陀仏が表れる最古の碑文を校訂して先行研究の誤りを正し、北インドの碑文を検討することで、大乗と阿弥陀仏の不人気のほどを示す。
第9章では、アジャンター第10窟の小さな壁画を「観自在菩薩普門品」に比定し、同地で『法華経』が知られていたことを裏づける。
第10章では、『普賢行願讃』の1詩節を含む10世紀のナーランダー出土碑文を校訂する。これはインド碑文に現れた唯一の大乗文献であり、10世紀に同地で実際に使われていた証明となる。
第11章では、陀羅尼経典というジャンルを提案して、仏教の実践に顕著な影響を与えていたと指摘する。
第12章では、複数地域から出土した2点の陀羅尼銘文の出典を比定し、陀羅尼経典が中世北インドで実際に使用されていたことを明らかにする。
第13章では、11世紀のナーランダー出土銘文によって、マニ車のインド起源説を提示する。
第14章では、ストゥーパの内外で見つかる大量のミニチュア・ストゥーパが仏教徒の墓であり、10世紀以降の東インドでこのような習慣があったことを、考古学史料やチベットの習慣、ヒンドゥー教の文献から裏づける。
碑文・考古学・美術・律文献が照らし出す、実像の断片が、ここにある。

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中国で主流となった大乗が、インド仏教中期では周辺的な少数派であった

これはまさしくその通りだと思います。

七世紀にインドに行った玄奘三蔵も大乗仏典を求めた旅でしたが、訪ねた僧院や学問処は、部派仏教(小乗仏教)の方がはるかに多かったですね。

玄奘三蔵はもっぱら大乗仏教を研究していましたし、その目的が大乗仏典を求めた旅ですから、優先的に大乗仏教の拠点を訪ねたはずですので、七世紀になってもインドでの割合は、小乗仏教が圧倒的だったということです。

このように、七世紀でも大乗仏教は少数派でしたが、もうこの頃には密教が興っており、仏教は急速にヒンドゥー教化していき、ほどなくヒンドゥー教に吸収されてなくなっていきます。

つまり、大乗仏教はインドでは流行らなかったということだと思います。

大乗仏教はもっぱら中国で栄えていきます。

中国仏教と言ってもいいかもしれません。

 

『金剛般若』の成句「その地点は塔廟となるであろう」を取り上げて、経典研究における複数文献との比較の必要性を例証し、大乗が仏舎利崇拝を批判し経巻崇拝へ向かった

これは半分同意半分不同意です。

法華経でもありますが、経典を受持するところに仏舎利塔が現われるというような記述は非常に多いです。

しかし、これは、仏舎利塔崇拝批判ではありません。

仏舎利塔というものを真理の象徴としているのです。

空中に巨大な仏塔が現われるのも、仏陀の理法を正しく受持したことの象徴です。

ただ、物理的な仏舎利(遺骨)崇拝には批判的かもしれません。

それよりも仏陀の法を受持することを強調していると見ていいと思います。

 

初期大乗が、部派の経律を偏狭かつ伝統的に解釈し、瞑想と読誦を比丘の仕事として森林修行への回帰を説く、保守的な運動であったことを明らかにする

今までの大乗のイメージとは正反対ですが、これは同意します。

ただ、経典によってかなり違うような気もします。

法華経のサンスクリット版で『隠遁して瞑想に専念してはならない』とあるところを、漢訳では『常に座禅を好め』と正反対の意味になっています。

 

 

 

 

さて、次からは、

この『インド大乗仏教の虚像と断片』の本文につき

いろいろ考察していきます。