スジャーターの子孫の話から


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面白い動画がありました。

仏陀に乳粥を差し上げたスジャーターという村娘の子孫に伝わる話のようです。

私には、仏教の謎を解き明かす、重要な話のように思えました。

 

何年にもわたる断食行などの苦行により衰弱しきっていたゴータマ・シッダッタは、苦行では涅槃には達しないと判断し、ある村でスジャーターという村娘から乳粥をもらって食べます。その後、菩提樹の下で瞑想し悟りを開きます。

これが、有名な成道のシーンです。

現代の日本人の多くは、『村娘』『乳粥』という言葉から、貧しい娘が乳粥という粗末な食べ物を差し出した、と理解しています。乳粥というのが、そんなに高価な食べ物のイメージがないからでしょう。

しかし、その当時、米は非常に貴重な食べ物でした。

また、牛は最大級に価値ある財産とされていて、牛乳も高価で貴重なものでした。

蜂蜜も極めて高価です。

米と牛乳と蜂蜜から作る乳粥は、その当時のインドにおいて、大変贅沢な食べ物だったのです。

原始仏典には、スジャーターは『村長の娘』『長者の娘』と書かれており、ですから、そのように高価な食べ物を布施することができたのです。

 

さて、それまでは知っていましたが、この動画でのスジャーターの子孫に伝わる話では、より詳しいいきさつがわかります。

 

その話によると、

牛をたくさん所有する長者の娘のスジャーターは、子宝に恵まれませんでした。

そこで、毎日、神様に、祈願していたと言います。

ある日、衰弱しきっているサマナを見つけます。

祈願している神様が、そのサマナに布施をするように言っていると思ったのでしょう、スジャーターは乳粥を差し出します。

そのサマナ(ゴータマ・シッダッタ=仏陀)は、かたくなに食べようとしません。

そこで、スジャーターは、『楽器の弦は張りすぎても緩めすぎてもいい音がでません。貼りすぎず緩めすぎないときいい音が出るのです。』と言います。

仏陀はそれに納得し、乳粥を食べます。

スジャーターはそれから、毎日、仏陀に乳粥をお布施します。

たぶん、その様子を見ていた五人の修行仲間は、『ゴータマ・シッダッタは堕落した』と見限ったのでしょう。

元気を取り戻した仏陀は、隣の村の菩提樹の下で瞑想し始めます。

その隣の村にもスジャーターは乳粥を持っていきますが、菩提樹下で瞑想し始めてからは仏陀は再び何も食べなくなります。

心配したスジャーターは、その村の子供たちに、『このお坊さんが食べたら知らせて』と言っておきます。

頼まれた子供たちは、瞑想している仏陀を見守ります。

仏陀は7日間の瞑想によって悟ります。

悟ったとき、それまでと全く違った神々しいオーラを放ったといいます。

そして、そばの子供たちに、悟った法を説きます。

子供たちは、『凄い。ブッダ(目覚めた人)のようになった。』と言いました。

 

それから仏陀は、7ヶ月間もの間、そこにとどまり、自ら悟った法をどのように説いたらいいかを思索します。

そして、その教えを完成したとき、始めて法を説くために、五人の修行仲間のところに歩き出します。

 

これが、スジャーターの子孫に伝わるお話のようです。

有名な『弦の喩え』は、スジャーターが仏陀を説得するためのものだったということや、まずそばの子供たちに教えを説いたこと、子供たちから『ブッダのようだ』と言われたことも面白い話ですが、

それ以上に、この伝わる話で重要なのは、悟った後、七ヶ月間、自らの法をどのように説くかを思索したと言うことです。

いま、ほとんどの仏教学者は、初転法輪での仏陀の教説は整えられていなく、徐々に、四諦、十二縁起などを構築していった、と考えています。

しかし、この伝承では、初転法輪のときは、すでに七ヶ月も思索し構築し完成形となっていたということです。

私も、初転法輪の時はすでに仏陀の理法は完成していたと考えていますので、このお話の通りだったのではないかと考えます。

 

 

(ちなみに、日本では、乳製品の『スジャータ』が有名ですが、女性の名前なので、私は『スジャーター』と表記します。)