本当の仏教史とは

私たちは、どうしても現時点の認識しかないので、現時点の状況から過去の歴史を判断してしまいます。

大乗仏教の国日本に生まれ日本で育った人であれば、インドの仏教史に関してはこう思っていることでしょう。

釈尊がインドの各地で説いた仏教は、釈尊の死後、長老たち中心の上座部と大衆中心の大衆部に分かれ、大衆部が発展して大乗仏教になった。

上座部仏教の小乗に対し大乗仏教は極めて高度な真理を説き明かしたもので、大乗仏教が興隆した途端、瞬く間にインド全土を席巻し、それが中国、日本に渡った、と。

 

ところが、本当はそうではありません。

アンドレ・バロー教授によると、5世紀にインドを旅した法顕の旅行記には、『インドには明確に大乗である要素がほとんどない』とのことです。

故に『5世紀初頭のインド仏教はもっぱら小乗のみであった』と記しています。

 

その後、三蔵法師玄奘が、長安を出発したのは629年、7世紀です。

そのときの小乗を学ぶ場所が99箇所中60箇所。大乗を学ぶ場所が24箇所で、その他は兼学の場所でした。

しかし、このあとすぐ、仏教はヒンドゥー教の影響を強く受け密教となっていきます。

そして、ヒンドゥー教化した仏教は、やがてヒンドゥー教に吸収されインドからなくなっていきます。

この歴史を見てもわかるように、インドでは大乗仏教は流行りませんでした。少なくとも主流になったことはありませんでした。

大乗仏教が花開いたのは中国に渡ってからでした。

なぜインドでは主流とならなかったのか。

そして、なぜ中国では大乗仏教一色になったのか。

ここの謎を解き明かさなければ、本当の仏教史はわかりません。

 

日本仏教でも同じく、現時点の視点から歴史を見てしまうと全く違う姿となります。

いま、仏教宗派のうち最大は浄土真宗です。また、曹洞宗、日蓮宗、浄土宗も多くの信徒を持っています。

ですから、私たちはこう思っています。

鎌倉時代になって新仏教の宗祖たちが出現し、民衆中心の教えを説いて圧倒的に支持をされ瞬く間に最大勢力になった、と。

しかし、最近の研究ではそうではないようです。

頼住光子東京大学院教授がこう言っています。

 ↓↓

鎌倉仏教については、実は最近、学者のあいだでは「鎌倉新仏教」という言い方をしないようになっているということがございます。・・・

鎌倉時代のそれぞれの宗派は非常に力が弱く、むしろ戦国時代以降に、曹洞宗や日蓮宗、浄土真宗・浄土宗が非常に盛んになっていく。そのようなことがありますので、宗派の歴史で見た場合、鎌倉時代はそれほど重要ではないと見なされているのです。・・・・

彼らは「異端」であったというような考え方が、最近の学者のあいだでは主流になっています。・・・・

実は専門家のあいだでは今、こういう道元・親鸞・法然・日蓮などの思想研究というのが、ちょっと下火になってしまっているのです。

今まで彼らは非常に持ち上げられていたところがあるけれども、彼らはむしろ異端であるという考え方からです。

 最近、鎌倉仏教を言い表すのに「顕密仏教」というような言い方がよく使われます。天台宗や真言宗のような、いわゆる「旧仏教」こそがむしろ主流であり、私たちが考えてきたような、鎌倉時代になって新しい仏教ができ、それが広まっていったというイメージで捉えてはいけないのだという歴史的見方が非常に盛んになってきたのです。

 そのため、これまでは鎌倉時代に現れた祖師たちの思想が仏教研究の中心だったのが、やや弱くなってきたのかということがあります。それを私は、とても残念に思っています。

 

 

歴史を見るときに、私たちは、どうしても、現時点から過去を見てしまいます。

しかし、現時点から見る風景と、歴史のある時点に降り立って見る風景は全く違うものです。

 

もし大乗仏教が何故興ったかを探求するとすれば、大乗仏教が興った土地の興った時点の視点で見なければわからないでしょう。