縁起の公式とは

ある掲示板に『縁起』につきこういう解説がありました。

 

『過度の喫煙』があるとき『病気』がある

『過度の喫煙』がないとき『病気』がない

 

これが縁起の公式の例だと言うのです。

 

しかし、これは全くの間違いです。

これは仏陀が説いた『縁起』ではありません。

 

『仏陀の真意』に書いたように、

縁起の公式とは次のようなものです。

 

Aがあれば、Bがある。

Aが生じるが故に、Bが生じる。

Aがなければ、Bがない。

Aが滅するが故に、Bが滅する。

 

これが、仏陀が説いた『縁起の公式』です。

このすべてに当てはまらないと、縁起の関係ではないのです。

 

縁起の公式とは、『苦』の直接原因、根本原因を見つけるための公式でした。

つまり、Bとは『苦』のことなのですが、これはいまは置いておきます。

 

Aを『過度の喫煙』として

Bを『病気』とした場合、

縁起の公式の関係が成り立つでしょうか?

 

 

①『過度の喫煙』があれば、『病気』がある。

②『過度の喫煙』が生じるが故に、『病気』が生じる。

③『過度の喫煙』がなければ、『病気』がない。

④『過度の喫煙』が滅するが故に、『病気』が滅する。

 

 

①②が成り立つでしょうか。

成り立ちません。

過度の喫煙をした者が必ず病気になるということはないからです。

ヘビースモーカーが元気で長生きしている例はかなりあります。

過度の喫煙は病気全体の直接原因ではありません。

 

③はどうでしょうか。

これも全く成り立ちません。

生まれて一度も喫煙したことのない人が病気になる例は無数にあります。

喫煙と最も関係が深いとされている肺がんでさえそうです。

少し前、ある人の奥さんがなくなりました。

その方に、『奥さんは何で亡くなったのですか?』とお聞きしたら

『肺がんでした。』と答えられました。

その奥さんは、とても煙草を吸う人には見えなかったのでびっくりして

『奥様は喫煙されていたのですか?』と聞くと

『全く1本も吸わなかったですが、医者によれば、そう言うことも多々あるそうです。』と答えられました。

私は大変失礼なことをお聞きしたと後悔しました。

喫煙と深い関係にあるとされている肺がんでさえ、

『過度の喫煙』がなければ、『病気』がない  

は成り立ちません。

 

④はどうでしょう。

これも全く成り立ちません。

過度の喫煙をやめたらすべての病気が治るなどと言うことがないのは、明らかなことです。

入院患者は喫煙は許されません。

しかし、喫煙をやめただけで病気が治るのであれば、治療は要らないことになります。

 

 

縁起の公式とは、仏陀が、苦の直接原因、根本原因を見つけるためのものでした。

 

徹底的に考え抜くためのものでした。

 

それが、後世になればなるほど、いい加減で曖昧なものに解釈されていったのです。

歴史上の仏陀の真意は失われたということです。

 

このような解説を見るたびにとても情けなくなります。

 

縁起の公式とは、仏陀が、完全に苦を滅するために、苦の根本原因を見つけるための公式だったのです。

苦の根本原因を見つけ、その根本原因を滅することによって苦を滅することができると考えたのです。

 

後世の仏教者が考えているような、どこにでも通用するような『ちょっとした原因』などでは全くないのです。

あるいは、この『縁起』を使って、すべて縁起でできているから自性がない、空である、というような独自の説に持って行った流れがありますが、全く間違っています。

 

原始仏典をどれでもいいから見ればわかります。

歴史上の仏陀が言った『縁起』とは、『苦の縁って起こる原因』のことなのです。

それ以外に、縁起と言う言葉が使われた仏典はありません。