仏教がほかの教説と違うのは【縁起】を説いたことだと言われています。
しかし、現在、仏教で説かれている縁起の解釈は、歴史上の仏陀(ゴータマ・シッダッタ)が説いたこととはかけ離れています。
それでは、仏陀は何を説いたのでしょうか。
仏陀が目指したのは、苦の完全な消滅でした。
これは、仏教の根本たる四諦の法が、もっぱら苦と苦の生滅についての理法であることからも明白です。
仏陀は、苦を完全に消滅させるために、苦の原因を探求していきました。
何故、苦の原因を探って、苦を消滅させようと思ったのでしょうか。
『それ』があれば苦があり、『それ』がなければ苦がない。『それ』が生じれば苦が生じ、『それ』が滅すれば苦が滅す。・・・
厳密にこのような『それ』を見出すことができたなら、『それ』を消滅させれば苦を滅することができると考えたからです。
『それ』を滅したときに、苦が完全に滅する、そのようなものを探求していったのです。
縁起とは、縁りて起こることです。
歴史上の仏陀が説いた縁起とは、苦の縁りて起こる原因のことです。
その完成形が十二縁起です。
それ以外の縁起は歴史上の仏陀が説いたことではありません。仏陀がなくなって数百年も経って誰かが勝手に違う意味を付加したものです。
縁起とは、苦の縁って起こる原因のことであるからこそ、仏陀が成道したときに繰り返し十二縁起を順逆に観じ、
『縁の滅を知ったので、疑念はすべて消え去る』と言ったのです。
もし、後世の仏教解釈のように、縁起とは『あらゆるものはそれ以外のすべてのものに縁ってできている』というものであれば、どこまで行っても『縁の滅』というのはあり得ないですね。
『縁』『縁起』が苦の縁って起こる原因だからこそ、仏陀は成道の時に『縁の滅を知ったので、疑念はすべて消え去る』と言ったのです。