ショーシャンクさん、おはようございます。
セネカの言葉、身に沁みます。 5年前になくなった父親が、晩年あっという間にこうなっちゃったと、言っていたのを思い出します。
自分も、若い頃から馬車馬のように働いて気づけば人生半ば過ぎています。
今はやや仕事も落ち着いてきてはいますが、ふと目線を上げてみると
自分には何もないのじゃないか?
自分が心血注いで気づきあげたものはあるのだろうか?
子供たちに何を伝えていけばいいのだろうか?
という疑問がここ1,2年で湧いてきました。
でも仏陀の真意を読み、原始仏教の本を読んでいるうちに、それは世間様を意識した自分から出てくる焦りのようなものではないかと感じ始めました。
苦から逃れるための深遠なる仏陀の理法の垣間も見えていないと思いますが、これからの限りある自分の人生で、自分なり勉強していきたいと思っています。
佑克芙希パパさん、こんばんは。
そうですね。
人生の時間は短いものです。
時間の浪費の原因は数多いですが、くだらない人間関係が最も時間の浪費になる気がしています。
いまも、現実社会で、相談事と雑談で数時間、時間を割きました。
人生に何の目的もないのであれば、そういう雑事に埋もれて過ごすのも時間つぶしにはいいものですが、人生で何かやりたいものがある場合は、あまり時間の浪費をしているわけにはいきません。
年賀状も馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しいですし、実際、何を切っていっても、切ったために困る関係というのはほとんどないことに気が付きます。
必要な人間関係だけ残していく知恵は必須かもしれません。
もちろん、くだらない人間関係以外にも時間を浪費するのは数多くあります。
テレビは最たるもので、私はテレビは全く見ないのでいいのですが、(大河ドラマはオンデマンドで見ることが多いです)、テレビ番組はずるずると見てしまうように構成されていますから、かなり時間を無駄にする人は多いでしょう。
どうしても見たいと選択するのではなく、だらだらと見続けてしまうような見方が最悪ですね。
いずれにせよ、求めるものがある人は幸福です。
何かを達成したいと強く思えるものがあるのが人生では最も幸せなことだと思っています。
それがないと、時間つぶしだけを求めてしまうことになります。