さて、セネカの言葉は、『すぐにも職を辞して、自然や無限の神秘についての研究に入ることをすすめている』わけですので、自分も人生で最もやりたいことに集中しなければならないと思い始めました。
私の著書『仏陀の真意』では、仏陀が本当に言いたかったことは何かを考察していきました。
そして、大乗仏教は、部派仏教になってから失われた仏陀の真意の復興運動だと位置づけました。
その視点から、大乗仏教の最も重要な経典(経王と呼ばれる)法華経は、本当は何を説こうとしたのか、に進んでいきたいと思うようになりました。
もちろん、仏陀の理法と同じく、日本には、法華経の解説書は無数にあります。
しかし、どの解説書にもどうにも納得できないのです。
例えば、提婆達多品は、悪人成仏を説いたものと解説されています。
常不軽菩薩品は、どんなに罵られても人々の仏性を拝んだ行の人と解説されています。
本当にそうでしょうか。