業=kamma とは、身・口・意の行為 のことです。
身・口・意の3つの業を、それぞれ、身業、口業、意業と言います。
この3つの業は、思業と思已業に分けられます。
思業とは思いが内にあって外に現われてないものであり、意業のことです。
思已業とは、思いが外に現われたもので、身業と口業がそれに当てはまります。
つまり、身業も口業も意業も、思いのことなのです。
内にある思いか、外に出た思いか、の違いだけです。
身体の行為も、口から出る行為(言葉)も、思いが外に現れたもので、思いの一種なのです。
仏教は、このように、思いこそ行為=kammaと考えているのです。
少なくとも、思いがkammaの基盤であるというのが仏陀の考えなのです。
それは、中部経典『ウパーリ経』からも明らかです。
ジャイナ教の教祖マハーヴィラは、業について、身業が最も重大であり、口業も意業も些細なものと主張しています。
それに対し、仏陀は、意業こそが重大なもので、身業も口業も些細なものだと言います。
そして、それを極めて論理的に証明していきます。
仏陀が、想い(思い)こそ、kammaの根本だと考えていたことが明らかにされた経典です。