長沙因三聖令秀上座問師曰、南泉遷化向甚麼處去。
師曰、石頭作沙弥時参見六祖。
秀曰、不問石頭見六祖。南泉遷化向甚麼處去。
師曰、教伊尋思去。
秀曰、和尚雖有千尺寒松。且無抽條石筍。
師黙然。
秀曰、謝和尚答話。
師亦黙然。
秀回挙似三聖。 聖曰。若恁麼猶勝臨済七歩。然雖如此、得我更験看。
至明日三聖上問、承問和尚昨日答南泉遷化一則語。
可謂光前絶後今古空聞。
師亦黙然。
秀上座は三聖の命を受け、
長沙に『南泉は遷化してどこに行ったのか』と問うた。
長沙『石頭和尚は沙弥のとき六祖慧能に参見した。』
秀 『石頭が六祖に会ったことを聞いているのではありません。
南泉は遷化してどこに行ったのですか?』
長沙『彼に考えさせよう。』
秀 『和尚には、寒さに聳え立つ千尺の松はあっても、
石を割って伸びる筍の働きがありませんね。』
長沙は黙っていた。
秀 『和尚のお答えに感謝します。』
長沙はまた黙っていた。
秀上座は帰って三聖に報告した。
三聖『もしそうなら、長沙和尚は臨済に七歩も勝っている。
そうはいっても、わたしが確かめてみよう。』
次の日、三聖は長沙を訪ねて言った。
三聖『昨日の南泉遷化のお話、全く空前絶後(光前絶後)で、
古今に聞いたためしがありません。』
長沙はまた黙っていた。
この話は私の中では最高です。
臨済をまねる人は出てきても、長沙をまねることはできないでしょう。
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マニカナで芳和さんが、このブログの上の公案を見て、自分の『一言』を書いていただいたようですね。
確かに、『南泉遷化』だけならその通りなのですが、この公案は『長沙三黙』でもあるのです。
秀上座が長沙に『南泉は遷化してどこに行ったのか』と問うたとき、
長沙は『石頭和尚は沙弥のとき六祖慧能に参見した』と答えます。
何ともぬるい答えです。
石頭が小僧の時に慧能に会ったという、別に見たわけでもなく、文献上で読んだだけのことを答えとしました。
もちろん、秀上座は(多分むっとして)『石頭が六祖に会ったことを聞いているのではありません。南泉は遷化してどこに行ったのですか?』と再び聞きます。
答えは『彼に考えさせよう』です。
何とも鈍い答えです。
禅は、直接自分の言葉で答えなければ意味がありません。
それを『彼に考えさせよう』です。禅の答えとしてはあり得ないですね。
答えとしては、臨済なら喝をするか、殴るか、でしょう。徳山なら棒でたたくでしょう。
それを『彼に考えさせよう』ですからね。
しかし、秀上座も大したもので、
『和尚には、寒さに聳え立つ千尺の松はあっても、石を割って伸びる筍の働きがありませんね。』
といいます。
こんな生ぬるい答えをした人に向かって、『寒さに聳え立つ千尺の松』と評しています。もちろん、筍が持つ活発な働きがないとしましたが。
ここで、長沙は無言です。
秀上座が帰って三聖にそのことを言ったら
『もしそうなら、長沙和尚は臨済に七歩も勝っている。』と言うではありませんか。
あのあほみたいな生ぬるい言葉のやりとりで、なんと、禅界のスーパースター臨済に七歩も勝ってるというのです。
そして、光前絶後とまで言います。
しかし、そう言われても長沙は無言です。
この公案の眼目は、このような何とも生ぬるい答えをした長沙を、三聖はなぜ『臨済より七歩も勝れている』と言ったのか?です。
『南泉は遷化してどこに行ったのか』の答えは、各人、それぞれあるでしょう。
しかし、長沙の答えほど鈍い答えはないでしょう。
しかも、3回も黙ってしまいます。
さて、これのどこが臨済よりも勝れているのでしょうか。
何とも難しい公案です。
臨済は、何かを問うて、一瞬でも黙っている僧に対して、殴りながら「この役たたずめ」と罵倒します。
何とも生ぬるい答えか、黙ってしまうだけの長沙がなぜ臨済よりも勝れていると、後に臨済の法を継ぐ三聖は言ったのでしょうか。
確かに長沙は擦り切れてると思います。
臨済より優れているかもしれません。
こういう禅の話を聞くと、禅はいいなあとは思います。