首座が喜んだ理由

 とある禅愛好者 (182.165.187.188)  
比丘の 労働に関する考察 井 上 綾 瀬 https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/62/2/62_KJ00009296628/_pdf/-char/en
上記の流し読みですが、報酬を得る労働は原則禁止だったんですね。
知りませんでした。
また布施が全く無い仏教は難しいですね。
ただ出家前の技術を活かすことはできますし、最初は素人でもある程度はできるようになるとは思います。それでも完全なる自給自足は難しいですね。
ただそれゆえ禅寺は、結果的に貧乏を売りにするところもあります。
夢窓疎石は、関山慧玄を評していたように思います。
もっとも今や妙心寺も観光寺になってしまっていますが。
それと「道元の永平寺も初期は作務の自給自足を理想としていた」と書きました。
道元の理想に反した寄進の受け取り方だったんだと思います。
ここは道元しかわからないし、良し悪しの判断は人それぞれです。
もっとも、ある意味では釈尊もいい加減だったので、厳格に考える必要はないと思っています。
肉は、自分のために殺したのがわかっていれば受け取らないし食べないというのだったでしょうか? 道元の寄進もそんな感じかもしれません。
 
>修行第一で農業に専念できるわけでもない
 
農作業が修行であると考えるのが、禅では? だから禅では、農業に専念できるはずです。
最後に、大筋では、ショーシャンクの言う通りだと思います。

 

 

 

>>道元の理想に反した寄進の受け取り方だったんだと思います。ここは道元しかわからないし、良し悪しの判断は人それぞれです。

 

 

弟子が寄進を受けたからと言って破門追放するのは、師匠である道元の自由です。

もちろん、これについても、『それでは永平寺は寄進を受けたことがないのですか?』という疑問は出てきます。

よい寄進と悪い寄進があるなら、どこまでの寄進はよくてどこからの寄進が悪いのか、はっきりとさせるべきだとは思います。

 

弟子の玄明が寄進状を喜んだというのが原因のように行状記では書かれています。

しかし、玄明は首座です。

弟子の筆頭です。

永平寺という寺院経営のことも考えなくてはいけない責任ある立場です。

数多くの修行僧を養うためには大変な費用がかかります。

あの、冬の間は雪に閉ざされる永平寺において、そして広大な田畑など望むべくもない山中において、自給自足ができるはずもありません。

昔、永平寺に行って帰りに蕎麦を食べましたが、やはり蕎麦が有名と言うことは、蕎麦という、良い土壌でなくても雑草のように育つ植物を栽培していたんだなと思います。

 

困窮する寺院経営のことを首座の玄明は気にかけていたはずです。

最初、北条時頼は、鎌倉の土地を寄進しようとしましたが断られ、それで永平寺に近い越前の土地を寄進しようとしたようです。

その寄進は、困窮する寺院経営にとってはありがたいものだったので、玄明は首座として大喜びしたのだと思っています。

私が玄明でも、大喜びして、永平寺の仲間の僧たちにふれまわったと思います。

それを思うと、玄明がかわいそうでなりません。

その後、玄明が『生き羅漢』と記されているのは、やはり、玄明を惜しんだ人たちがいたのではないかと思います。

 

 

ただ、私が疑問に思うのは、弟子を破門したことではなく、

その弟子の座っていた床を壊し、その床下の土を2mも掘って捨てたという行状です。

怒りにまかせて、道場を破壊するという行為に、私は慈悲喜捨の心を見ることができない、物に八つ当たりするのはどうして?と疑問に思っているのです。