史実なら

 みのり (118.1.16.135)  
ショーシャンクさん、こんにちは。 コメント失礼します。
>道元の玄明追放の逸話が、道元を貶すために作られたでっち上げの可能性を思われたのでしょう。
石飛先生がどう思われているか、は私には分かりかねますし、その点は置いておいて私自身の考えで書きます。 私はその逸話については知っていました。 私たちの師はこれほどに厳格で素晴らしい方であった、というどちらかというと師を誇りに思うからこそ記録として残したのだと私は考えます。 そうした行動が本当にあったものなのか創作なのかは誰にも現代となっては解りかねるものではあるとも思います。 ただ、本当に道元が床下深く穴を掘らせたというのが事実と違うのなら、後の弟子たちが記録として残したものによって、当初、厳格さを長所素晴らしさとして押し出したのに逆効果になってしまったというちょっと悲しい結果になってしまった感もありますね。 それからネットで見た情報ですが、古代中国の禅の世界にも、追放した弟子のいた床下を深く掘って土を捨てさせたというような似た話があるそうですよ。 もしかしたらですが、それを真似た創作の可能性もあるのかもしれないと個人的には感じました。 私のもとの名前は赤い実です。 今は、みのりという名前を使用していますので、それでコメントさせていただきます。

 

 

みのりさん、こんにちは。

歴史上の文献については、本人が書いたものでも、直接の弟子が書いたものでも、後世の者が書いたものでも、すべて架空の話の可能性はあります。

釈尊にしても、イエス・キリストにしても、聖徳太子にしても、親鸞にしても、あれほど膨大な文献が残っていても、架空の人物だという非実在説が唱えられたりします。

釈尊は、ルンビニでアショカ王の碑文が見つかったことからやっと実在していたことが確定しました。

親鸞は、恵信尼消息が見つかったことから実在したことが確定しました。

それほどあやふやなものです。

今日の新聞記事でさえ、100%本当の事実を表現できていることはないでしょう。むしろ、記者の憶測なども多く盛り込まれています。

 

しかしながら、そうだからといって勝手に『それは100%創作だ』と断定することもできません。

 

道元の玄明追放の典拠が、巷の噂話や民間の伝承、または、赤穂浪士討ち入り事件を『忠臣蔵』として創作したような小説の類いではなく、本山永平寺が編纂した開山の行状記である以上、まずは、それが道元の行状だったということを前提に話しています。

 

弟子が寄進状をもらってきたことで破門追放し、その弟子が座っていた床を切り取り、その下の土を2m以上掘って捨てた、ということがあったのであれば、その行状はどう思いますか?

 

 

 みのり (118.1.16.135)  
こんばんは。 永平寺が編纂した書面にある内容であっても、床下を深く掘らせたというその場面を実際に見た人たちにしか事実か創作かはわからないわけですから、史実なのか創作なのかは厳密には不明だとするのが、一番無難なのではないか、と私は思います。 先日も書いたように、師を持ち上げるために盛って書かれた可能性もあるでしょうし(そしてそれが逆に、道元酷いよねという逆効果になってしまっているという悲しい結果)、逆に史実なのかもしれないです。 私は以前、白隠の逸話を知り、白隠はなんて素晴らしい人なんだろうと感嘆したのですが、暫くして、創作かもしれないなぁ、と思うようになりました。 テーリーガーターの、男にしつこく迫られて眼をくりぬいて差し出した比丘尼のお話というのも創作かもしれないと個人的には思います。 大昔の話というのは、どうも盛る傾向にあるように感じるんです。 個人、人物の言動を崇拝するようなことというのは依存や子供っぽさが感じられます。(私の観方です。) 思想だったり理論的なものが何かしら優れていると誰かが感じたものであれば、その人にとってはそれがその時合うものなのでしょうし、創作か史実なのか不明な逸話の数々の存在なども含めて、その人が総合的に判断すればいいだけだと私は思います。 ですので、ショーシャンクさんの文章の最後の一文の疑問形については、「史実かどうか厳密には不明なものに囚われてもしかたないんじゃないでしょうか。」というのが私の答えになります。

 

 

そうですか。そういうご意見だということ、わかりました。

 

ただ、前にも書きましたように、歴史上のことは史実か史実でないかはほとんどわからないものです。

史実か創作かはおいて、架空の物語としてでも、ある男が、その弟子が寄進を受けたということを破門追放した後、その男の座っていた床を壊し、その床下の土を2m掘って捨てた、という場合、その物に当たるという行為はどう感じるか、ということが主眼ですが、史実かどうかの論点では結論は出ず言っても仕方ないので、あなたとのやり取りはこれで終了します。では。