仏教についてのひとりごと 42

最古層というのは、スッタニパータ第4章第5章ですよ。
ダンマパダもスッタニパータほどではありませんが最古層に近いです。
それ以外では、最古層ではありませんが、相応部経典に古層のものが多いと言われています。
何度も書いているように、阿含経典にも後世の影響を受けたものは多いのです。

 

<<そこに毘盧遮那仏のような過去七仏がうたわれているのよ>>

毘盧遮那仏過去七仏ではありませんよ。
華厳経の教主です。

 

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もう少し論理的になってもらえませんか?
いいですか?私の次の文章にあなたはこうレスしたのですよ。

<<阿含経の中にもはるか後世の思想が混ざっているものも多くあります。
ですから原始仏典が全部仏陀の直説でもなく、むしろ後世の不純物が混ざっているものが圧倒的多いのです。
ですから、歴史上の仏陀が本当は何を語ったかを調べるには、後世の不純物の影響が少ない(ないとは言わない)最古層の仏典を調べるしかないのです。 >>

【第一次結集はすぐに開かれたのだろ、君が最古層という経典にその時すでに過去仏は説かれているのよ。 
当然、仏陀は大乗の考えを当初は話したという可能性が強い。君の考えは最古層の仏典が釈尊滅後すぐに結集した教えがアーガマなんだろ。 そこに毘盧遮那仏のような過去七仏がうたわれているのよ。 当然釈尊は大乗の過去仏の御心を知ったと理解するのが普通だと思うがね。過去七仏仏陀が出現すると消えてしまうの?】

このあなたの文章では、第一次結集が仏陀の死後すぐに開かれたから、アーガマ阿含経典)はすべて最古層の仏典と考えているということですね?
そして、その阿含経典(アーガマ)に毘盧遮那仏のような過去七仏がうたわれている、そしてその毘盧遮那仏は大乗仏典の華厳経の教主となっている。
だから、最古層の阿含経典のときには、大乗仏教も説かれた・・・これがあなたの文章の趣旨ですね?

これは仏教学から言って、全くの間違いです。

①の間違い・・・阿含経典がすべて最古層の仏典ではありません。
        ですから、私は『最古層はスッタニパータ第4章第5章』と指摘しました。
        過去七仏は長部経典に出てきます。

②の間違い・・・過去七仏毘盧遮那仏はないですし、
        毘盧遮那仏が原始仏典に出てくることもありません。

ですから、それを指摘しました。
仏陀の在世中に、もう、過去仏の思想はあったとしても、仏陀自身、『過去の覚者たちが見つけた道を見出しただけだ』と言っていることからも、過去にも多くの覚者がいたと言っているのですから当然ですね。

あなたは、過去七仏の名前が似ている毘婆尸仏毘舎浮仏大乗仏教華厳経毘盧遮那仏と勘違いしただけです。

 

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自分の間違いを指摘されたことについてはスルーですか。
阿含経毘盧遮那仏が説かれていたから、第一次結集のときには大乗仏教も説かれていたというあなたの説は結局間違いだと認めるのですか?認めないのですか?
あそこまで大上段に構えて『そこに毘盧遮那仏のような過去七仏がうたわれているのよ。 当然釈尊は大乗の過去仏の御心を知ったと理解するのが普通だと思うがね。過去七仏仏陀が出現すると消えてしまうの?』と言ったのですから、その間違いを指摘したときには、それが間違いだったかそうでなかったかを言わずに全くのスルーでは勝手すぎますね。

さて、中村元と無我説と輪廻説についてですが、
つまり、無我=アートマン(我)などない=輪廻する主体の否定
ということで、無我と輪廻が矛盾するということは、仏教界において大きな問題であり続けています。
輪廻を認めるなら、その輪廻する主体は何か、ということです。
ほとんどの仏教者は諸法無我が仏教だと思っているので、その問題をクリアする必要があるのです。
そこで
①無我⇒輪廻説の否定
②無我⇒輪廻する主体はないが、業が相続する、業が輪廻を繰り返す
③無我⇒無我とは不変のアートマンの否定で、刻刻と変化している主体を否定してない⇒主体が変化しながら輪廻を繰り返す

おおよそ、以上の3つのどれかになっているのです。
しかし、②の場合、業というのはカルマすなわち行為です。
その行為をする主体は何でしょうか。行為をする主体を認めれば無我ではないですね。

③の場合も、変化するから無我というのもおかしな話です。
人間は0歳の子供が80歳の老人になっても同じ人だと認識していますね。
すべての細胞は入れ替わっているでしょうけど、やはり主体は厳然とあるのではないですか。


私は、①②③ともすべて間違いで、諸法無我こそ間違いだと思っているので
これについては、すべての仏教者仏教学者とも違っています。
しかし、諸法無我ではなく、諸法非我だと言い始めたのも中村元博士ですから
長年にわたる仏教の根本的な間違いに気が付かせてくれました。

私は最初から言っているように、人類は仏陀の真意を理解できなかったと思っているので
どの仏教学者仏教者とも考えは違います。
ただ、それが信用すべき何の典拠にも基づかなければなければただの妄想ですから
学者による翻訳は参考にしてます。

 

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