中部経典の第39は、『大アッサプラ経』です。
アッサプラとはこの説法が行なわれた町の名前です。
〈沙門となりバラモンとなるもろもろの法〉が説かれます。
沙門の目的である涅槃に至るためになすべき法が次々と語られます。
「それ以上になすべきことは何か」というふうに続きますので、後になればなるほど重要と言うことです。
最後に、五蓋を断つことが語られ、いつものように、
五蓋を断つ⇒四禅⇒三明⇒解脱
という解脱への道筋が語られます。
さて、〈沙門となりバラモンとなるもろもろの法〉は、〈慚愧をそなえる者になろう〉という法から始まります。
〈慚愧をそなえる〉
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〈身の行為を清浄にする〉
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〈語の行為を清浄にする〉
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〈意の行為を清浄にする〉
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〈生活を清浄にする〉
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〈感官の門を護る〉
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〈食べ物に量を知る〉
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〈覚醒に努める〉
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〈念と正智をそなえる〉
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〈五蓋を断つ〉
そして、この経典では、〈五蓋を断つ〉について詳しく説かれています。
1、世界に対する貪欲を捨て、貪欲の消え失せた心をもって住み、貪欲から心を浄めます。
2、怒りと憎しみを捨て、怒りのない心をもち、すべての生き物を益し、同情して住み、怒りと憎しみから心を浄めます。
3、沈鬱と眠気を捨て、沈鬱と眠気が消え失せ、明るい想いを持ち、念と正念をそなえて住み、沈鬱と眠気から心を浄めます。
4、浮つきと後悔を捨て、浮つきがなく、内に静まった心をもって住み、浮つきと後悔から心を浄めます。
5、疑いを捨て、疑いを脱し、もろもろの善法に対して疑惑をもつことなく住み、疑いから心を浄めます。
ここで重要なのは、五蓋の反対が示されていることです。
これによって、五蓋の意味が浮かび上がってきます。
貪欲には、反対の言葉が示されていませんが、貪欲は他の説法でよく説明されているので、意味はわかると思います。
〈怒りと憎しみ〉に対して、〈すべての生き物を益し〉と〈同情〉が挙げられています。
慈悲の心をもつことによって消えるとされています。
〈沈鬱と眠気〉に対しては、〈明るい想い〉〈念と正念〉が挙げられます。
〈浮つきと後悔〉に対しては、〈静まった心〉が挙げられます。
そして、〈疑い〉とは、〈もろもろの善法に対しての疑惑〉のことだとわかります。
この説法によって、五蓋の性質がかなりはっきりと示されたと思います。
そして、さらに次の喩えで重要なことを言っています。
五蓋とは五つの障害であり、
1、負債
2、病気
3、牢獄
4、奴隷
5、荒野の道
に喩えられています。
【慧を弱めるもの】という定義です。
つまり、仏陀が、煩悩といい、不善法といい、五蓋というのもすべて、慧を弱めるもの、慧に蓋をしてしまうもの、慧に覆いかぶさるもの、という意味で、それを取り除けば慧が輝きだすということです。