実際に人生に現れるか

 
koboyuki (27.82.211.253)    
はじめまして。三大宗教などの既成宗教の教祖たちはもっと身近な人でその教えももっとシンプルだったのではないでしょうか。その後長い時を経るにしたがって取捨選択加味され複雑化して元々の教えとは似ても似つかない教えになり教祖たちも超人的な存在になり私たちにはとても手の届かない物に追いやってしまった。何千年も前の教えがそのままの形で現代まで伝えられていると考える事自体にそもそも無理があると思います。仏陀は悟りへの道を説きイエスは救済を説きました。仏陀やイエスの時代と現代社会とでは全ての面で大きく異なります。私も色々やりましたが結局なにも変わりませんでした。目の前には現実があるだけです。ショーシャンクさん現代社会において私たちごく普通の人間が普通の生活をしながら悟りに至る具体的な方法はあるのでしょうか。

 

 

koboyukiさん、はじめまして。

おっしゃる通りですね。

歴史上の賢者の死後は、どうしても神格化が始まってしまいます。

仏教の場合、神格化と同時に、教えの独自性、優越性が極端に強調され始め、仏教以外の教えへの蔑視となっていきます。

仏陀の時代、バラモン教がインドの豊饒なフィールドそのものでした。仏陀もその豊饒な精神フィールドを前提に教えを説きました。最古層の仏典スッタニパータにバラモン教の用語が肯定的にふんだんに使われているのはそのためです。仏陀を『ヴェーダの達人』とか『バラモン』と呼んでいます。

これが後世になればなるほど、このような『バラモン教的な』用語は排斥されて行きます。

仏教が大きくねじ曲がった原因はそこにあります。

 

koboyukiさんと同じく、わたしもいろいろとやってきました。多くの本を読み、瞑想じみたこともやり、読経も祝詞も唱えたりしてきました。クリシュナムルティの本はほとんどすべて持っています。

 

しかし、今までのすべての知識を白紙にして、歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求し始めました。

そしてやっと確信を持つことができました。

私はいま、この確信を自分の人生に試しているところです。

私の確信が正しければ、自分の人生に大きな良い変化が起きるはずです。

精神にも環境にも大いなる変化が起き、周りが仏国土となるはずです。

無量が、精神にも環境にも実現するはずです。

今までの宗教もスピリチュアルも何の役にも立たないばかりか、精神を腐らせ、変な自我を強めるだけのもの、精神の慰み物にしかすぎませんでした。

口だけ、頭だけのもので承認欲求を社会生活で得られない人が『私は社会では認められてないけど本当の霊的な世界では人より優れているんだ』と思いたいために嵌るものでしかありません。

実際に、現実として、精神や環境や現象が一変しなければ、やる意味など全くありません。

 

『悟り』や『解脱』というのは、人によって解釈や意味が全く違うでしょうから、私はあまり使いません。私の目標ははっきりしています。

『無量感を持つこと』です。

いつも圧倒的な無量感を持つことができれば、現象にも無量が現れてきます。

そして、私が見る限り、本当の仏陀の教えこそ無量に達する道だと考えています。

他は、moha =迷妄=痴 にしか過ぎないように思えてきました。

特に今のスピリチュアル業界が言っている、宇宙人だとか、スターシードだとか、何次元の存在だとか、アセンションだとかは、人を限定に導く迷妄そのものだと思っています。

 

私は、自分の人生で、本当に環境に無量が現れるかを試しているところです。

精神にも環境にも無量が現れないなら私の今の確信が間違いだということです。