仏陀の真意が伝わらなかった2つめの理由は、仏陀の死後、弟子たちが『仏教なるもの』を作り上げ、その『仏教なるもの』の独自性、優位性を極度に強調していったため、インドの精神土壌であったヴェーダ文化を徹底的に排除していったことです。
仏陀は、バラモン教やジャイナ教の考えや用語や言い回しなどを多く肯定的に使っています。
実際、歴史上の仏陀は、仏教なるものの開祖になろうとは思っていませんでした。
自分は、過去の覚者たちが辿った古城に至る古道を発見しただけだ、と言っています。
それは自分が発見してもしなくてもそこにあるものだと言っています。
自分の前にも覚者は数多く出てきており、その道を行っているということです。
仏陀にはバラモン教やジャイナ教を排除する意思はありませんでした。
しかし、仏陀の弟子たちは、自分が奉じる教えの独自性、優位性を極度に強調していき、他の教えの徹底的な排除、侮蔑に向かっていきました。
これによって、仏陀の真意は大きくねじ曲っていきました。
最も大きかったのは、非我を無我としたことです。
仏陀は、『無常であり苦であるものを、わたし、わたしのもの、わたしの本体と言っていいであろうか。』と繰り返し言っています。これが仏陀の理法の根本です。
つまり、無常であり苦であるものはわたしではない、と言っているのです。
明らかに『非我』です。
しかし、かなり早い段階から、この『非我』は『無我』とされました。
バラモン教が自己の本源たる『我=アートマン』を立てるのに対抗して、『アートマンはない』つまり『無我』を旗印としました。
しかし、ここで大きな問題にぶつかります。
もし、自己がない、我がない、主体がない、のであれば、因果の果は誰が受けるのか?という疑問です。
この疑問を巡って、煩瑣な理論が展開されることになりました。
刹那滅というような理論が考え出されました。
しかし、仏陀は、自己に本体があるかないか、自己に実体があるかないか、というような自己に関する哲学的な議論は、無記としました。
涅槃に赴くことでないからです。
そのような哲学的な論議にふけることも禁止にしました。
自己というものは主体であるために、認識することができないものであり、『非ず 非ず』としか言えないものです。
仏陀はそのことを悟っていたため、『無常であり苦であるものをわたしと言っていいであろうか』と言ったのです。
しかし、仏教なるものは、バラモン教の説くアートマンを否定した、ということにしてしまいました。
そして、輪廻や因果の法との整合性をつけるために、延々と煩瑣な論議にふけっていったのです。
部派仏教がこのようにとりとめもない煩瑣な哲学的な論議にふけっている有様を見て、大乗仏教は、仏陀の真意の復興運動として起こりました。
しかし、ほどなく龍樹が現われ、『空』の理論をおしすすめていき、自己にも仏にも実体がない、などとまでしてしまいました。
仏陀は、自己に実体があるだのないだのと言う論議を禁止していたのに、です。
これにより、ふたたび、仏教は『無我』の新たな理論を構築し、『諸法無我』が仏教の旗印として確立されていきました。
仏陀の真意はふたたび失われていきました。