同じ『三明ヴァッチャ経』に、異教のアージーヴァカ派について、こういうことも書かれています。
異教のアージーヴァカ派というのは、運命決定論(宿命論)、つまり、 自己の意志による行いはなく、一切はあらかじめ決定されており、定められた期間流転する定めである、という考えの派です。
マッカリ・ゴーサーラが主張した「運命がすべてを決定している」という運命決定論、運命論、宿命論を奉じていた。さらに意志に基づく行為や、修行による解脱をも否定した。とあります。
仏陀は言った。
『異教のアージーヴァカ派で苦を消滅させる者はいない。』
『わたしは、九十一劫を思い起こすが、異教のアージーヴァカ派で天界に生まれたものは、ただ一人を除いて、誰も知らない。かれもまた、業を説く者であり、作用を説く者であった。』
『異教のアージーヴァカ派の境界は天界に至るまで空しい。』
この中で、業を説く者(kammavadin)と作用を説く者(kiriyavadin)は同義であると註にあります。
自らが行なう業により、自らの存在が決まる、ということです。
わざわざ、アージーヴァカ派だけに言及していることから見ても、
自らの意志を否定する者、運命論者について、仏陀は、その末路を非常に悪いものと見ていたということです。
九十一劫の中で、一人だけ死後、天界に行けた人がいたらしく、その人は業を説くものだった、というところに、徹底的に、自己の意志を否定する教えへの厳しい目が感じられます。