レス

<<ショーシャンクさん こんにちは お久し振りです。私は仏教のことはさっぱり分からず出来の悪い者ですが、ショーシャンクさんがこのたび書かれているトピ投稿とブログ内容は理解することはできます。
>今まで、既存の仏教全部を批判したことによって気分を害された方にはお詫びいたします。申し訳ありませんでした
どこが悪いのですか! 全否定することは悪いことでしょうか。
それをすることにより議論が活発になり改めて核心部分について洗い直しができる良い面が大きいと私は思っています 初めから肯定的な意見からだと、きっと前には進まないと思うのですが。
特に私のような仏教初心者は、活発な議論を読むことにより恩恵を受けることが大きいです。
否定から始まる手法は大歓迎であり また正攻法でもあると私は思っています。

それと皆さん個人が信じている考えに批判的な意見を云ったからといって、それについてもお詫びするのもおかしいですよ。
そりゃ道理を逸脱した無茶苦茶な意見でしたらダメでしょうが それぞれ互いの思っている範囲内の違いでしたらそれも正当なことだと思いますし、またショーシャンクさんに批判された方もそれを克服する良識的な意見を構築すれば良いことで それができれば批判を受けた方も また一歩大きくなられるのと違いますか。私の個人的なことですが・・。
以前にショーシャンクさんに教えて頂いた自分に合った「筏」 自分が気持ちよく乗れる「筏」 この考え方を大切にしています。>>

 

oyaさん、こんにちは。ありがとうございます。

そうなんですよね。自分のスレに迷惑投稿があったって無視すればいいじゃない、と説教する人が、あれほど迷惑投稿する人に対しては『ショーシャンクの投稿が気に入らなくても無視すればいいじゃない』とは言わないですからね。おかしな話です。迷惑を受けているものにだけ大らかさを求めて、迷惑投稿しているものには大らかさをもとめないのですからあきれます。

私が申し訳ないなと思っているのは、pipitさんですね。pipitさんは本当に真摯な人で、私にもパーリ語仏典のサイトを教えてくれた人ですが、私はpipitさんが尊敬しているスマナサーラ長老を悪く言ったりしてましたからかなり不快に思われただろうなとそれは反省しているのです。

『筏』の考え、いいですよね。この考えでいけば、気が楽になりますよね。筏で渡ることができますように祈っていますよ。

 

 

~~~~~

 

 

<<ショーシャンクさんのこの投稿を読んで、先程ブログを読みました。アインシュタインロマンの記事は削除されてしまったのでしょうか?ベトナムの赤ちゃんの件を別のブログに書いてくださるとのこと楽しみにしています。

私は仏教のことも何もかも勉強不足な人間です。なのでこちらで書かれている沢山の方たちの投稿の一部は結局理解できなかったりもしました。

ですがショーシャンクさんの投稿は私にもとても分かりやすく心に入ってくるものでした。そしてその時々のやり取り(自分とのやり取りも他人との遣り取りも)の中から感じるものが沢山ありました。とても勉強になりました。

私のように宗教を嫌っていても、ショーシャンクさんがこのスレッドで試みておられた、<学問としての仏陀>は、とても興味深く感じました。

以前しまとりさんに質問したことがあります。

私がアラシ行為に悩んでいたころにした質問です。
しまとりさんから頂いた言葉は確か・・・
「人は未熟」といった言葉だったと記憶しています。
その時私の中で何かがスッと軽くなる思いがしたのです。

人は皆未熟なんだ。だから争いもするし、人を傷つけもする。私も誰でも、みんな未熟なんだ。

未熟な心が正誤を決めようとするから、ややこしくなるのかなと思いました。
それは私自身の事です。。

ショーシャンクさんの思い描く物が形になりますように。それを心から願っています。

私のような理解力の鈍いものにも親切に接していただき本当にありがとうございました。もっと冷静にもっとロムに徹しておけばと今更遅いのですがとても後悔しています。>>

 

hanaさん、こんにちは。

しまとりさん、いい人ですよね。接していて心が軽くなるのはいい人ですよ。これはこれから生きていくうえでも覚えておいてください。

どんなに正しいこと、いいこと、正義を語っても、いっしょにいて心が重くなる人とは離れたほうがいいです。

また、もうひとつの見分け方は、自分ができないことを人に強要する人、これは最悪です。これも簡単な人間の見分け方です。

人を裁いてばかりの人、人を責めてばかりの人は、ほっとできないですね。

hanaさんは発想を変えて、『ロムに徹しておけばと』考えるのではなく、自分が勇気をもって投稿したから、12月のいろいろな文章を引き出せて、その文章を多くの人も読むことができた、とプラスに考えるようにしてください。それが本当ですから。

<<ショーシャンクさんの思い描く物が形になりますように。それを心から願っています。>>

ありがとうございます。本当にうれしいですよ。

 

 

~~~~~

 

 

<<私から言えることは、ショーシャンクさんは20代で、なにか気づいた体験はあったように書かれていた。
その後には、ご神仏に助けられたのかしら?というような経済的な救いの手もいただいてる。
そして、今は法律関係で困ってる人たちへの助けにもなるような活動もボランティア的になさっている。

つまり、あなたのおっしゃっている無量への気付きみたいなことはすでに経験された上で、それで、悟ったつもりになってしまったことに対して違うのではないか、と省みて、釈尊の残された古い経典を素直に読み砕いてみよう、ということをされているところ、というように感じています。

そして、どうも釈尊の伝えたかったことはこれこれではないか。ということにはショーシャンクさんはお気づきになったので、それを開示すべき相手には開示することを考えて下さってる。
そんな感じに受け止めています。

付け加えるなら、釈尊の教えを、まっすぐに伝えてくださったとしても、それで、ショーシャンクさんは自分が悟ってる、とは言われない方ではないかな。
教えがこれこれではないか、と言うことと、教えをそのまま実践することとはまた違いますから、ショーシャンクさんが、自分は無量ではない、とおっしゃっているのは、なにもおかしくないと感じます。

私からすれば、赤い実さんが、無量が本質だと気づいた、と、さも悟ってるかのように言われてることが、悟りのディスカウント、大安売りに感じています。
が、それが悟りだと思って、以前より生きやすくなったと言われてたから、そのことに気づかなかった頃より良かったのだろう、とは感じますが。
でも、気をつけてもらいたいかな。驕らないように。>>

 

しまとりさん、おひさしぶりです。

ありがとうございます。

本当におっしゃる通りです。

自分が悟っている、目覚めている、気づいている、ということを大上段に振りかざして人を断罪しているのが赤い実さんだと思います。

赤い実さんは常時、無量の状態にあるそうですが、私がほんの一瞬無量の状態である時にはただただすべてが愛しくすべてに優しくなれて、決して人を責めようとは思わないですね。それが殺人犯であってもその時には責めようという気になれない、それが無量の状態だと思います。

私は常時無量の状態にはないです。だから卑小な精神、卑小な人格だと認識してます。肉体の感覚があってそれが生まれた時からの『私』という思い込みと強固に結びついているのですから、『私などないと気づくだけ』なんてそんなに簡単なものではないのです。20歳の時には簡単だと思ってましたが。

私が知る限り、自分が悟っている、自分は仏陀だ、という人は100%、すべてニセモノでした。

本当に精神が無量にあり、意識が無辺に拡大しているのであれば、最上のクラシック音楽はすべて理解できるはずです。そして法華経も読んだだけでその真実が分かって泣けてくるはずです。そうならないうちはまだまだだと私は思っています。