仏教についてのひとりごと 98

今のようなネットが発達した時代、ちゃんとした情報が手に入る時代に学生生活を送ることができる人は幸せですよ。
歴史上の仏陀が本当は何を言ったかがおぼろげながらでもわかりますからね。
今までは、仏教というのは仏陀が説いたものとはまるで関係なく、中国や日本の宗祖たちが創り出した教義を仏教と言ってきました。

毎月無料で来る『シグネチャー』という雑誌に瀬戸内寂聴のインタビュー記事が載っていました。
『人はひとりでは生きてゆけない。誰かに支えてもらって生きています。それが縁というものです。私たちはご縁に生かされているの。』
『私はね、生きることは愛するために悩むことではないかと考えるようになったの。人間は無関心なもののためには悩まないし腹も立たない。出逢いは神秘的で美しく、愛はかけがえのない唯一の真実なのよ。』

瀬戸内寂聴が言っていることは、まさしく日本の仏教と言われるものの代表的な考えですね。
特に、仏教は縁起の教え、縁によって生かされている、ご縁を大切に、という言葉は日本の僧侶がよく使うものです。

仏陀が成道時に『私の悟った法は微妙で深遠でこの世のものには理解できないだろう。説いても無駄なだけだ。』と思ったのはその通りだったということでしょうね。

 

 

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瀬戸内寂聴は、日本の仏教そのままを象徴している僧侶ですね。浅薄で世俗的な考えで、仏陀の教えとは真逆です。

 

瀬戸内寂聴『人はひとりでは生きてゆけない。誰かに支えてもらって生きています。それが縁というものです。私たちはご縁に生かされているの。』

 

仏陀成道の時の偈『実にダンマが、熱心に瞑想している修行者に顕わになるとき、かれの一切の疑念は消失する。なぜなら、縁の消滅を知ったから。』

 

仏陀においては『縁』は滅すべきもので、『ご縁を大切に』とか『縁結び』とか言って喜んでいるようなものではないのです。

 


瀬戸内寂聴『私はね、生きることは愛するために悩むことではないかと考えるようになったの。人間は無関心なもののためには悩まないし腹も立たない。出逢いは神秘的で美しく、愛はかけがえのない唯一の真実なのよ。』

 

仏陀愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛さない人に会うのも苦しい。』
『それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。』

 

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こんにちは。
長くなるかもしれませんが、仏陀は出家についてどう考えていたか、から考えてみます。

仏陀は、身分を捨て、仕事を捨て、家族を捨て、財産を捨てて、すべての時間を修行に専念することを出家としました。
その日だけの食を托鉢(乞食)することによってのみ命を保つことにしました。
そして、阿羅漢=仏(仏陀の時代は阿羅漢が最高の悟りで仏陀と同じ悟りです)を応供と呼びました。
つまり、供養を受けるに相応しい者という意味です。
仕事もせずに民衆から供養を受けて生きるのですから、出家者は、阿羅漢を目指して戒律を厳守し修行に専念することが絶対条件だったのです。

律蔵には、仏陀の時代でも、若い男性の出家者で、破戒した事例が多く書かれています。
しかし、仏陀はいつのときも、セックスした出家者はすぐ破門しサンガから追放しています。
若い妻を残して出家した男性が、その両親が『家系が断絶するので、どうしても子供を作ってほしい』と泣いて嘆願してきたので、仕方なく子孫を残すために妻と性交してしまった例でも、仏陀は追放しています。

それほどまでに厳しいのです。
何の仕事もせず、民衆の供養によって命を保っているのですから
戒律を厳守しすべての時間を修行に専念することは当然で、それができないものは出家の資格などないとして否応なく在家に戻したのです。

 

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一方、日本は最初から大乗仏教のシステムしか入って来ず
僧侶は官が認めた職業の一つでした。
貴族などの子弟が僧侶となって高い位に就くことが大半で
戒律も仏陀の定めた戒律とは全く違う、ゆるいものでした。

平安時代になると天台本覚思想も蔓延して、人間はもともと悟っていて修行も要らないという堕落した考えになる人も出てきました。
うわべだけ高僧のふりをしながら、陰では破戒していた僧侶もいました。

そこでこう思う人は多いです。
親鸞は、僧侶でありながら正々堂々と肉食妻帯、女犯をした。そのために迫害には遭ったけど、僧侶は陰でみんな破戒していたのだから親鸞は正直者だ、勇気がある、というわけです。

しかし、私はそれは過大評価だと思っています。

 

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親鸞は、法然の弟子として僧籍をはく奪され越後に配流されます。
そのときに恵信尼と結婚したと言われています。
配流が赦免された後も、親鸞は自分のことを非僧非俗と呼びました。

恰好は剃髪して袈裟を着ても『非僧』で『愚禿』としました。

つまり、親鸞は、僧侶でありながら正々堂々と肉食妻帯したのではなく
『非僧』だとしたのです。

私はこれは逃げだと思います。

『非僧』であるなら、親鸞はどうやって生活したのですか?
魚屋をしたのでしょうか?八百屋をしたのでしょうか?
違いますね。
信者や弟子からのお布施で生活したのです。
僧でないならお布施は受けてはいけません。

『非俗』であるなら、戒律は守ったのですか?
してないですよね。
肉食妻帯してます。

つまり、僧でないから戒律は守らなくていい、俗でないから働かずに信者のお布施で生活する、といういいとこ取りそのものです。

さらに、恵信尼を京都に連れて行かずに死ぬまでの30年くらいは別れ別れに暮らしています。

もし、言われるようにルターのように正々堂々と抵抗したのであれば
剃髪して見かけは僧侶そのものなのに『非僧』と言って逃げることはしないでしょうし
恵信尼と京都で正々堂々と夫婦生活するはずですね。


私は、仏陀の考えに賛成です。
人々から供養を受けるのであれば、戒律を厳格に守り人生すべてを修行に捧げる覚悟がなければらず、それができないのであれば、一生懸命働いて在家で修行すればいいのです。

誰も戒律が守れないのであれば、出家制度などなくしてしまえばいいのです。
誰も出来ない制度など存在する意味がないからです。

何も働きもせずに供養を受けるのは、修行に専念することが絶対条件です。

また、戒律を破る人が多いからと言って正々堂々と破ったら仏教の根幹を破壊することになります。

例えば、自動車のスピード違反などみんなしてますね。
運転して、一度も制限速度をちょっとでもオーバーしたことがない人などいないです。
しかし、誰も完璧に守れないからと言って、制限速度が不要とはなりません。

仏教の戒律を守って在家にその模範を示すべき出家者は、
法律における警察官みたいなものです。
警察官が『制限速度なんて誰も守ってないのだから、守らなくていいんだ!』と宣言して猛スピードで運転したらどうなるでしょうか。

 

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リッチポンタさん、こんにちは。

仏陀が言った『縁起の法』は、十二縁起に代表される苦の縁って起こる原因のことです。

仏陀は成道時、縁起の滅を知ったのですべての疑念が消えた、と言っています。

それが、後世になればなるほど、『縁によって生かされている、ありがたい、ありがたい。』となっていったのです。

仏陀が、『縁によって生かされている、ありがたい、ありがたい。』などと言ったことなどただの一度もありません。

 

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<<当時、親鸞の他にも、現代においては新仏教と称されるものを広めた人がいますね。
一遍、日蓮など。>>

私は、法然、一遍、日蓮など、仏教を大衆のものにした、そして在家のものに広めた人たちは高く評価してますよ。
特に、法然は過小評価されています。
法然は本物の変革者だったと思います。
親鸞を過大評価だというのは、生き方が徹底してないからです。
非僧非俗などと言わずに、僧侶として堂々と戒律を破るか、在家としてお金儲けに邁進して何千人もの女性を抱き、それでも阿弥陀仏に救われるということを示すか、徹底すればいいのです。
堂々と恵信尼を連れて京都に戻り、僧侶でありながら妻帯していればいいのです。


<<人々は次第に檀家制度や高額の戒名などにも疑問を持ち始めています。
これから先の時代、さらに淘汰されていくと思いますよ。>>

その通りだと思いますよ。
日本の出家制度など存在価値ないです。
葬式に参加してばか高い戒名代をふんだくるだけの職業です。

私は、民衆に食べさせてもらう出家制度などなしにして、若い時には金儲けに邁進して
一生食べていけるだけのお金ができた時点で隠遁し林住、遊行すればいいと思っています。
大金を持った人は自分のお金で小さいサンガを作ればいいのです。
信者や民衆からお金を奪って生活するという宗教者のスタイルはもうやめにしたほうがいいですね。

 

 

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仏陀の定めた戒律や出家は、本当に命懸け、人生をかけたものでした。
民衆の供養によって命を一日一日長らえるのですから、時間のすべてを阿羅漢になる修行に打ち込むことが求められました。それが出家の戒律です。
仏陀の死から100年後に、お布施をお金で受け取る出家者が現れ、大問題となりました。
これが根本分裂です。

日本には最初から仏陀の精神など入ってきたことはなく、見よう見真似のものだけが入ってきました。
戒律も、仏陀の定めたものからすればゆるゆるのものでした。
それでも破戒するものは後を絶ちませんでしたが一応形骸だけは続き表面上は戒律は尊重されました。

女性を抱きたくて仕方ないのであれば、親鸞は在家として農業でも漁業でも商売でもして一生懸命働いてお金を稼ぎ、思いっきり女性を抱けばよかったのです。
浄土の教えは在家、出家を問わず救われる教えです。法然の教えも一遍の教えも浄土の教えはそうです。
在家のまま念仏して救われるのが最上だという考えもあり、出家にこだわる必要は全くない教えでした。むしろ、出家より在家で念仏する方がいいという教えでもあります。

しかし、なぜか、親鸞は出家にこだわり僧侶であり続けたがります。
僧籍剝奪されてその後赦免されても、自分では『非僧非俗』といいながらも剃髪して僧侶の恰好をし続けます。
そしてずっと、信者や弟子たちのお布施でのみ食っていきます。
京都に帰るときには妻の恵信尼は連れて行かず別れます。死ぬまでの30年近くそうです。
ちっとも正々堂々としてないです。

親鸞は僧侶でありながら妻帯したので迫害を受けたと思っている人もいますが、そうではありません。越後配流、僧籍剥奪は、師の法然の弟子のひとりとしてそういう処分を受けただけで
親鸞の妻帯、破戒とは何の関連もありません。

歴史を知らない人には、親鸞は破戒だらけの世の偽善に正々堂々と立ち向かった英雄と捉える人もいますが、私はそうは思いません。

そして、親鸞が、僧侶として(自分では非僧非俗と言ってますが)戒律を壊し妻帯したことによって、非常に悪い結果を生み出します。

 

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出家者が妻帯するようになって、日本の仏教界がどんなに悪くなったでしょうか。

浄土真宗を見ればわかりますが、親鸞の子孫である大谷家を頂点とする、生まれによるヒエラルキーが出来上がりました。
浄土真宗の寺の住職には、代々浄土真宗の寺の子孫しかなれないようになっています。

仏陀が言った『生まれによってバラモンなのではない。行いによってバラモンなのである。』という精神は壊れてしまいました。

それでも親鸞自身が、家族を持つことによって幸せになったところを見せればいいのですが
恵信尼とは別れ、長男を晩年義絶し、苦悩の真っただ中に堕ちます。
また、親鸞の子孫の骨肉の争いも多く、手本とは真逆です。


供養の面から言うと、出家者が独身であれば、その人の日々の食で供養は足りるのですが
出家者が家族を持つと、例えば出家者とその妻、子供2人の4人家族とすると
日々最低限の食だけで修行する独身の出家者と比べると、妻の服や生活費、子供の教育費や生活費などで、10倍以上はかかるはずです。
それをみんなで供養していかなくてはならず、しわ寄せは全部、檀家や信者にかかってくるのです。

仏陀が目指したのは、家族を持たないことで修行に専念する生活だったと思いますが
日本に入ってきたときから既にいい加減にはなっていましたが
親鸞の出現は決定的でした。

 

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