仏陀は、九次第定を一段階目の初禅からはじめて九段階目つまり最終段階の想受滅定(滅尽定)に到達したあと、なぜか段階を一段ずつ下がっていき、初禅に戻り、初禅から第四禅に上がったところで入滅しました。
これは大きな謎です。
普通に考えれば、最高段階の想受滅定に到達したところで入滅するはずです。
仏教の大きな謎です。
私はこう考えます。
九次第定の1番上は想受滅定です。
上から2番目は、非想非非想処定です。
上から3番目は、無所有処定です。
ところが、仏陀が出家してすぐに、非想非非想処定と無所有処定を習いに行き、仏陀はたちまち習得します。
しかし、この2つの禅定は、『解脱にも涅槃にも行き着かない』として捨て去ります。
その後、苦行に打ち込みます。
断食行と止息行です。
数年もの間苦行に専念しますが、苦行では涅槃に至らないとみかぎります。
そして、在家のときに、初禅の瞑想をしたことを思いだし、これが涅槃に至る道に違いないと思います。
そして、第四禅まで達して、三明を獲得し、四諦の法、十二縁起の法を瞑想することによって完全な解脱に達します。
ちなみに、八正道の正定は第四禅です。
このように、仏陀の中で、第四禅は極めて重要です。
一般的な仏教では、色定である四禅より、無色定の方が上であると定義されていますが、仏陀自身は、無色定の非想非非想処定と無所有処定は出家の最初において涅槃に至らないとして捨てているのです。
ここに、仏陀の秘密を解き明かす鍵があると思っています。
欲界定は思考100%で止観の止(無思考瞑想)は0%です。
それが、色界定から無色界定と上に上がるほど無思考瞑想となっていきます。
最終段階の想受滅定は全くの無思考、無念無想です。
しかし、仏陀は出家してすぐ、無色界定では涅槃に至らないと捨て去ったのです。
仏陀は、無思考瞑想を到達点とは考えていなかったのです。
前稿の『清浄道論』にあるように、四禅は四無量心の瞑想によって到達します。
仏陀の成道のときも、仏陀の滅度のときも、無色界定ではなく色界定だったことを考えれば、
仏陀の瞑想の最終型、つまり涅槃という理想の境地に至るには、四禅の状態、つまり思考がある状態で、四無量心の瞑想、四諦の瞑想、十二縁起の瞑想をすることではないかというのが結論です。
仏陀の核心は、四諦、十二縁起、四無量心、といった仏陀の理法を瞑想することであったということです。
ただ、仏陀は成道後も、たびたび無色界定をしていたと思います。
それは、安楽であったからだと思います。
説法で思考を駆使していた仏陀にとって、無思考瞑想が何より安楽なものであったのだと思っています。