毘盧遮那仏、大日如来、ブラフマン、アートマン

 双麻 (183.180.150.92)    
すぐにお返事をいただき、本当にありがとうございます。
ショーシャンク様は早い時期に仏教に興味を持たれたことで、
様々な観点からの学びと洞察から得られた幅広い知識と日本仏教愛が育まれたのだとお見受けします。
そうやって良いところも悪いところも見てこられた中から、そのモヤモヤを解決すべく原始仏典を通して真正面から仏陀と真摯に向き合われたことで、
宝石のように光り輝く素晴らしい名著が生み出されたのだと感じました。
ショーシャン様がおっしゃるその小石を人類は二千年以上も、たとえ目の前にあってさえ誰にも見えなかった。
それが私のような入門者ですら目にすることが出来るようになった。
人類の至宝の一端に触れることが出来るようになった。
本当に有り難いことだとしみじみと思います。
見えなかったものが見えるようになったというのは物凄いことだと思います。
このストレス社会で将来に明るい展望も見えない現代、仏陀の理法を求めている人は無数にいるでしょうし、
真の仏陀の理法を求める若い僧侶や研究者もいることと思います。
この波紋の存在が呼び水の一つとなって全てが良い方向に向かっていくことを望んでいます。
次回作も心より楽しみにしています。
今作と次回作によって、上座部仏教と大乗仏教を結び、日本と世界の仏教を結び、仏陀の時代と現代とを結ぶ、素晴らしい世界が開けることになるであろうと確信しています。
お忙しいとは思いますが、どうぞご自愛ください。
 
追伸   書籍やブログを読んでいて疑問が4つほど生まれました。
お時間に余裕のあるお手すきの時にお答え頂けると幸いに存じます。
もしかしたら浅学ゆえに的外れな質問があるかもしれません。
その時は失礼をおかけするかもしれません。
申し訳ありません。
今回はとりあえず一つだけお願いします。
 
1.  無量心と毘盧遮那仏とブラフマンの違いは何なのでしょうか?
無量心と毘盧遮那仏または大日如来とブラフマンまたはアートマンの違いについてショーシャンク様の考えをお聞かせください。
サムシンググレートとかいう言葉も最近目にしました。
何か物事を学ぶ際、勝手に別のものと同じだと思い込んで知らず知らず進むべき方向性がずれてしまう人がいます。
そうなってしまわないよう、ショーシャンク様の考えをお聞きしたく思っています
宜しくお願い致します。

 

 

 

双麻さん、こんにちは。

極めて根源的な問題で、これを本当に説明しようと思うと1か月は優にかかるでしょう。

かなり端折ってやっと答えられるくらい根本的でしかも極めて微妙な質問です。

 

そして、その前に、毘盧遮那仏、大日如来、ブラフマン、アートマンの定義をしないと混乱するだけになります。

 

例えば、神道に、天之御中主神という神様がおられます。

造化三神の一柱です。

この神様を、最高神とする説があります。つまり、八百万の神々のうちの最高の地位の人格神だということです。天照大御神を神道の最高神とする考えもあります。

それとは違って、天之御中主神を人格神ではなく根源神、つまりすべての存在の本源だとする考えがあります。

このように、同じ天之御中主神でも、その解釈は様々であり、どのような解釈なのかで全く違ってくるのです。

 

アートマンにしても、霊魂のように捉える考えがあります。

肉体が滅しても霊魂という個体は永遠に残るという考えです。

輪廻転生する主体という意味合いを持ちます。

しかし、アートマンの本来的な意味は、自己の根源です。

梵我一如というのがバラモン教、ヒンドゥー教の根本的な教理ですが、この場合、梵つまりブラフマンは一切の存在の根源ということです。

一切の存在の根源、宇宙の根源が、自己の根源と同一だというのが、梵我一如の考えです。

もし、輪廻転生する主体、霊魂という意味でアートマンという言葉を使う場合、これは迷いの我にしか過ぎません。

ですから、梵我一如とは言えないのです。

つまり、アートマンという言葉でも、迷いの我という意味と真実の我という意味の正反対の意味で使われて混乱しているのです。

 

ブラフマンにしても、一切存在の根源、すべての本源という意味と、ブラフマーとして最高の人格神という使い方があります。

これが仏教も後世になればなるほど、梵天という色界最下層の神となってしまいます。

 

毘盧遮那仏または大日如来についてもそうです。

人格を持った仏なのか、宇宙の本源なのか、です。

宇宙の根源そのものとすれば、個別に言葉で説法することはありません。

それならどちらで解釈すればいいのか。

大日経では、毘盧遮那仏は持金剛秘密主に対し『秘密主よ、心と虚空界と菩提との三種は無二なり。これらは悲を根本として、方便波羅蜜を満足す。』などと説きます。

言葉で説法しているので、人格を持っていますね。

しかし、密教では、大日如来は宇宙の根源でもあり宇宙そのものでもあります。

 

つまり、このように、毘盧遮那仏、大日如来、ブラフマン、アートマンと言っても様々な定義、解釈があり、どの定義で質問されているかで、答えは全く正反対となるのです。

 

まずは、毘盧遮那仏、大日如来、ブラフマン、アートマンの定義をして質問してください。